23歳脳梗塞デビュー

令和四年八月二十五日、僕は脳幹梗塞で都立大塚病院に救急搬送された。享年23歳であった。死んでないけど。脳梗塞ってジイバア(爺婆)の病だと思っていたから、まさかこの若さで発症するとは思いもしなかった。これは発症時の経緯である。
救急搬送前日の夜、僕は会社の同期と社内プレゼン大会の打ち上げをしていた。ド平日だったものの、三度の飯より飲み会が好きな僕はウキウキで新宿に足を運んだ。いつも通り馬鹿みたいに呑み騒いで、僕は一軒目の時点で特攻隊長のようにパッキパキに酔い潰れてしまった。そして健康体の僕の人生は幕を閉じることとなる…
次に目を覚ましたのは、カラオケルームの床だった。「なんか臭えなぁ〜〜」と思ったら、結構な量のゲボを吐き散らかしていた。多分ゲボまみれの僕はテーブルの下へ下へと格納されていったのだろう。さて、いくらゲボにまみれていようと流石に僕も椅子に座って歌いたいものである。よいしょ、と起きあがろうとした時に異変に気づいた。なんか力が入らなくて身体を起こせないのである。あと僕は誰かに踏まれていた。許さん😡ベロベロの僕は身体の違和感は気にせず「踏んづけられてて立てないよぉ🥺」とか思っていた。アホすぎで泣ける。そしてなんやかんやあって同期Y、Gに介抱されながらタクシーでY宅へ強制送還されたのだが、ここでもいくつか異変に気づく。
異変①
水を飲めない。
「水飲め」とペットボトルを渡されたのだが、飲もうとしても飲めない、それどころか口元に飲み口を運ぶことすらできないのだ。結果、僕は水を飲む代わりに深夜の新宿で水浴びをしていた。ゲボ+水が滴る怪物の誕生である。
異変②
前後不覚
ゲボまみれの男を乗車させてくれる優しい運ちゃんもいるもんで、僕は運良くタクシーに乗車できた、というより同期Yに押し込んでもらった。「座席座りや〜」とYに促されるものの、座席がどこにあるのかわからない。「わからない」と一言で書いても伝わりづりと思うのだが、本当にわからない。脳卒中になった人が「自分の部屋から出られない」と訴えることがあるそうだが、多分同じなのだと思う。いつもならタクシーの座席はココにあるとわかっているし、経験的に座席の位置を理解しているはずなのだが、いざ座ろうとすると「?どこにもないやん。てか今身体の向きどうなってるんや?」となってしまう。そのため僕は、大人しく地べたに体育座りしていた。
異変③
左半身が動かない
左脚に力が入らないから歩くことはおろか、立ち上がることもできない。左腕にも力が入らないから地面を押して身体を起こすこともできなかった。オモチャがついているのかと思った。タクシーを降りてY宅まで5分程度の距離だったが、Yにひきづってもらい転び、ひきづってもらい転びを繰り返して結局1時間くらいかかっていたと思う。75kgのゴリラを運搬するのはさぞかし大変だっただろう。満身創痍の状態でY宅にて眠りに就いた。部屋まで移動できなかったので、玄関で寝させてもらった。こんなにも面倒な人間を見捨てず持ち帰ってくれたYは本当に命の恩人です。シェイシェイ。

さて、これらの異変を感じながら僕が導き出した結論は「今日は過去一酔っ払ってるなぁ〜〜」だった。本当にお馬鹿さん。
一晩寝れば治るべ、と思っていたが現実はそう甘くなかった。翌朝目を覚ましても、左半身が動かない。「おうひごおやうおうかあ…?(今日仕事休もうかな…?)」ついでに呂律も回っていなかった。とりあえず休むことをYに伝え、少し様子を見ることにした。夕方には何事もなく帰宅できることを信じて。しかし、全く良くなる様子もない。ジワジワと焦りが生じ、11時頃、Yに救急車を呼んでもらう。その後はトントン病院に搬送され、MRI検査、担当医に「脳梗塞だね〜ついでにコロナ笑」と言われ、無事にICU(集中治療室)にぶち込まれたのであった。
to be continued…

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