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社会人半年目の焦り

社会人になってまもなく6か月が経つ。

「どんなにキツくても、苦しくても、少なくとも3年は続けよう」
そう思って始まった社会人生活。気が付けばもう半年。
6分の1が終わってしまった!なんと!

時が流れるのが早すぎて、2年半後、意志をもって「続けよう」もしくは「辞めよう」と判断できる自信すら、正直ない。


知っている人は知っていると思うが、私は今年の4月から公務員(しかもちょっと特殊なやつ)になって、働いている。

ちなみに今は、夏季大型休暇の最終日で、ちょっとセンチである。

仕事は、そこそこ上手くやっている。

体力的にキツいことはある。毎日クタクタになる。体重は5キロ落ちた。
ちょっとは顔とお腹が引き締まってカッコよくなった。

厳しい指導を受けることも日常茶飯事。
でも、指導してくれる人が存在するのは有難いことだ。

規律も命令も厳しい。
でも、理不尽に理由もなく存在する規律や命令なんて存在しない。

ふつうの社会人一年生だったら経験しえないことを経験できるし、
新しい広島という土地で、完全に新しい環境を楽しんでいる。

しかし、ふとした時、いつも放置しっぱなしにしている、ぐちゃっと絡まった何かが、胸の奥の方でつっかえて、息苦しくなることがある。

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自分が、自分の職業/仕事に、アイデンティティを乗っ取られそうになる。

今の仕事はまさに「THE☆ワークアズライフ」という感じもあって、正直、まじめに仕事に取り組んでいれば、そこそこに幸せな生活ができる。

いわゆる平凡で、絵に描いたような幸せな日々を送る自分。
そんな自分を想像しては、なんだかゾッとしてしまう。

そうでなくとも、普段のクソ忙しい平日だったら(この数か月で言葉遣いもやや汚くなった)、モヤモヤしている時間は無駄だ。邪魔だ。パフォーマンスを落とす。
目の前のことをただひたすら、こなして、生き抜くことが最優先だ。

平日働いている時のわたしは、これしか考えていない。
「あと~時間で華金だ!それまで乗り切ろう!」

そして休日は、身近な欲求を満たして仕事に向かう。
「ビール!お菓子!かわいい女の子!」

これが追々家庭ができて、家を買って、なんていう常識的幸福ルートに人生の軌道が重なってきたら、いよいよ社会的承認も得て、すっかり満足しちまうんだろう。

しかし私は、2021年の目標設定をしたブログで、こう書いた。

「3月末には大学を卒業し、かなり管理された組織に身を投げることになります。たぶん、何も考えなくても時間は過ぎるし、むしろ何も考えない方が楽。

しかしちゃんと「生きる」ために、自己を忘却の彼方に追いやることだけはしないように過ごしていきたいと思います。」


予測できていた負の状態に、自らハマってしまっているわけだ。


※補足 仕事に関する価値観について

仕事と自己実現が完全に一致している人、つまり「軍人として成果を残すことで、自己実現する人」もいる。そして職場では当然のように、そのような生き方が推奨・承認される。

しかし現在は、明治初期の日本ではあるまいし、人生100年時代で、かつ個人のWell-Beingが重要視されるような時代である。さすがにちょっと時代遅れであると思うし、何より私の中での仕事は「自己実現そのもの」である一方で、かつ「より上位にある自己実現をするための手段」でもある。

友人のK氏の言葉を借りれば、「人生は一輪の花を咲かせるためにある」。
仕事が人生になる瞬間があっても、人生は仕事にならない。まあどっちも大事。

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簡単な現状整理

この5か月間の変化として大きいのはやはり、
今までの自由な大学生活からの環境変化によるものが多い。

社会人としての立場を強く自覚させられ、
自分の裁量で自分の行動を決定できなくなった。
平日だけでなく、休日でさえもだ。

ちゃんとWILLを持って就職活動して入社したのに、
気付けばMUSTに忙殺され、せいぜいCANの中で頑張って自分を保っている。さて、どうしていこうか。


・社会から隔絶されやすい環境
平日は月曜から金曜まで、朝6時から夜23時まで拘束されている。テレビはない。スマホを見れる時間もかなり限られている。今まで以上にアンテナを高く強く張り続けなくては、仕事以外なにも見えなくなってしまう。

・「私を滅する」に繋がりやすい、「公に資する」という職責

有事の時に人を守るために、日々訓練し生活する。言い換えれば、誰かがしなくてはならない我慢を肩代わりしてお金をもらっている。よって、やりがいを得にくい。日々自分なりの目標を明確にもって、行動を起こしていくことが特に重要になってくる。

・「生活」をして人生を組み立てていく必要性

健全な身体と精神はすべての資本である。学生の頃は、ある程度は無茶してもなんてことなかったけど、今は社会の1ピースとしての責任がある。無理せず習慣化して効率的に成長していく方法が必要。

・忙しすぎる日々と、その防衛反応としての「無思考状態」

無思考って楽チン。悲しいかな、今の職場に「先輩」的ポジションの人が存在しないのもよろしくない。自分から相手を見つけて、自分のアウトプットを聞いてもらう/見てもらう環境を設けることが必要。

・共通の価値観をもつ人々の輪から放り出されたような状況

まだコンフォートゾーンから抜け出せず、自分と違う価値観をもつ人間との付き合い方が難しい。(ほんとにまだ言ってるの???って自分でも思う。)自己開示という点でスタックするのもういい加減やめよう、解決法なんて頭じゃわかってるんだから…。


うーん、こう考えてみると、いま悩んでること全部を「社会人としての悩み」として括るのは間違っているような気がしてきた。

社会人になれば変数が増えて、問題がやや複雑になる部分はあるが、根本的な問題はあまり変わっていない。
そうだとわかれば、ここからは行動を変えて現状を打破していく。

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行動を変えていくことこそ、大変!

ここをもっとこうしたら、現状は良くなっていく。頭だけで考えるのは簡単だ。一方で、頭を使わず、やるべきことをロボットのようにこなし続けるのも簡単だ。

難しいのは、両方を結び付けていく作業だ。ここを妥協しがちになる。

大学生の頃までは、友達を相手にざっくばらんに話したりとか、
コミットメントをnoteに書き込んで更新するとか、
先輩やメンターに壁打ちをしてもらうとか、
否が応でもコミットメントを要求する機会に身を投じるとか、
そういうチャンスがいくらでも転がっていた。

でもやはり、最近はそんな贅沢な状況はない。

あとは職業柄、仕事の話をあまり詳しくできないとか、
プライベートの話を職場の人に話すのにちょっと抵抗があるとか、
そういうのもあって、セルフマネジメントのレベルが格段に上がっている気がする。


アウトプットのハードルを下げる
寝る直前、毎日5分内省の時間をとる。PC開けないし、手帳に書く手間が惜しいから、スマホのメモに記録。シェアしない自分用。毎日の感想日記にせず内省の項目を絞る。

コミュニケーションを通して言語化する

毎週金曜日の夜は、ビール片手に人と話す。ただの飲み会にしない!!!ざっくばらんでいいから、真面目にちょっと本音を語らう時間を作る。言い訳をせず等身大の自分でいる姿を他者に見せる。きよなと夜な夜なよなよなエールを飲もう!

コーチングに課金する

とりあえず体験申し込んだ!困ったらプロに相談。

自分の足で立つのって、難しい。
ちゃんと悩もう、考えよう、答えを出して行動に移そう。

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マッチョなロマンチストであろう

昨日久しぶりにアイセッカーと話して、まだまだロマンを語りたいと思った。自分の現状に満足できていないとか、人生何をしていきたいとか、まだまだ足りない。でも口先だけじゃダサすぎるから。

もう一度自分のネジを巻きなおして、進んでいきたい。

自分で自分の価値を下げるな
言い訳をするな/易きに流れるな/同期を見捨てるな

この二つは、社会人になってから上司に指導を受けた時に言われた言葉。

簡単に見えてめちゃくちゃ難しいことだし、この言葉を人に言える人間カッコいいなと思った。正論を言える人間って、カッコいい。

自分のスタンスを見直して、カッコいい人間になりたい。

2021年の残り3か月半、がんばっていく。

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