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「日本人とユダヤ人」講読


             野阿梓


   第三講  地の民(2)

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ところで、最近の遺伝学的医学研究では、彼らが十三世紀から十五世紀にかけて、ヨーロッパ系祖先集団と中東系のそれが融合した結果であり、当時、アシュケナージの祖先は何らかの原因による「ボトルネック(民族の急激かつ極端な減衰現象)」に見舞われた、ということが判明した、とのネイチャー誌系列の日本語記事を読んだことがあります(リンク先の元記事はネイチャーコミュニケーション誌〇四年九月九日号(※4))。
Nature誌は(商業主義や政治的発言への批判もありますが)理系では第一級のコアジャーナルとして信用度が高く、その系列誌とはいえ、その名を冠した記事は信憑性があります。
だとすると、アシュケナージは、見た目はともかく、セム系ユダヤ人のDNAを有していることになる。東西に分かれたユダヤ人の起源問題に、しかもゲノム解析という最先端の科学的方法により一石を投じる画期的論文です。

しかるに、この驚くべき研究成果も、翌月の「Wired」のネット記事では、一二八人のゲノム解読により、「アシュケナージの遺伝的な独立性が明らかになった」との、つまり、彼らは「全く独立した人種」である、という、まるで正反対の論説が掲載されていました。しかも、リンク先をたどると、ネタ元はネイチャーコミュニケーション誌の同じ記事なのです。

Nature系記事では「アシュケナージと中東系(=セファラディ)との融合が遺伝子的に明らかになった」とあり、Wired誌では「アシュケナージの遺伝子的独立性が判った」と言っているのですから、どう考えても、これは変です。
Wired誌記事は、「ARS TECHNICA」サイトからの転載で、著者はDiana Gitig氏なる常連寄稿者ですが、自身、ペンシルベニア大学で生化学を専攻、同大及びコーネル大学で細胞生物学および遺伝学の博士号を取得した研究者です。現在、NY在住のフリーランスの科学ライター兼編集者とあります。身分こそ準ライター(Associate Writer)とありますが、経歴からして数年前に発覚した日本のネット記事濫造事件のような、いい加減な記者ではないため、余計にこの混乱は理解できません。正確に言うと、彼女の記事は論点がNature誌とは微妙に異なるのですが、それでも「彼らの遺伝的な独立性が明らかになった」と書いていますので、違いは明白でしょう。

読者の混乱を避けるために、二つの日本語訳のURLは、あえてここでは記しません。関心のある人はネットで検索すれば、両者の相違点が容易に判るはずです。サブカル界では定評のあるワイアード誌ですが、これはさすがに勇み足で、理系の科学系のアンカーが不足しているのか、解釈の間違いではないか、と思われます。ただ、判然とはしません。異なる記事が元ネタなら、そういうことも有りうるかも知れませんが、記事の書き手は、一ヶ月前のネイチャー系の記事を読んでいるはずですから、そのわずか一ヶ月後に、正反対の説を記事にする理由が判りません。ワイアードが反ユダヤ系という話も聞きませんし、土台、反ユダヤ系であっても、二つのユダヤ民族が、同一の祖なのか異なる祖なのか、あげつらっても意味はないので、謎という他ありません。

確かに、以前から、アシュケナージとセファラディの人種的差異を語る時に、アシュケナージは特定の遺伝病に罹患する率が有意に高く、それはセファラディには見られない特徴だ、との定説がありました。逆に、二〇〇〇年代から遺伝子の研究でアシュケナージの男系の特徴として、そのY染色体が(セファラディを除く)中東人と共通した遺伝子プールを持つことが判っており、彼らの起源が中東であることは証明されています。しかし、ゲノムを解析して、両者の祖先が類似のものだと指摘した論は、おそらく今回が初めてです。しかも、同じ科学論文をもとに正反対に解釈する和訳ページすらある。一体どうなっているのか。和訳には元の英文ページがあるわけですから、ワイヤード日本語版が誤訳したわけではない。

ただし、残念ながら、文系で英語が苦手な私には、抄録(Abstracts=論文の要約)だけならともかく、グーグル翻訳で、この長大な生命科学系の原著論文を全文読み通して、その当否を調べる語学力も学術用語への理解もありませんので、今もって、この二つの相反する要約は謎です(エディタで計測すると、この記事はテキストだけで六万余字あり、詳細な図表も多く、原稿用紙換算だと百枚以上におよびます)。
また、サンプリングした母集団が百人単位と少なく、対照されるヨーロッパ集団も二六人とあり、ゲノム解析なら、それでも有意な数値なのかどうか、統計学の専門家でない私には判断がつかないため、どちらを信じてよいか判りません。

現在では、中東から欧州にかけて両者が混在し、中には歴史的に古い時代に交配した可能性も完全には否定できないでしょう。AJのみ特定の遺伝病に罹患する率にしても、西方ユダヤ人が東漸する過程で集団罹患した可能性も否定できません。
わずか数十年雨の近過去に、主にナチス科学者たちから、表向き「科学的」な装いの疑似科学によって、ユダヤ人は長らく差別や迫害を被ってきたのですから、こうした研究は慎重におこなうべきだと思います。ましてや、それを日本語でリライトする際に、全く正反対の論説にまとめるというのは、言語道断でしょう。

※4 https://www.nature.com/articles/ncomms5835
(「Nature Communications 」誌は、Natureグループ内で、「生物学、物理学、化学および地球科学のあらゆる領域における」論文を無料でネット上でオープンアクセスで公開している電子ジャーナルです。このShai CarmiらによるNature誌文献の前文の抄録だけを読むと(Google翻訳)、

「アシュケナージ系ユダヤ人(AJ)の人口は、ヨーロッパと中東のグループに近い遺伝子分離株であり、疾患のマッピングに役立つ遺伝的多様性パターンを持っています。(中略)
このようなセグメントからの最近のAJ履歴の再構築は、わずか三五〇人の個人の最近のボトルネックを裏付けています。共同対立遺伝子頻度スペクトルを使用したAJおよびヨーロッパの人口の古代史のモデリングは、AJがヨーロッパおよびおそらく中東の起源の均一な混合物であることを決定します。二つの先祖集団の分裂は、およそ一二〜二五 Kyr(千年)であり、最終氷期最大期以降のヨーロッパの人口増加の主に近東の源泉を示唆しています」

――とあって、前述のネイチャー直系の翻訳記事が正しいように思えますが、よく判りません(土台、「12–25 Kyr(Kiloyear)」すなわち「一二〇〇〇年から二五〇〇〇年(?)」の和訳すらネイチャーコミュニケーション誌側も「二〇四〇〇から二二一〇〇年前」とあり、それが本当に正しい訳なのかどうか私には判断がつかないのです)。同じ論文は、PubMedという医学系データベースにも転載されていて、それによると研究に携わった人間は二〇名に上ります。その内容が、記事の訳者によって把え方が異なる、というのも理解に苦しむものです)

さらに、ウィキペディアのアシュケナージ項目(英語版)では、この最新の文献を引用して、

「アシュケナージ・ユダヤ人の中に中東系とヨーロッパ系の祖先がほぼ均等に混在していることが判明した:ヨーロッパ系の成分は大部分が南ヨーロッパ系であり、少数派は東ヨーロッパ系であり、中東系の祖先はドルーズやレバノン人などのレバノン系集団に最も強い親和性を示している」

――と記しています。
ただし、ひとつだけ根拠が他に在ると仮定するならば、同じネイチャーコミュニケーション誌の一年前の記事「A substantial prehistoric European ancestry amongst Ashkenazi maternal lineages(アシュケナージの母系の中での実質的な先史時代のヨーロッパの祖先)」(一三年十月八日号)では、

「アシュケナージのミトコンドリアDNA変異の四〇%に相当する四つの主要な創始者すべてが、近東やコーカサスではなく先史時代のヨーロッパに祖先を持っていることを示している」

――という論文があり、それと混同した可能性はあります。いずれにせよ厳密性に欠けるという批判は甘受すべきでしょう。これを元に、別な「サイエンティスト」誌では、その日のうちに、ケイト・ヤンデル氏が「アシュケナージ系ユダヤ人の遺伝的ルーツ」という題の記事で、

「アシュケナージ系ユダヤ人のほとんどは、伝統的にイスラエルの古代部族の子孫であると考えられていましたが、実際には先史時代のヨーロッパ人から母系の子孫である可能性があります」

――と記しています。
ただ、ミトコンドリアDNAは、母系遺伝子ですから、父系は判りません。しかも、この記事では、「現代の大半のアシュケナージ系ユダヤ人の女性の祖先は、約二〇〇〇年前に地中海北部で、その後、西ヨーロッパと中央ヨーロッパでユダヤ教に改宗しました(原文:female ancestors of most modern Ashkenazi Jews converted to Judaism in the north Mediterranean around 2,000 years ago and later in west and central Europe.)」と結論づけています。
遺伝子解析で、その民族が改宗したかどうかまで判るわけはないので、この立論は首肯しかねるところです。「convert」を単に変化、変遷した、と訳せば、それでいいのかも知れませんが、この文脈では「改宗」と訳すべきだと思えるので、ちょっと理解できない。これだとAJは、あらかじめ欧州北部にいた異民族が(イエスが死んだ頃に)、わざわざユダヤ教徒になったことになります。すでにユダヤ教への迫害は紀元前からあるので、そんな宗教に改宗しても何のメリットもない。そこで、引き合いに出しているのが「ハザール国=アシュケナージ説」なのですから、理系論文の解釈としては、文系でほぼ否定されている誤謬の文献を引用しているわけで、信憑性が格段に落ちます。私は、元論文はともかく、ヤンデル氏の解説記事は、あまり信用しない方が良いように思いました。

このNature Asia日本語文献では、また、今から二万年から二・二万年ほど前、最終氷期最盛期に、ヨーロッパ系祖先集団が中東系祖先集団を分離した際にも、創始者集団のボトルネックが発生し、さらには、ほぼ同時にアシュケナージとセファラディの両族において、同様のボトルネックが起きた。それが「出エジプト」ならぬホモ・サピエンスの「出アフリカ」現象の引き金となったのではないか、とも言うのです。ミトコンドリア・イヴのアフリカ単一起源説の大半は、西アジアなら南ルート分散を、最小に見積もっても五万五〇〇〇年以内を、その「出アフリカ」の上限としていますから、それを大幅に直近に見直す新説でしょう。

この論述のいくばくかが正しいとしたら、なんとも壮大な歴史の物語の書き換えですが、当論文の正否はともあれ、現代のパレスチナにおけるユダヤ人社会という矮小な世界の中で、アシュケナージとセファラディの間には、およそゲノム解析などでは埋まらぬ、人間的な深い溝があります。

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建国前のイスラエル社会で、政治的な権力奪取に最も優れた手腕を発揮し、英領パレスチナで最初に地歩を固めたのが彼ら、東方ユダヤ人ことアシュケナージでした。「貪欲かつ傲慢かつ排他的だった」彼らは、第二次大戦前から富裕なる移民として移住してきたので、いち早く権力を握ったのです。キブツの運営を独占し(というか、そもそもセファラディにはキブツといった社会主義的な協同組合体制のような組織の発想がない)、セファラディやミズラヒム(現地のセム系ユダヤ人)には何も与えない。というか、彼らにはキブツの概念が理解できなかったので参加のしようもないのですが、移民の増加は、やがてアシュケナージも、対応の変化を求めざるを得なくなり、五〇年代以降、彼らはミズラヒムを季節労働者として雇いますが、ミズラヒムがキブツの会員になることは決してなかったのです。これが戦後、特に、イスラエル建国以後に移民してきた人々との間に経済摩擦と格差を生む原因になります。
五〇年に帰還法が制定され、これによって建国直後のさらに数倍の国民が移民の形でイスラエル国民となりましたが、やはり最初に移民した富裕層の既得権には敵わない。同胞として、ともに「約束の地(エレツ・イスラエル)を目指したはずの同じ民族が、金に汚れた権力闘争を行うのです。悲劇的としか言いようがありません。

いちばん顕著なのは、ナチスドイツと裏取引をしたユダヤ移民グループでしょう。三三年、政権奪取したばかりのナチスはシオニスト上層部と密かに手を握り、最終的には正式な移民に関わる協定が結ばれたのですが、すでにナチスが本格的にドイツを支配すれば、どうなるかを告げられていたドイツ在住の富裕なユダヤ人(=アシュケナージ)は真っ先に移住し、その代金をドイツ製品に換えて、先にイスラエルに送る。そしてイスラエルに到着すると商品をポンドに換える。こうした環流システムにより、ポンドとドイツ商品がパレスチナに満ち、一時は八百万ポンドの金が動いたと言われています。しかし、こうした富裕層が、結局、英国委任統治が終わった後でも、富裕なまま、興国の礎となり、また権力の中枢となっていくのです。

後れを取ったセファラディやミズラヒム(中東系ユダヤ人)は、二番手三番手に甘んじるしかありません。英国統治時代から建国直後までの移民の大半はアシュケナージでした。セファラディ移民のパーセンテージが逆転するのは五一年からで、その時には、政治の中枢は完全にアシュケナージによって押さえられていました。キブツにしてもアシュケナージ主導で、セファラディはこれを軽視する傾向にあったと言います。もともと彼らが移民してきたパレスチナは開墾に適した環境とは、とても言えず、荒地と沼沢地と岩漠でした。不衛生で絶えずベドウィンらの襲撃に備えなければならない。この困難な土地を開墾するには、どうしても集団生活が必要になります。キブツの原則は集団、共同、平等、機会均等ですが、いくら必要に迫られても、これらの理念そのものがセファラディやミズラヒムには受け容れがたかったのです。

セファラディとは、元々、ヘブライ語でスペインの意味です(他方、アシュケナージとはヘブライ語でドイツを意味します)。主にディアスポラ以後にスペインに移住したユダヤ人は、十五世紀の排斥令によって二十五万人が国外逃亡し、一部は隠れユダヤ人(マラネン=マラーノ)として国内に潜伏しました。ベンダサンが自らの出自として、自分がその末裔だ、と称しているのは、彼らを指します。スピノザやベラスケスも、マラーノでした。

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私が、ほぼ十年前に書いた「伯林星列」という作品で引用している挿話では……、
初期のキブツをはじめとするイスラエルの、まだ国家として建設される前の第二次大戦より前の時代でさえ、そこで一番の権力を握り、土地を占有していたのは、東欧ガリツィア(英語:ガリシア)地方――ウクライナ西部とポーランド南東部とにまたがる地域――からイスラエルに移民してきた東方ユダヤ人(アシュケナージ)だった。権力を握ったアシュケナージが全てを獲り、彼らはセファラディを蔑み、セファラディはミズラヒムを蔑む。同じユダヤ人同士で差別構造が作られていた。

――といった意味のくだりがありますす。今、私はその原資料を探し出せません。しかし、当時(第一次大戦後)のガリツィアには、およそ三百万人のウクライナ人と八十万人のユダヤ人がいたと言われています。そして、(ナチスのホロコーストより前に)東欧やソ連で、ポグロムと呼ばれる迫害=虐殺が起きて、彼らの多くは四散し、一部はイスラエルへ移民しました。最初のキブツは一九一〇年に立ち上がっています。キブツと同様の社会主義的共同体は、ソ連のコルホーズや中共の人民公社などがありますが、キブツほど成功した例はありません。
しかし、ウィキペディア英語版をはじめ他の資料と照合しても、ほぼ同等の結論に達していますので、私の小説内の言説も、ガリツィアの固有名詞を除けば、それほど的外れとは言えないでしょう。

しかし、ガリツィア出自云々はともあれ、ユダヤ人社会の中での差別の構造は一面的ではなく単純でもない。複雑に入り組み、部厚いのです。差別の中にまた差別があり、その奥に、またさらなる差別がある。
少し古い記事ですが、イスラエルの野党労働党議員が「わが国における社会の亀裂は、周囲に順応しようとしないセファラディの側に責任がある」と発言したことで「セファラディ差別だ」との波紋が起こり、「セファラディにはアシュケナージから「二級市民」的扱いを受けてきたとの怨念がある」「(それゆえセファラディは)建国以来政界の本流だった労働党ではなく、現与党リクードの支持基盤を形成してきた」が「労働党には最近セファラディ票を取り込まなければ選挙で勝てないという危機感が強く、バラク党首は昨年(九六年)、党がセファラディを不当に扱ってきたとして公式に謝罪している」(朝日新聞 九七年八月3日)とあります。

最近でも、「イスラエル国会は一九日、自国を「ユダヤ人の民族的郷土」と規定する法案を六二対五五の賛成多数で可決した。イスラエルの人口約八八〇万人の二割を占めるアラブ系の国会議員らは「差別」と猛反発」しているという記事(朝日新聞デジタル 一八年七月二〇日)もあり、ユダヤ人同士の差別だけではなく、ユダヤ人とアラブ人との間にも溝が生まれていることが判ります。同記事には、「右派連立政権を率いるネタニヤフ首相は法案の可決について「決定的な瞬間だ」と称賛したが、アラブ系の国会議員は議場で猛抗議し、「ユダヤ人優位の法で、我々を常に二級市民であり続けさせるものだ」と訴えた」とありますから、根は深いと思われます。
一九年には連立内閣が崩壊したり、国会運営も不安定なイスラエル政界ですが、理想と現実とは、かけ離れたものであるようです。特に民族間差別よりも、アシュケナージとセファラディの族内差別の方が深刻ではないか、と私などは考えます。これは由来が民族の差とかではない、もっと歴史的で古代からの差別であり、だとすると和解の方法がないからです。しかもアシュケナージ、セファラディ、ミズラヒム、と数層にわたっている。

そもそも、「差別」と呼ばれるものは、人と人の関係性が、そういう多層かつ重層的な構造を、自動生成的に造りあげていくものであり、それが、人間の陋劣な「悪」の実相です。

そして、「ミズラヒム」を古代の言葉に変換したら、おそらく「地の民(=アム・ハ・アーレツ)」でしょう。実に二千五百年以上にわたる差別の歴史が、れんめんと続いていることになります。
これは、ある意味では、ホロコーストよりも恐るべきことです。
パレスチナ人問題に関しては、誤解を恐れず単純に言ってしまえば、ユダヤ人たる自分たちがナチスを始め西欧社会に歴史的にやられてきたホロコーストと同じことを、今度は自分たちがパレスチナ人民に対してやっている、という、いわば被害者が加害者になっただけの話です。私は、拙作の中で、シオニズムとナチズムの相似性について言及していますが、これはその後の世界の現実を見れば、妥当なものでしょう。人間は、そういう強権を独占した途端に、豹変する。つい先年まで自分たちがアウシュヴィッツで受けた同じ行為を、今度はパレスチナ人民に対して行うことを、なんら良心の呵責なく行える。そういう罪深い存在なのです。
しかし、こちらの差別問題は、もっと深刻で解決の方法がありません。表面に表れない内面化された人間の「悪」が、そして次々に疫病のように感染連鎖していく問題だからです。パレスチナ問題は、(八一年にサダト大統領が暗殺されて頓挫しましたが)、七八年、ベギン首相とサダト大統領が握手し、そして手を携える、といったことが将来的に再現されれば好転する希望がなくもない。七十年以上つづいた戦争状態も、なんらかの安全保障が確約すれば、億というアラブの中でイスラエル国家が存続する可能性が全く有りえないわけではありません。政治的な、そして国際的な信義が、両者を結びつけたなら、実現可能性が絶無とは言えない。
しかしながら、マトリョーシカ人形のように、内へ内へと、無限につづく民族差別の構造は直しようがないでしょう。

古代ユダヤ国家が分裂し、北イスラエル国に行った十支族は、伝説はともかく、サマリア人として排斥され、南ユダヤ国で捕囚の憂き目に遭わずにすんだ人びとは、捕囚後に帰国したユダヤ人指導者たちから排斥される(バビロンに残った、後八割のユダヤ人たちがどうなったのか、それは今や誰にも判りません)。その時代その時代における宗教指導者たちは、なによりもその間ずっと神の僕として仕えてきた、という自負があるのでしょうが、たとえ民族的に同胞であることが判っていても、敬虔ではなかった(ヤハウェに仕えなかった)人びとを徹底的に排斥し蔑視する姿勢は、古代も現代も変わりがない。実に北イスラエル王国が滅亡して、その首都サマリアが軽侮の対象となった紀元前八世紀から現在にいたるまで、二千七百年もの間、えんえんと続いているのです。

このユダヤ人に固有の、敬虔主義と表裏一体となった根強い差別主義が、根底から無くならない限り、アシュケナージより後で移民してきたセファラディも、亡国よりずっとパレスチナに住み続けてきたセム系ユダヤ人の末裔たちも、周囲のアラブ人と同様の扱いを受けつづけることでしょう。それはユダヤ教が選民思想であるかぎり、無くならない桎梏なのです。彼らは古代には同胞であった民族から、虐げられ、蔑まれ、人として最低の生活を余儀なくされ、人権も奪われている。
ミズラヒムの処遇に関しては、郷土を追われたアラブ人と同様、パレスチナ問題が解決すれば、いくぶんかは好転するかも知れないにせよ、根源的な差別の問題が、ユダヤ人の心の中の深層構造に在る以上、似たようなことが、くり返される可能性は否定できません。

   8

七〇年当時は、まだ、いくばくかの幸運によって中東戦争に勝利していたイスラエルも、その後、核武装し、アメリカ帝国主義の一翼を中東でになう、軍事大国となっています。なによりも、六七年の第三次中東戦争によって獲得したヨルダン川西岸、ガザ地区、そしてシナイ半島、ゴラン高原を実効支配したイスラエルは、そこに移民を送りこみました。先住していたパレスチナ人は、あたかも戦前の大日本帝国が満州国を欺瞞のうちに建国した際に行ったように、土地を奪われ、難民化し、その土地を新たに移民してきた新イスラエル入植者たちが収奪してゆくのです。ナチスドイツにて、ホロコーストの憂き目に遭い、家を土地を奪われた結果、ついに生命まで奪われ、同胞六百万人を失なった当のユダヤ人が、それとほとんど変わらない民族的収奪を、今度は自分たちが行なっている。なんとも悲痛なる歴史の矛盾と逆転です。
かつて日本から「移民」として大陸雄飛した「満蒙開拓団」は、日本の敗北と同時に満州国も崩壊し、しかも民を守るどころか自分たちだけは真っ先に逃走した関東軍から青酸カリ入りのカプセルを渡され、そうなると、今まで収奪し、差別していた満人たちから報復を受けることは必至であり、それゆえ彼らは集団自決するしかありませんでしたが、同じ種類の冷血さを、私たちはイスラエルの「移民」政策に感じとることができます。

しかし、イスラエルとて、好んでやっているわけではなく、どのような民族であれ、軍事国家はつねに拡大政策を採るものであり、そうしないと瓦解しかねないから、国家の存続を諦めないかぎり、この負の連鎖はつづくでしょう。そして、オスロ合意が、〇四年のアラファトの死と〇六年のイスラエル軍のガザ・レバノン侵攻で水疱に帰した後、PLOを基礎として発足したパレスチナ自治政府は、和平への交渉も行きづまり、もはやどうにもならぬ中で、パレスチナ人は最後のインティファーダ(蜂起)の手段として、有効な方法は、投石にすら銃弾で応じる軍隊に対しては、もうテロに踏み切るざるをえない。ハマスとファタハ系PLOのアルアクサ殉教者旅団が若い人を使唆してインティファーダを自爆テロ戦術の激化に踏み出す。イスラエルも対抗して全面戦争となる。〇四年にアッバース氏がPLO議長に選出されてから、彼は反テロの穏健派ですから、こうした不毛な血なまぐさい民族間対立は、将来的に、なくなる可能性はあるでしょう。

しかしながら、国家の中に内戦状態を常にかかえている国において、先述したような入れ子細工のような差別意識が依然として連鎖的に残っているのは、展望として、かなり危険な気がします。
私には、それは戦前の、神州日本を唱えていた大日本帝国が有していた軍国主義に裏打ちされた倨傲の精神に似たものを感じとり――日猶同祖論などとは別に――、二つの国民には、かなり似通ったものがあるようにさえ、思えてなりません。理由のない傲慢、というか、非常に自己中心的な覇権主義というか。それで日本は一度は亡びかけたのです。イスラエルが、「周囲を億というアラブに囲まれながら」存続する、神経症的な軍事国家であり続けることは、いつまで可能なのでしょうか。
すでにソ連も冷戦構造も五五年構造の崩壊も目の当たりに見てきた私には、たとえ核武装しているとしたとしても、イスラエルにおいても、また中東全域においても、永遠に、この「今」が続くとは、到底思えないのですが――。

イエスの生誕を予型している、とされるイザヤ書の聖句「見よ、乙女はらみて子を生まん。その名をインマヌエルと名付けるべし」(同書第七章第十四節)とは、預言者イザヤが当時のユダ王国の王アハズに対して、イザヤの長子の名として神が名付けられた預言ですが、「インマヌエル」の意味は「神は我らと共にある」を表します。ところで、つづくイザヤの次男の名は「マヘル・シャラル・ハシ・バズ」で、この意味は「分捕りは早く、略奪は速やかに来る」を表します(同書第八章第一節から第四節 新共同訳)。
この背景には、祖国存亡の危機に際し、預言者イザヤはアハズ王に対して、「堅忍よく国土を守り、自立していれば、同盟する諸国の軍がユダ王国を守ってくれる、だから軽挙妄動するな」と、いさめているのですが、結局、アハズ王は預言者の言葉を信じ切れずにアッシリアに走り、結果、ダマスカスもイスラエル(元の北イスラエル王国も)も征服され、ユダ王国も荒廃し、やがては新バビロニア帝国による捕囚の運命となるのです。

その時の次男の名、「マヘル・シャラル・ハシ・バズ」が、その意味として「分捕りは早く、略奪は速やかに来る(英語:Hurry to the spoils!" or "He has made haste to the plunder!)」と両義的であるのは、なんとも象徴的です。私と同期のSF作家、神林長平氏は、そうした来歴を知った上で、この名前を未来の宇宙戦争における無敗の戦車の愛称に使っているのですが(「今宵、銀河を杯にして」(八七年 徳間書店刊))、かつて巨大な帝国の前に、なす術もなく、敗滅してゆく民、それは今はパレスチナ人でしょう。だが、いつそれが逆転して、イスラエルの将来となるか判りません。そうならないためにも、民族の融和と差別の撤廃は不可欠だと思うのですが、戦乱はまだ中東に暗く風雲を告げ、未来は本当にお先真っ暗の状況です。

七〇年代のいつだったか、すこし記憶が曖昧ですが、私は、あるTV番組の最後に流れた、女性ボーカルでパレスチナ人の歌を聴いたのを憶えています。「Can't you hear the voice of Palestine(カントゥヒアザボイスオブパレスタイン)」と高校生でもヒヤリングできるほど訛った、英語の曲でしたが、曲名も歌い手も判りません。悲愴な響きを持つあの歌が聴かれなく日がいつ来るのか。その日が来ないかぎり、中東に和平はなく、ましてや、イスラエルにも平穏な日々はけして訪れないだろう、と思います。

表面的に調べると、アム・ハ・アーレツの記述は、凡ミスのように見えますが、意外と根は深いとも思われます。
ベンダサンは手ごわい相手で、なかなか一筋縄ではいかないようです。


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