9/13日記:VSオタク

高校生の頃、父親に「劇場の千秋楽一緒に来てくれたら1万円あげる」と言われたことがある。買収に踏み切ってまで娘を連れ出す目的とは一体何だったのだろう。
AKBにハマっていた頃の父は厄介だった。脳がAKB一色になってしまい、他人に押し付ける、本業を疎かにする、平気で内輪ノリの恥ずかしい発言をする、周囲がいくら諫めても気にかけない等のにわかオタクムーブが留まるところを知らなかった。女子フィギュアにハマっていた頃も私の学校の新体操部にハマっていた頃も同様に迷惑だったが、一点違うところがあるとすればどうやらオタク友達が出来たらしかった。今まで友達がいない事を散々母になじられていたこともあり、出かける際はどこか誇らしげに「友達と食事してきます」「推し事行ってきますw」と報告されるようになった。外と交流する分仕事をめちゃくちゃサボるようになってしまったので母からしたら皮肉だろう。なじる方もどうかと思うが。さておき趣味を通じていい出会いがあったとしたらそれは僥倖というものだろう。そんな気持ちのもと、父による有無を言わせぬ語りと布教を時に耐え時にかわしつつ、生暖かく父のオタ活を見守っていた。
そんなある日、父が急に相談を持ちかけてきた。「千秋楽のライブにどうしても行きたい。ファミリー席ならチケットが取りやすくて手に入った。頼むから一緒に行ってほしい」とのことだった。
これまでも何回かライブに誘われていたのだが全て断っていた。興味がない以上同様に断ったのだがその時はやけに食い下がってきて、ついには、そこまで言うなら・・・。バイトと思えばいいか・・・。という気持ちでOKした。しかし覚悟が甘かったことを後に思い知る。
秋葉原のAKB劇場には気合の入った成人男性が密集し、「オォオオォ!!!千秋楽行くぞッ!!!!」みたいなことを絶叫していた。既に帰りたかったが、父親をチラッと見ると「○○ちゃん超絶可愛いよ!!!!」とコールしていた。駄目だこれ。幕が開き、ファイヤー!!タイガー!!などとオタクが咆哮し、それ以降ほぼ気絶してしまい記憶がない。自分がこんなに他人の大声が苦手だったとは知らなかった。中学生くらいのすご~く若い女の子がホットパンツとウエスタンブーツで踊っていた気がする。トップライトで白い太ももが照らされていて、女子校で見慣れたはずのそれとは違う印象が焼き付いている・・・ような気がする。気が付くと講演は終わっていて、握手して帰ってちょーだいとのアナウンスが流れていた。先ほど舞台で踊っていた人っぽい人達が縦にズラリと並んでいて、順番に握手してくれる。私は後半ピクリとも動かなかったので印象が悪かったのだろうか。0.5秒握ってポイッと投げられたり、逆にギュッと握られて微笑みかけられたりした。その間も自分はカチカチに固まっていた。萎縮しきっていたとはいえ、アイドルの人達には申し訳なかったな。
劇場を出ると、「どうだ、案外良かっただろ!」と父が言う。ふつふつと怒りが沸いてきた。楽しかったのはお前だろ。私は気絶してたわい。このしょーもないオヤジについてきた自分の早計を悔い、甘えを恥じていると、前方から一人の男性が近づいてきた。どうやら父のオタク友達のようだった。2人は私を差し置いて話し込んでいたが、不意に「一応うちの娘w」と紹介された。依然ムスッとしていたので印象が悪かったのだろう。オタク友達は本人を前に、「へぇ・・・。なんか中学生みたいですねw」などとのたまった。私は失礼な態度にブチ切れ、その場で父親に1万払わせて帰った。結局最悪の経験になった。今となっては下らない思い出だが、これ以上なく父を象徴するエピソードにも感じる。もし今だったらいくらでも上手くやれるだろう。アイドルもオタクも喜ばせることもできるし、うまく逃げることもできるし、友達に毅然と言い返すこともできる。父から2万巻き上げることも出来るだろう。

未熟だからこそ体験するはめになった記憶。そんなものが案外自分に深く根差していたりもする。

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