モチベーション信仰が嫌い

モチベーション

モチベーション(motivation)とは、「やる気」「意欲」「動機」などの意味で用いられる表現。主に「行動を起こす契機となる刺激や意欲」といったニュアンスで用いられる。
weblio国語辞典

今回はモチベーションについて書いてみようと思います。
このことについて疑問を持ったのが、noteを始めようと思ったきっかけの一つです。

やはり巷では、このモチベーションについて色々議論されており、モチベーションを高くするための方法論などは本や情報としてかなり流通している状況です。

しかし、会社という組織においてモチベーションに纏わる施策を打つことは、私自身一度も行なっていませんし、今後も行うことはありません。

その理由はいくつか存在します。

モチベーションに関わる変数が多い

まず第一に、モチベーションを自身でコントロールすることは難しいと思っています。仕事はもちろんのこと、体調が良くないときやプライベートがうまくいかないときなど、仕事以外の変数も大きく影響するのがモチベーションというものだと思っています。
みなさんも、なんか今日気分が乗らないなと言う日があると思いますが、他人がどうこうできる問題でもないと思います。

会社として存在を認められない

会社としてモチベーションを認めてしまうということは、
「目標を達成できなかったのは、モチベーションが上がらなかったから」
ということを認めければならないということになります。
そうすると、人のモチベーションを上げるための施策を打たざるを得ないという本末転倒な状況を生まれてしまいます。

あくまで、会社という組織は労働の対価としての賃金を支払うというものであり、それ以上でも以下でもないと認識しておくべきかと思います。

モチベーションとどう向き合うべきか

かなりドライな書き方になって、不快になった方もいらっしゃるかと思いますが、私の持論はあくまで会社という組織にモチベーションという概念を用いるべきでない、会社組織に持ち込むモチベーションが嫌いという主張であって、自身が主体としてモチベーションとどう向き合うかについて否定しているわけではありません。

ちなみに私自身は、モチベーションが低いときはサボって、高くなったときに貯金をするようにし、全体として帳尻があった状態を作るようにしています。

前述の通り、変数の多いモチベーションというものはコントロールできないという前提に立っていて、すでに低い状態でなにか対処するということは事態を悪化させるリスクが高く、私自身無理なので、まずはそういう状態を受け入れて、その流れに逆らわないと結論付けています。

つまりモチベーションが低い時あってもいいじゃん仕方ないよね、という主張です。

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