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ウンコ味のカレーか、カレー味のウンコか、それが本日の議題!

クリスマスに読ませるのは良くないと思い、年末年始に出すのもダメだと思ったけれど、いつ読んでも汚い。出しちゃおう。これ読んでるあなたは2021年、運が回ってくると思う。不快にさせたら謝ると同時に私があなたの運が尽きないよう便通が善くなるよう願っておきます。






うちのトイレはボットン水洗だ。でかいパイプを引っ提げた車が定期的に複数人分の人糞を汲み取りに来てくれる。
私が水の溜まった便座から浮いてくるウンコを目撃したのは、コミュニケーション不足で私達がしばらく彼らを呼ばなかったせいだ。

もうしばらくカレーが食べられないなと思った。その日は何か清い色の料理をしようと思った。シチューだ。シチューがいい。だが、私はスパイスをテキトーに入れてトマトで煮込んだちょっとオレンジ色のカレーを作るのが大好きだった。インド人って言われると結構怒るバングラデシュ人と日本人に想いを馳せながらいつも作ってたんだ。私からチキンカレー作りの趣味を奪うなんてウンコだ。


友達に見たものの話をしたら同情っぽい顔を見せてくれた。汚いシェアパピをしたお詫びにシチューをお見舞いすることにした。


シチューを作り始めた。牛乳を買い忘れてしまったから、小麦とバターを水で練らなければならなくって、期待していたホワイトにならなかった。白っぽい中華丼色をしていた。味も微妙に変わるけど美味しいからノープロブレムね。


シチューを作っている最中に、日頃の行いが良すぎる友達のお陰で近所の人からお手製カレーのお裾分けが届いた。なんてクリスマスプレゼントだ。カレーのトラウマはカレーで上書きせよとサンタクロースが言っている気がした。

少し一口目に躊躇した。が、上書きできた。

カレーは美味しい食べ物である。そもそも私が目撃したのはカレーではない、ので、ノープロブレムである。




汲み取り業者は予定より一日早く来てくれた。伝票に「400リットル」と書いてあって理解できなかった。冬でよかった。冬のウンコは臭くないらしい。もしも夏だったら町のウンコハウス扱いされて、善意のカレーは届かないかもしれないし、逆に悪意のカレーが届くのかもしれない。


難なく糞な記憶を上書きできたのは、嗅覚へのダメージの少なさだけではなかったかもしれない。

ウンコで連想することといえば、自由意思についてだからだ。

ひろゆき氏の配信を最近漁ってみたら、人間に自由意思があるかないかという視聴者からの質問に答えていた。氏の周辺にはウンコは口に入れてはいけないという洗脳じみた常識に逆らって、“ウンコ食う派”が存在するらしい。氏自体は常識に囚われた“ウンコ食わない派”らしいが、“ウンコ食う派”の「ウンコを食う」という意思決定は自由意思ではないかと話を展開していた。


もう一つ、ウンコを関連付けた自由意思のお話、とある人から教授されたといか質問されたことがある。

ウンコ味のカレーとカレー味のウンコどちらを食べるか。

世の中のウンコ食わない派の皆さん、ピンチ。


究極の質問って称されるのは巷に溢れている。究極じゃなくても2つの選択肢を並べられたら、人はそのどちらかを進んで選ぼうとしてしまう。そこに自由意思はあるだろうか。ここでウンコ食う派の気持ちになってみよう、ウンコ味のウンコはありますかって言うかも。

さて、ウンコ食わない派の私のアンサーは?


・・・


美味しいバターチキンカレーを作って食べたい。あのバングラデシュ人と再会するとき、スパイスの調合とカルダモンが買える店について聞いて来る予定だもんね。

ウンコ味のカレーもカレー味のウンコもウンコ味のウンコもノーセンキューね。






ずっと下書きのとこに溜まってたからこんな記事出すけども。
本当に誰かと今シェアハピしたかったのは、進撃の巨人、自由意思ある?よね?っていう考察です。


下書きは出してこ🐣










読んでくれてありがとうございます。