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2020年度が終わる。そして我が家は。

こんにちは、ノブ(@chemordie)です。本日は2021年3月20日。公私ともに大忙しの年度末で、来季からの新生活に備えています。我が家のメンバーたちも、
子供1→春から2年生
子供2→春から年長さん
子供3→春から保育園入園
妻→春から復職
というわけで来年度は我が家にとってチャレンジの年。その前に2020年度を振り返ってみよう、というのが本記事の趣旨です。

コロナ禍の只中で始まった2020年度

皆さんご存知の通り、今年度はコロナ騒ぎとの戦い、特に新しい生活様式に対する困惑と適応が非常に大きなウエイトを占めました。

子供1の小学校は短縮版の入学式の翌日から登校中止。育休中の妻がいるという理由から子供2の保育園からは登園の拒否を食らい、私も出社制限がかかって家族全員が家にいる状態。

当然、子どもたちは私や妻と遊びたいし、でも私は慣れない在宅業務があります。学校からは大量の学習プリントが配られましたが、1秒も学校で授業を受けたことのない子供1ひとりではもちろん進められません。

妻は懸命に子供たちの相手をしてくれましたが、1人で年齢の異なる3人の相手をするのは困難を極めました。更に、家族全員の昼食メニューを毎日考える&調理するという新しいタスクまで発生し、目が回るような忙しさ。

私もできる限り子供の相手&家事をしたつもりですが、この時期は本当に我が家全員が妻に支えられていました。

登校再開とともに

5月25日に最初の非常事態宣言が開け、登校・登園が再開となりました。これで妻にも落ち着いた時間が取り戻せるかのように思われました。

ここから、子供1の登校に対する拒否反応が始まります。

授業を受けたことのない当時の子供1にしてみれば、家に全員が揃っているのが自然な状態で、1人だけ学校に行くというのは異常事態です。学校に行ってしまえば楽しく授業を受けているようなのですが、その前に登校する、ということに納得出来ていない様子。

翌日の登校が嫌で、前日の夜から泣き出してしまうほど子供1にとっては精神的に負担となっていました。

この期間は我が子以外にも、同様に親御さんと一緒に登校し、校門や下駄箱の所で泣いている子供をよく見かけた時期でした。今回のコロナ禍は子どもたちの心にも大きな爪痕を残したことは間違いないと感じています。

妻や私は毎朝不安定になる子供1と手をつなぎ、教室まで送り届ける日々。しかし私には出社しなくてはいけない日や在宅でも朝イチで会議が入っている日もありました。

ここでも妻が誰よりも頑張ってくれました。ぐずる子供1の手を引き、私が不在の朝は子供2と3も連れて毎朝教室まで送り届け、先生方に頭を下げて帰ってくる日々。どれだけ頑張っても子供1が登校できず、家で休む日もありました。

もちろん私も可能な限り子供1と一緒に登校しましたが、やはり妻にはどれだけ感謝しても足りません。

私も妻も不安でしたが、無理強いしてまで登校させることはしませんでした。学校に行きたくない、という我が子の気持ちは否定せずに、それでも抵抗なく登校できるようになる日を信じて皆で頑張ろう!と決めました。

このあたりの考え方は酔っ払い化学者さんの紹介して下っていた「ネガティブ・ケイパビリティ」の考え方から学んだと思います。どうなるかは分からないことに対してじっと耐えて状況を見守る。我々親サイドの許容力を試される期間でもあったと思います。

2学期に訪れた転機

遠出や旅行に出かけられない生活が続く中、子供たちに何か体を動かせる体験をさせられないかと考え、2学期から子供1&2を水泳教室に通わせることにしました。

学校には抵抗があっても、同年代の子供と触れ合う機会を作りたい、という思いもありました。

また、学校で配布された縄跳びチャレンジカードを攻略すべく、私は子供たちと毎週末ごとに近所の公園へと出かけては縄跳びの練習を続ける日々を送りました。

我が家の子供たちは飛び抜けて運動神経が良い訳ではありません。特に子供1は私と妻の特徴を見事に受け継いだらしく、運動オンチの部類に入ります。

プールは好きですが水に顔をつけるのには抵抗があり、縄跳びは連続3回も飛べない状態からスタートしました。

ここで私が子供たちに言い聞かせ続けた言葉は
「誰だって最初はうまく出来ないんだ。それは悪いことじゃない。でも練習すればきっと上手になる。自転車だってそうやって乗れるようになったろ」
でした。

縄跳びで飛べる連続回数が3回から5回、10回と伸びていき、水泳教室では水に顔をつけられるようになり、水中で目を開けられるようになり、と少しずつ上達していく中で、子供1の登校に対する意識にも変化が現れ始めました。

登校ルールを作ろう

「来週には教室手前の渡り廊下まででバイバイしよう」

「その次は階段までで」

「それをクリアしたら下駄箱まで」

「校門まで」

「学校の手前の信号まで」

これらは子供1と話し合って、どこまで一緒に登校するかを決めたルールです。もちろん学校に向かう途中で不安定になり、最終的に教室まで連れて行くことも何度となくありましたが、

「誰にだって苦手なことはあるし、最初はうまく出来ないんだ。学校に行きたくない気持ちになるのは悪いことじゃない。でも練習すればきっと出来るようになる。」

と、ここでも言い聞かせ続けました。今思えばそこには私と妻の願いも込められていたように思います。

うまく飛べなかった縄跳びが上達し、他の子より少しだけ上手く飛べるようになった頃、子供1は登校を嫌がることはなくなっていました。他の友達と一緒に縄跳びをしたり、大好きなポケモンの話をすることを楽しみにするようになっていました。

私と妻にとって、そして何より子供1にとって、とてもつらかった登校への苦手意識は、こうして終わりを告げました。

二度目の緊急事態宣言

年が明け、1月8日から発令された二度目の緊急事態宣言で、子供2はまたもや登園を拒否されました。とはいえ進級も直前の時期。妻の復職までの時間も限られています。

更によちよち歩きだった子供3も活発になり、隙あらば椅子やテーブルによじ登ったり、テレビを台から引きずりおろそうとしたり、壁紙を引きちぎったりと全く目が離せない状況です。

当時、東京では1月7日に新規感染者数が2500人を超え、いつまで緊急事態宣言が続くか全く読めない状況でした。

私は思い切って緊急事態宣言期間中の全日程で自宅勤務体制を敷くことに決めました。実験化学者である私は会社に行かないと実験が出来ません。その期間、私は新規化合物を作れないため、その分プロジェクトは遅延します。周りには迷惑をかけ、私の業績評価は低迷するでしょう。

でも、そんな事が何だというのか。

私にとっては会社での自分の評価より、家族との生活を支える方が重要です。

上司やチームメンバーには正直に事情を打ち明け、心から謝罪しました。私が自宅でできる仕事は今まで以上に打ち込みますが、実験が止まるのは完全に私のエゴです。

でも、朝の時間帯に子供2&3を私が見ていることで、子供1を途中まで送っていく妻の負担が少しでも減少するならば。昼寝をしている子供達のそばで私が仕事をすることで、妻が1人で買い物にでかけられる時間が取れるならば。我が家にとってはその方が良いと思いました。

そんな私のわがままを受け止め、許容してくれた上司や仲間たちには感謝の念が尽きません。自宅でも出来る新たな挑戦を提案した際にも、下期最大の目標として認定してもらえたことで私の業務の幅も広げることが出来ました。

私のエゴや挑戦を受け止めてくれる周りの環境に最大限の感謝を。

最近は

2月8日以降、緊急事態宣言が延長された期間については、保育園側も登園を受けいれてくれていて、私も少しずつ出社出来るようになってきました。

子供1も2も嫌がることなく登校・登園できており、来季からの新しい生活に少しビビりながらも期待して生活しています。

休むことなく通っている子供たちの水泳教室。本日は進級試験がありました。

季節は春。新年度を迎え、これから先、また我が家にとって苦労や困難にぶつかることがあるでしょう。

そんな時にも
「誰だって最初はうまく出来ないんだ。でも練習すればきっと出来るようになる。大丈夫。」
という気持ちを忘れずに、家族揃って一歩ずつ前進していきたいと思います。

ノブ

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