1月に読んだ本と感想(途中まで
1.人間の条件(ハンナ・アーレント)
加藤典洋の敗戦後論を読んだのがきっかけで手に取ってみた。政治/社会とは何かを古代ギリシャを出発点として〈活動〉と〈労働〉と〈仕事〉に分けて考察を進められていく内容。活動は政治について、労働は生命について、仕事は文化についてといったところ。今読むならこの中では活動が上位だと考えられているがほんとうにそうなのかと問いながら読んでみると面白いのかもしれない。
2.ゼロ年代の想像力(宇野常寛)
ゼロ年代のサブカルチャーを社会分析と重ねたもの。強く言及されているが東浩紀の動物化するポストモダンにおける美少女ゲーム史観をどう乗り越えるかという問題設定がなされていると感じた。現実(中間領域)を排したセカイから現実(共同体)の回帰へ。0年代のテレビドラマ論などは僕は全く知らなかったので割と面白かった。10年代は何が残された可能性だったのかを誰か書いてほしい()
3.リプレイ(ケン・グリムウッド)
テレビ局勤めの冴えない中年男性がある日いきなり25年前の大学生の頃に戻ってしまう。死ぬたびに25年前に何回も戻る主人公が選ぶ道とは......といった内容。ループそれ自体に意味を持たせるというものではなくループする中で主人公がどんな選択を選ぶのかという部分に焦点が当てられている。最初は競馬や株でお金持ちになり人生を終えるが、経済に支えられたフラットな世界に次第に飽きはじめ、何週もやり直すうちに哲学的なことを考えてみたり作家になったりする。微妙に物語の出口が示されているが明確に記述されていないせいでもやーんとした読後感だった。ループそのものに意味を持たせるタイプが好きなのであまり合わないと感じた。
4.シュルレアリスム宣言・溶ける魚(アンドレ・ブルトン)
ぼんやりと美術にも興味があり一番好きなのがシュルレアリスム絵画なので読んでみた本。はっきり言ってさっぱりだった。オートマティスムについてなど知っている箇所はふむふむと頷きながらページをめくっていた。僕は純粋な偶然や精神には興味がなくて(このブログを書く前に読んでいたバロウズを途中で投げ出したことも関係あるのかな?)そこに意識を通した時に出てくる歪んだイメージに興味があるんだなーと思ったり。というか絵に落とし込まないと反応できないだけなのかもしれない。日本語が読めない人なので......
5.マルドゥック・スクランブル(冲方丁)
運命を右に回す話(読んだ人ならわかるはず)。サイバーパンクの意匠を用いたsfガンアクション作品。勧善懲悪ものであると同時になぜ人は悪事(あるいは暴力)をしてしまうのかというサイバーパンク的な自我の問題にも踏み込んでいる。世界観だけでエンタメ好きな人ならまず楽しめる作品になっている。アクションものであることは間違いないが個人的には途中のカジノ編(特にルーレットで賭ける部分)がグッときた。その意味では嘘食いやカイジなど好きな人にもおススメできそう。新編版と旧編版があり今回は新編版を読んだ。どちらも違った?話らしいので時間があるときに旧版も読んでみたい。
6.道徳を基礎づける 孟子vs.カント、ルソー、ニーチェ(フランソワ・ジュリアン )
道徳という古めかしい言葉をどうとらえ直すかという本。近代哲学(カント以降)が道徳を倫理と分けた時に十分に分けきれなかった(道徳-宗教を密輸してしまう)問題はカントに影響を与えたルソーの憐みが十分に定義されなかった問題(それはショーペンハウアーに大きく表れる)を通してニーチェの思想の中で告発する形で完成をみる。つまり、西洋は超越を外部に設定した結果宗教が通用しなくなってしまうと道徳は言葉遊びに堕ちてしまったのである。では孟子はどうだろうか。古代中国思想では超越が内部に設定されたため(西洋ではイデアという対比するものが発見された)道徳は定義することができないが(これは道徳が王のための規律という形で表れているように感じる)情に訴えるような輪郭を伴わないがゆえに人々が信じることができるという今の僕たちからは(僕だけ?)歪んだものとして道徳が捉えられるようになった。これはどちらがいいという話でもなくどちらもあり得るということであり、人間はそういう生き物(カントの物自体の対象を人間にも適用させたような?フーコーの超越論的経験的主体が近いように感じる)なのかなと思いながら読んでいた。身体に訴えかけてくるようなスッと入ってくる孟子の憐み(ルソーのそれと近い)についての洞察が効いているせいか予想していたよりも読みやすい本だった。
7.昔には帰れない(R.A.ラファティ)
ラファティの短編sf集。人間って恐ろしーって話から始まって文明が壊れてくーやべーみたいなデカい話が順番に収められてる。人間や文明の何かが欠けてしまった世界や逆に何かが過剰になりすぎた世界を描いている。翻訳者の一人は理解にあまるという言葉を残している通り人を選ぶ作家であることは間違いないだろう。ホラー好きな人は合うのかな?とかってに思ったり(ホラー苦手なのになぜw)。ちなみに僕は好きです。
8.消費社会の神話と構造(ジャン・ボードリヤール)
大量生産/大量消費とは何か。この本はそのような消費社会を魔術的に分析するである。生産されるから消費される/消費されるから生産される、これはどちらが正しいだろうか。この鶏と卵的問いにたいしてボードリヤールは精神分析的な手法を取り入れれ、ズラしながら答える。ここでは、ラカンの対象aを思い起こすような欲望の欠如を社会の無意識ととらえた時に物語(神話)が始まる。この社会ではもはや鶏も卵もただの記号であり、生産の実態は「消費の影」のようなものとして捉えられる。ここには豊か故に貧しいという逆説が未開社会の分析を通して見出されるという事実が神秘的な世界を現実に引き寄せるだろう。あるいは消費してないない振りをふるためにより大量に消費するという歪んだ欲望がメタ消費という形で現れるだろう。社会学、経済学、哲学が混じったなんだか不思議な本である。
9.先祖の話(柳田国男)
大きなものに縋ろうとする姿勢は時に人を惑わせる。特に死生観についてはその戸惑いは大きなものとなるだろう。柳田の危機感に照らし合わせれば戦死者の慰霊はどのようにして可能かという問題意識と繋がるだろう。柳田は自らの祖を辿る時に(摂政政治で有名な)藤原氏を(系譜図としては正しいが)祖先とは考えない。藤原家の分家のまた分家を幾つか繰り返した末に柳田家が創設され、そこで柳田は祖先が生まれたという。この本は常にこのような先祖は大きなものではなく(天皇に同一化する右翼のような)、身近で自分たちの身体とどこか結びつくような存在として認識しろというメッセージが見て取れる。ここには神道と仏教の差、あるいは民間に伝統的に根付いた祭りや行事の役割とは何かなどの日本文化が死者を通して形となるだろう。
10.始まりの場所(アーシュラ K. ル・グィン)
読む前はsf小説と思っていたが実際はファンタジー小説だった。主人公の男の子とヒロインの女の子はそれぞれ母親との関係がうまくいかずにいる。町のはずれにある森をくぐると人間とは違う種族が住んでいる別世界にいくことができる。異世界を救うために竜を退治する旅に2人は出ることになる。この竜は敵であるとともに母の影でもある(竜の姿かたちが特徴的)。僕が読んだ訳だと解説が非常にクリアで寧ろ本編は読まなくてもいいのではないか?ぐらいだった。ファンタジーをどう読めばいいか勉強になる本である。
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