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「僕は僕の書いた小説を読みたい」作家紹介① 神谷京介さん

こんにちは、はじめまして! note文芸部のまるぶんです!

まるぶんは主にTwitterでの広報活動を担当しています。文芸部と関係なさそうなツイートも多いけど、15回に1回くらいは大事なお知らせをするので、ちゃんと全部チェックしてね! 

ちなみに普段は死んだ顔でTwitterやYouTubeを徘徊したり、Wikipediaを漁ったりしてるよ! さっき読んだWikipediaは「倉敷チボリ公園」だよ!

もう喋るなって? はい承知してます! すぐ紹介記事のライターと交代するので、ちょっとだけ説明させてね!


当、 #note文芸部 では一緒に活動してくださる作家さんを募集しています! その案内はこちらの初回記事をご覧ください!


昨日から始動したばかりにも関わらず、現在なんと30名近くの方が入部希望として手を挙げてくださっています……!! 
予想以上に反応いただけて、また「楽しそう!」とも言っていただけて、本当に本当に嬉しいです!

そして参加される作家さんについては、一人一人を紹介させていただく「作家紹介記事」を作成します!
数人まとめて、とかではなく、本当に一人一人。
今日はそのサンプルとして、文芸部運営スタッフの一人、神谷京介さんを取り上げます。なるほどこんな感じで私たちも紹介してくれるんだなーっとイメージしてくだされば幸いです。



たくさんの #note文芸部でやりたいこと を集めて実現していくのと並行して、こちらの紹介記事を地道に、時間はかかるかもしれないけれど、丁寧に作っていきたいとまるぶんたちは考えています。

というのも文芸部が一番大切にしていることは「企画をたくさん進めてとにかく楽しく盛り上がる!」でも「プロデビューを目指して切磋琢磨する!」でもなく、自分らしく書き続けたい をみんなで続けていく! だからです。
全員が違う場所で、違う価値観を持って書き続けていることそのものを応援したい! なによりそんな想いを根っこに持った活動なのです。

なので、もちろん作風の好みなどがあることは承知の上で、文芸部を一緒にやりたい! と手を挙げてくださった作家さんが、
どんな場所で、どんな想いで、どんな作品を作っているのか を皆さんに伝えていきたいと考えています。そこから新たな作品や作家さんとの出会いにつながればもう最高です。よってシェアやコメントも大歓迎だぞ。





さてそれではそろそろ本題の紹介記事へ。
今回のライターは、noteで育児エッセイや小説などを書かれている作家のはるさん。文芸部運営スタッフの一人でもあります。




ぜひお試しに読んでみてください。そしてあなたも、一人の作家としていずれ丁寧に紹介させてくだされば嬉しいです。
では!



     ◆◆◆



本日は、私が大好きな作家さんを作品と共にご紹介させて頂きます。

神谷京介さん。

時間と言葉を越えて、心の奥に届く。不思議な感覚を味わいながらも、確かにそこに在る手触りを感じられる。そんな素敵な作品の数々をご紹介します。


まず始めに、神谷さんの日記から紹介させてください。


『神谷京介と僕』 2019.9.12の日記

僕は僕の書く小説を読みたい

この一文を読んだとき、心の底から格好良いと思いました。様々な葛藤が垣間見えるこちらの日記には、神谷さんの作品作りに対する想い、作家活動の原点が正直な言葉で綴られていました。

ご自身の作品を愛している。登場人物たちを愛しく想っている。生み出された子たちの幸せを、切に願っている。それはとても素敵なことで、正直この日記を読んだとき強い嫉妬を覚えました。私は自身が生んだ作品を愛してはいるけれど、こんなふうに優しい眼差しで登場人物たちを見つめてこれたことはなかったように思います。活動初期に至っては、彼らに名前すら付けられない始末でした。命を吹き込む作業。それがどうしても出来なかったのです。

時空を越えて、言葉を越えて、それでも心の奥深くに届くものを書けるのは、作品に対する底知れぬ愛情の成せる技なのだとこの日記を読んで強く感じました。



それではいよいよ、作品紹介を始めさせて頂きます。まずは掌編小説(1000字~3000字程度)から二作品をご紹介します。



「彩水(いろみず)」

こちらは、第1回noハン会の小冊子企画の為に書き下ろされた作品です。

子どもの頃に経験された方も多いであろう、色水遊び。懐かしいその遊びの中で生まれる作品と原風景が、鮮やかに描き出されています。何かを生み出すということ。何かを創り続けるということ。それは、生きることと直結している部分なのかもしれません。

みんな、自分なりの痛みや理不尽に折り合いをつけながら、それでも徐々に前を向いて歩いていく、それに焦ってるわけでもなく。

主人公が、「ハンドメイドってどんな気持ち?」と友人に質問をする場面があります。それに対する答えの台詞が、とても好きです。そして、終わりの一文。ここで終わらせるのが神谷さんの強さであり、揺るがない魅力なのだと感じました。


「再生」

今日いちばんの後悔は、一生でいちばんの後悔になるかもしれない。
だけど、もしも明日の朝、またチャンスが回ってくるならば。

白い部屋に黒い砂。そんな朧げな景色がゆっくりと再生されていく時間。夢と現実が混じり合う、少し奇妙なその空間にもしも身を置いたなら、私ならどうするだろう。扉を、開けるだろうか。それとも、その光景をじっと眺めて過ごすだろうか。そんなことを思いました。

引用した台詞を読んだとき、少しどきりとしたのを覚えています。「今」はこの一瞬しかなくて、「今日」は今日しかない。そんな当たり前のことを、優しく突きつけられたような気がしました。



続いて、短編小説(3,000字~30,000字程度)の中から三作品、ご紹介させて頂きます。


「なにも見たくない」

どこにも逃げ場がなかったあのころと、逃げ場をひとつだけ作って徐々に死んでいく今、果たしてどっちが正解なんだろう。

目の前の景色がぐにゃぐにゃに曲がる。声までもが歪む。時空がねじれるようなその感覚にいつしか身体は慣れていき、ただその景色に身を委ねる。そんな時間を過ごす主人公の心の動きが、淡々と描かれています。

淡々としているのに、何故か心が揺さぶられる。静かな水面を眺めていたら、そのなかに忘れられない何かがぬっと顔を出してきたような、そんな感覚に近いです。癒されていたはずのものに、気付かぬうちに吸い取られていた。そんなうっすらとした怖れのようなものを感じました。

主人公の最後の問いかけへの答えを、私は未だ出せずにいます。答えを出せるのは、主人公本人だけなのではないか。そんな気がするのです。


「透明な輪のなかで」

「傷つくなら先回りして傷つきたいって思うとき、あたし針立てちゃうんです。あなたの気持ちなんてぜんぶ読んでやるって。……」

この一文を読めただけでも、この作品と出会えた意味があったのだと思いました。先回りして傷つきたいという、その気持ち。本当は傷つきたくなんかないのに、不用意に与えられる痛みを怖れるあまり、予防線を張るかのようにその細く鋭い針を突き立ててしまう。そんな感情に覚えがある人は、決して少なくないのではないでしょうか。

最終話で母親が娘に対して抱いた感情が、細い針のように私に刺さったままになっています。少し痛いけれど、抜く気にはなれません。むしろ、この痛みを覚えておきたいとすら思います。

親子の話であり、家族の話。目に見えないもので繋がっているその輪のなかで起こるたくさんの出来事。想い、想われる。だからこそ、こんな不思議な時間も起こり得るのかもしれません。


「ココの家族」

わたしは一般的に青春だとか呼ばれる十代のほぼすべての時間を、自室の布団の上で過ごした。

この一文から始まるこちらの物語に、私はあっという間に引き込まれました。

布団のなかで丸まって過ごす主人公の元にふらりと現れた不思議な女の子、ココ。この少女との出会いのなかで、時間軸が少しづつずれていきます。少女の成長スピードは、速まったり巻き戻されたり。こんなふうに時間が本来の動きとずれてくれることを願ったことはないでしょうか。私はあります。止まって欲しいと思ったことも、巻き戻したいと思ったことも。

大好きな人の時間が巻き戻ってくれたこと。
これ以上の幸福が人の生きるうえであるのだろうか、わたしはいまだにわからないでいる。

永遠に繰り返されているのか、それとも刹那の瞬きなのか、私には分かりません。その両方なのかもしれません。命の輪廻が脈々と受け継がれていくようにも、生の時間が重なるひと時が描かれているようにも感じました。

同じ部屋のなかに、もしも二人の自分が存在したとき。あなたなら、どちらの自分を選びますか?



次に長編作品を一つご紹介させて頂きます。55,000字の大作です。

「未来の言葉」

言葉って消えてくけど、未来の言葉って消えてかない
いつでも、見えないし聴こえないけど、そこにあるわけでもないけど、なんだろ、ずっと、消えてかないの

この作品を表す言葉を持ち合わせていないことが、とてももどかしく感じます。時間軸が複雑なのは確かですが、「SF」と一括りにするのも何だか違うような気になってしまうのです。

黒い砂粒が崩れ去る様が、いつかの自分の心象風景と重なりました。未来。過去。現在。時間は本当に規則正しく周っているものなのでしょうか。今目の前にある景色は、間違いなく歪まない世界なのでしょうか。

一瞬で脆く崩れ去ってしまう。そんな儚いものを、無条件に信じ切っている。変化を怖れて殻に閉じこもる。そうしないと不安で生きていけないから。好奇心は時として破滅すら生んでしまうから。でもそれでも、その好奇心を持ってして揺るがない何かを壊してしまうこともあるのが「ひと」であるとも思うのです。

虹色のノートに記された言葉。その言葉を、どうしようもなく愛しいと思いました。ぶかっこうだからこそ、愛しいと。


◇◇◇

以上が、私が選んだ神谷京介さんの珠玉の六作品です。

こちらの記事に、これまでの神谷さんの作品がまとめられています。本日の記事で紹介しきれなかった作品もたくさんあります。どちらでも気になった作品から、お手にとって頂ければと思います。


小説を書くということ。作品を生み出すということ。それは生易しいものではありません。しかしそうせずにはいられない。書かずにはいられない。その一番の理由は「自分の書いた小説が読みたいから」だと神谷さんは言います。

創作を続けていくなかで、きっとこれからもたくさんの葛藤があるでしょう。それでも、私は神谷さんにずっとずっと書き続けていて欲しいと願っています。理由は単純で、あなたの作品を読み続けたいからです。


神谷さんの作品を通して、時空を越える旅がしたい。言葉と心が魔法のように踊っている。そんな世界観のなかを旅しているとき、私のなかにあるどうしようもないしがらみたちから自由になれる気がするのです。


神谷さんの作品は、読むと同時に肌で感じるもの。そして、読み手に合わせて自由に色を変える不思議な世界です。あなただけの唯一無二の旅を、どうぞお楽しみください。


部誌作るよー!!