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ジャーナル+リズム

 スイミングスクールのバスが来るまでには、まだ時間があった。
 バス停に向かう途中のおもちゃ屋の前に置いてあるガチャガチャ。今日こそ当てるぜ、トリプルSランクのジョージ・オーウェル(一九八四年 バージョン)。
 愛を込めて祈りで回す、おれのジャーナル・ガチャ・リズム。
 えいっ!

 「いま探してるような本も、大勢に望まれたものだけが大切な世界だったら、きっと残っていなかったと思う」-To Heart-
 もう持ってるやつが出ちゃった。今日は、あと三回出来る。
 続けざまに、えいっ!

 「屋外の動物たちは、OLから人間へ、また、人間からOLへ目を移し、もう一度、OLから人間へ目を移した。しかし、もう、どちらがどちらか、さっぱり見分けがつかなくなっていたのだった。」-常時・OL[OLの嬢]-
 あああああああ。
 落ち着け、落ち着け。まだ、あと二回残っている。
 握っている手が、湿っていることに気がつく。そういえば家の鍵閉めてきたっけな、と急に思い始める。どうせ、大丈夫だろう。どうせ……。
 今まで、どうせと思って何度も失敗してきた小学五年生のボクじゃないか。どうせ、はダメだ。でも集中しないと。
 ポケットから友人のムナサワギ・カンジロウに貰ったチョコレートを取り出すと、包み紙を開いて口に放り込む。
 口に含んで噛まずに溶かす、おれのジャーナル・チョコ・リズム。
 ポリフェノールを摂取した未来のボクの血糖値が下がって、未来からすれば過去である現在のボクの肌は空気の重力を感じている。
 えいっ!

 「世論のために闘う機会を持たないならば、世論は存命しえない。」-トーマス・マン(魔の山エディション)-
 これは持ってないやつだ。
 もっと良い運気の方向に、自分で自分の背中を押す。
 見えぬ時間(とき)まで想いを馳せる、おれのジャーナル・ユメ・リズム。
 えいっ!

 …………。
 しかし、しばらく経ってもカプセルは出てこなかった。そして、もうバスが来る時間だ。
 おもちゃ屋は休日で、すぐにガチャガチャを直してくれる状況に無い。もう少し待ってみたら、時間差でカプセルが出てくるかもしれない。
 でも、もう行かないと。世界と遅刻が、天秤の上に掛けられて揺れていた。
 でも、もうわかる。だってボクは小学五年生で、これまで10年間生きてきたのだ。これは次の人がここに来た時に、カプセルが出てくるということを。
 これはボクが取るカプセルではなくて、次の人が取るカプセルなんだ。ボクは次の人が取るために回した。それがボクにはわかるから、このまま迷わずバス停に向かって走って行くことの出来る10歳であった。
 それは振られるであろう女子に告白をして、予想通りに振られた後の帰り道のように。瞬間的な悲しみよりも、清々しい気持ちの方が上回っている。
 通りを駆けていくボクに降ってくる光。その太陽の日差しの向こうで、この後スイミングスクールで泳いでいる自分の姿さえ浮かんでいた。一つの小さな街の中にある、一つのプールの中の一つのレーンで。
 ああこのボクに、心の流れを、時の距離を。

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