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予定はあくまで予定です

前回の投稿、たくさんのスキをありがとうございます。

さて、今回は年末から今に至るまでのことをお話させていただきます。かなり長いので暇つぶし程度で読んでいただければ。その前にまず、前回紹介していない部分の自己紹介をしますね。

仕事か結婚か

私は大学を中退して、福岡の制作会社に就職しADとして仕事をはじめました。
有難いことに、上司から「向いてると思う」と言ってもらえる仕事でした。そういうのって自信がもてるから、楽しいですよね。本当にそれでした。辞めたいと思ったことは、1回しかありません。(1回はあるんですけど...笑)

3年目になると、次へのステップアップの話が出てきます。
ディレクターになるか、結婚して寿退社するか....。

24年生きてきて、多分1番迷う選択でした。

それでも結婚を選んだのは、
『ここで結婚しなかったら、多分これ以上の人とは結婚出来ないし、結婚しない』と思ったからでした。
運命のなめらかプリン”は、やっぱり強かった。笑
(前回の記事を読んでください)

当初の予定

2022年1月11日に入籍することは決めていました。

・友引、天赦日、一粒万倍日、天恩日の縁起のいい日が重なっていた
ゾロ目で結婚記念日を忘れないため

そこから逆算して、年内で仕事を辞める。
年明け福岡から香川へ引越し、入籍の流れでした。

12月下旬

12月22日の朝、彼から着信。
平日の朝にしかもLINE電話じゃない、普通の着信
誤発信かな?と思いながらも、なんだか胸騒ぎがしたので応答しました。こういう時って、本当に胸騒ぎがするんですね。

彼「.....もしもし?あの...事故って、救急車で運ばれよる......わからんけど、また連絡するね」

自分がどんな風に返したか正直あんまり覚えてなかった。
覚えてたのは、少し間がありながらも一定の彼の声と、その後ろでうっすら鳴る救急車のサイレン。
離れてるからすぐには行けないし、仕事中。
会話は出来たから多分大丈夫、と余計なことを考えないように言い聞かせながら仕事をこなしました。
でも本当は、今のが最後の会話になったらどうしよう...という不安が隅っこでグルグルしてました。

お昼ごろ、彼のお父様から電話があり、命に別状は無いこと、全治2ヶ月の複雑骨折で入院が必要だということを聞きました。
この時、本当にほっとしました。生きてた、良かったって。

ただ、時期が時期でした。
私は向こう2ヶ月がどうなるのかわからないまま、翌々日の24日に仕事を退職しました。

退職祝いで頂いたもの

さて、どうしようか?

彼は実家がある愛媛の病院に転院し、2回手術をしました。
そのうち1回は10時間かけた大手術でした。
本当に不安だったと思います。
ただ、コロナのせいで身内しか面会することができませんでした。傍にいてあげたかったのに。

結局、私は退去日が決まっていたため、長崎の実家にすべての荷物を運びました。

事故があって、全部の予定を決め直すことになった時、このまま結婚の話が無かったことになるんじゃないかと不安になりました。それはきっと彼も、もしかしたら私以上にそうだったんじゃないかと最近になって思います。

安心したい、夫婦になることで、頑張れる気がする。
2人で話して、予定通り入籍することにしました。

夫婦になった日

その日、早朝に出て愛媛へ向かいました。
お昼過ぎに到着し、彼のお母様が迎えに来てくれました。
そのまま、お義母様と一緒に役場へ行き、婚姻届を提出しました。なんだかとても緊張しました。笑
昔から思い描いていた婚姻届の提出とは全然違う形。
本当に人生何があるかわからないなぁと思います。

その後、彼の病院に行きました。
ただ、コロナのせいで数日前から面会全面禁止になってしまい、会うことは出来ませんでした。本当に悲しかった。
それでも行ったのは、指輪とこっそり入れた手紙を渡したかったから。形に残るもので彼の支えになりたかった。
手紙を読んだ彼は、泣いたそうです。大成功✌️

その日の夜、彼の提案でビデオ通話をしました。

夫婦になりました

予定はあくまで予定です

正直、未だに実感が無いです。

ただでさえ遠距離恋愛から始まってるし、2人でゆっくり過ごした時間がほんとに短いから、ただただ一緒に暮らせる日が待ち遠しい。

入籍日にビデオ通話で「幸せになろうね」って話をしたのも、
新婚生活を離れた状態でスタートさせたのも、付き合っていた時よりも長い期間会えないのも、全部、「私たちきっと普通の人がしてない経験してるよ」って思い出話にできる日が来るといいなと思います。

たまに「このまま一緒に住めなかったらどうしよう」という、見えない不安にかられます。何にも予定が立たないし、コロナ自体、見えないものだからいつ収まるかもわからないし。
でも、見えないことに怯えてもどうしようもないんですよね。

予定はあくまでも予定なだけで、それが崩れたら、また新しい予定を立てればいい。そうじゃないと多分どこにも進めないんです。
今回、旦那様が事故にあったとき、1回も“結婚を辞める”という選択肢は浮かびませんでした。
旦那様には「足を切断とか、動かなくなるとかだったら考えてた」とは言われたけど、私は「この人がいい」と思ったから、仕事も辞めたし、何もわからない知り合いもいない土地に行くことを決めました。その時点で、到達点は決まっていたのです。(もちろん、旦那様が私のことを思って発言してくれてるのは承知しています。優しい。)

人間だから、ずっと強い心でいることはどうしても難しいし、気持ちが弱ってる時に正論ぶちかまされるのはとても嫌です。だからこそ、弱い時の自分を肯定してあげたいなと思います。その上で、大丈夫だって思えるような到達点(目標や行動)を立てて置きたいな、と。
それを起動力に替えて、日々過ごしてたら、気付いたら目の前に見えてるような気がします。

とにかく1日でも早く会いたいなぁ。
一緒に住むとかもそうだけど、まずは何よりも、会ってちゃんと気持ちを声や表情や態度で全身全霊で伝えたいです。

本当につらつらと近況報告を述べて来ましたが、コロナと予期せぬ事故で1回気持ちが沈んでしまったので、今はこうやって乗り越えたよというのを文章にしてみました。

次回は、何か少しホッとするようなことが書けたらと思います。ここまでの長文を読んでくださったみなさまありがとうございました(  . .)"!!

また次回。

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