菩提寺にて

父の四十九日である。僧侶の読経や訓話の背景は、静寂に包まれている。
いや、例外はその静寂の中にかすかに響き渡る息づかい。
生まれて日も浅い赤子から発せられていた。私の父の曾孫。姪の息子だ。
お祖母ちゃんである妹の実家経由で連れてこられた彼は、生命の
息吹に溢れていた。枯れて去りゆく命も有れば、これから成長して行く命の芽。
その新たな遺伝子には父の遺伝子が8分の1含まれている。
回りの親族はその可愛さを愛でる。「本当に可愛いねえ。」と。

彼の進み行く未来は果たしてどのような世界であろうか。
あまりにも複雑過ぎるこの環境で認識出来るものは如何ばかりか。
平穏を祈るには僕はあまりにも無責任だ。さりとて無闇に悲観するでもなし。

少子化対策という言葉を聞くようになって久しい。
少子化にあらがうように命を育めと言われても。人はそのために生まれて来て
人口増加に貢献するだけの存在で有ろうはずが無い。
しかし何の為に存在するかと問うのも意味は無い。どうどう巡り。

ただ生まれて来た全ての命もやがては成長し、悩み苦しみ死に直面するのである。
人がひとり生まれてくると言うこと事の側面のひとつはそう言う事ではないか。
時が止まったような新緑が眩しい5月のある日、我が家の菩提寺にて。

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