人を威嚇して言うことを聞かせること

これをする人が嫌いだし、したことを自慢する人はもっと嫌いだ。嫌い以上に怖い。威嚇が快楽になっているみたいで。
「痛い思いをさせてやらないと効き目がないんだ」というのが彼らの主張なのかもしれないが、本当に効き目があるのか疑問に思う。

高校生の頃に読んだ『ホットロード』という漫画で、主人公の友達のエリという子の「昨日母親にぶたれたんだけど、なんでぶたれたのか覚えてない。なんでぶたれたのか覚えてないんじゃ意味ねーじゃんね?」みたいなセリフがずっと忘れられない。
私は小さい頃、祖母に柱に縛りつけられて縄で叩かれたことがある。しかしなぜそういうことをされたのか、全く覚えていない。私が悪いことをしたのでその罰として叩かれたというのは分かるのだが、その「悪いこと」が何なのか思い出せない。今では人に話して笑いを取るか、毒親ならぬ毒祖母に育てられたのねと同情を買うためのエピソードにしかなっていない。しかし、私が悪いことをしたからいけなかったのだ、厳しいことをされても仕方なかったのだとはずっと思っていた。
『ホットロード』を読んでいて前述のセリフに出会った時に初めて、あれはおかしかったのだと気がついた。私が悪いから仕方なかったと「思っていた」のではなく、罰として受けた行為のショッキングさによって「思わされていた」のだと気がついた。

こうした自分の経験に基づいて言うと、威嚇や過剰な罰が相手に残すものは、教訓よりもトラウマなのではないかと思う。そもそも日常生活で相手を威嚇してまでやらせたいことなどゼロに近いし、あったとしても自分でやるか別の方法を取るだろう。濃密な人間関係から逃げているとか闘争心がないとか言われても、私はできる限り争いを避けて生きていきたい。威嚇の最も進んだ形って「戦争」なんじゃない?

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