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ゆっくり解説風味の動画用台本を書いてみた。タイトルは「映画『炎628』について」

@ 解 説
もともとは、のぼが戯曲として書いたものを、2019年頃に”ゆっくり風”にリライトしたものです。
ロシアによるウクライナ侵攻前に書いたもので、今読み返すととても考え深いものがります。
なお、執筆に関しては(特に!)高橋慶史氏の著書『ラスト・オブ・カンプフグルッペ』(大日本絵画社)の各巻を参考にさせていただきました。

@ 概 要
大学でロシア語と東欧文化を学んでいる葵香は、ときおり曽祖父の六郎と〈第六天国〉で“茶話会”をしているそうな。
今日のテーマは1985年公開のソ連映画『炎628』に関してらしい……。

@ 人 物
○ 安藤葵香 外大でロシア語を学ぶ大学生
  ※「葵香」と書いて「あいか」皆には「アオちゃん」と呼ばれている。

○ 六郎 葵香の曽祖父
  ロシアだのソ連だの、満州国などで活躍した(らしい)謎の人。
 
@ 背景画
 おそらくは、何処か外国に在る、共同住宅の居間。時代を感じさせる室内装飾だが、よく清掃されており居心地は良さそうだ。
 ランプの灯りと部屋中央の暖炉の炎が室内を照らしている。
   *   *   *
《以下本編》
 暖炉の前の椅子に、防寒ジャケットを着た老人が座っている。
 彼の名前は「六郎」

 夏物のワンピースにサンダルというイデタチの葵香が袖から入る。
   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆
葵香「また来たよ、爺ちゃん」
六郎「またキタノタケシ? 今度は何が聞きたいんだ。アオちゃん」
葵香「実はね、ロシアだのソ連だの、でももって、ぐるっと回ってまたロシアだのにゾーケイの深〜い爺ちゃんに、とあーるソ連映画のことで聞きたいことがあるんよ」
六郎「とあーる映画とは?」
葵香「『炎628』、やねん」
六郎「ホムラと書いてホノウ」
葵香「その言い方、普通、逆でしょ」
六郎「時代の流れには積極的には乗っかる。じいちゃんの座右の銘です」
葵香「そしてこれは時代の流れに押し殺された人たちの悲劇をえがいているのよね」
六郎「おお、いきなりこの映画のテーマを突いてきおったな」
葵香「全てはSの為に」
六郎「Sとはなんぞや」
葵香「尺です」
六郎「ハラショー。ではアオちゃん、この映画のあらすじを三行で言ってみそ」
葵香「……ナチスによるベラルーシの住民虐殺を描いた……かな」
六郎「つまり主演はナチス・ドイツとベラルーシ……なんだが、極めて需要な助演者も登場している」
葵香「もしや……ラストの橋の下のシーンに出てくる人たち?」
六郎「そう……それは……」
葵香「……それは?……」
六郎「ウクライナ」
葵香「なんでやねん」
六郎「その辺りを詳しく話す前に……(周囲を見回し)皆さんにも解説しなきゃ」
葵香「(ズッコケながら周囲を見回す)皆さん?」
六郎「今回はそういう新喜劇的なの無しでいこか。尺の関係もあるんでちゃっちゃといこう」
葵香「あーい」
葵香・六郎「ゆっくりしていってねー」
    ☆   ☆   ☆
六郎「『炎628』は1985年公開のソ連映画です。原題は『来たれ、そして見よ』。日本では1987年に劇場公開されました。時は1943年、場所はナチス・ドイツ占領下のベラルーシ。赤軍パルチザンに参加したフリョーラ少年が、ナチスの『アインザッツグルッペン』による住人の大量虐殺を目の当たりにする……というストーリーです」
葵香「『アインザッツグルッペン』とはなんぞや」
六郎「よく『アインザッツグルッペン』を親衛隊の特殊部隊とする記述を見かけれるが、正式名称を直訳すれば『保安警察及び保安部の出動部隊』となる。意訳で『特別行動部隊』などとされるのはその為だ」
葵香「でも、親衛隊なんでしょ?」
六郎「厳密にはちゃう、チャウチャウ犬や」
葵香「でも、部隊員は基本SSなんでしょ」
六郎「そう。その通り。実はこれには理由があるのさ。『アインザッツグルッペン』の指揮官は国家保安本部のSS将官ハイドリッヒやSS全国指導者のヒムラーの命令で基本、活動する部隊なのだけど、その構成は雑多で指揮官クラスは国家保安本部の将校が占め、兵は武装SSや、『オルポ』と呼ばれた秩序警察員が多かった」
葵香「お、おまわりさん?」
六郎「驚くことは無い。第二次大戦中、ドイツの警官は、犯罪捜査を行う刑事警察はゲシュタポを含めた保安警察と、制服の色から“緑の警官”と呼ばれた秩序警察の二つがあったが。そのどちらも、SSの将官がそのトップを勤めていた。なので武装SSには警察官ばかりで編成された師団が幾つもあったのさ」
葵香「太平洋戦争時代の日本の憲兵も外地では大砲を装備していた、とも聞いたけど」
六郎「武装SSの警察師団は戦車や突撃砲の部隊も編成されていたという。規模が違う。そしてこの『アインザッツグルッペン』に勤務した隊員たちには。ある特徴があったのさ」
葵香「選りすぐりのサイコパス……とか?」
六郎「兵の場合、その殆んどが志願してきたと言われているな」
葵香「何でやねん」
六郎「理由は様々だった様だが、多くの者は隊内での懲罰を免除される為に志願したと言われている。ドイツにはいくつもの懲罰部隊が存在していたが『アインザッツグルッペン』もその一つだったわけだ……だが指揮官クラスは多少事情が違っていた」
葵香「手短に、よろしく」
六郎「人事権をハイドリッヒが握っていた為だろうが、中には恣意的とも思えるものが多かった。例えば、ハイドリッヒ個人に忠実でないと疑いをかけられた者はもちろんのこと、彼が嫌うインテリ肌の者やプロテスタントの牧師の経歴を持つ者がさしたる理由もなく部隊勤務を命ぜられたとされている」
葵香「爺ちゃん」
六郎「何でしょうか」
葵香「なんだか『アインザッツグルッペン』の解説になっておりますけど」
六郎「まあ、待て。この辺りはこの後で重要な意味を持つので多少詳しく説明する必要あるのだよ」
葵香「ほんまかいね」
六郎「ホンマグロ」
葵香「ところで、この映画、実話を元にしてるんだよね」
六郎「物語と同じ1943年3月22日にベラルーシで起きたハティニ村虐殺を元にしている。でも虐殺を実行したのは『アインザッツグルッペン』では無い」
葵香「え? さっきの前振り、何やねん」
六郎「さっき話した橋の下のシーン……」
葵香「ナチの連中が仲間割れして、一人が『俺はドイツ人じゃ無い』とか言い出すシーンね」
六郎「……ズバリ言うわよ!」
葵香「かずこかよ! 細木かよ!」
六郎「この虐殺を起こしたのは『シュッツマンシャフト』つまり警察保助大隊、第118連 隊という部隊だったらしい。事件の直前、この部隊は赤軍ゲリラに襲撃され、指揮官を殺害されたとされている。実はこの指揮官はハ ンス・オットー・ヴェルケというベルリンオリンピックの砲丸投げ金メダリストだったそうなのだが……」
葵香「随分歯切れの悪い言い方だね」
六郎「ただ、ヴェルケの死亡日は同年3月26日ともされているのだよ」
葵香「うーん……まあ、それは置いといて、警察部隊がその虐殺を起こしたの?」
六郎「ヴェルケは元々『オルポ』の警察官だっのだけど、この部隊は厳密に言って警察部隊では無い。『シュッツマンシャフテン』と言われていた、別の組織だった。そうさな、『警察保助隊』とでも訳せばいいかな」
葵香「要員はおまわりさんじゃないの?」
六郎「例えば指揮官のヴェルケは元々『オルポ』の警官だったわけなんだが、部隊の要員構成は武装SSや元赤軍兵士などが多かった」
葵香「元ソ連兵……ってまさか……」
六郎「事実として『シュッツマンシャフト』第118連隊は基幹要員がドイツ人、そして一般隊員のほとんどがウクライナ人で構成されていた」
葵香「なぜにウクライナ人」
六郎「ソ連兵から転向したウクライナ人などは比較的早い段階でドイツ側が設立した自警団的部隊に入るため、ある程度の自由を許されたものが多かった、ということもある」
葵香「ナチに捕らえられたソ連兵捕虜の多くはアウシュヴィッツなどで殺されたとも言われているけど……」
六郎「こうした形で捕虜収容所から駆り出され赤軍ゲリラやソ連軍との戦闘などで死んでいった者も少なくなかったはずが、その実態は今でもわからない……極めて少数の者は生き延びて第二次世界大戦の終戦を迎えたが……」
葵香「幸運な人たちね」
六郎「それが、そうでもない。赤軍は転向を拒み続け、極めて劣悪なナチの収容所を生き延びた赤軍兵士も容赦なく、今度はシベリアなどのソ連邦の収容所に送った。一度でもナチの制服などを着た者には更に過酷な収容所生活が待っていた……」
葵香「……あのー『炎628』のハナシは……」
六郎「ズッコケタようだが、実はこの転向ソ連兵というのが、真にこの『炎628』を理解する上で大切なんだよ」
葵香「じゃ、さっさとヤレや!」
六郎「住民虐殺は『アインザッツグルッペン』や警察保助部隊だけじゃない。警察部隊、武装SS、そして国防軍が引き起こしたと言われる住民虐殺も数え切れないほどあった。合わせると東方戦域だけで5千を超えるとも言 われている……」
葵香「……『アインザッツグルッペン』の戦争犯罪を知らしめるための映画なら、なんで保助警察部隊がヤッたと言われている。ハティニ村虐殺のケースをわざわざ選んだの?」
六郎「まあ、この辺りまではウィキペディアでも分かる。ここからは爺ちゃんの独自研究によるものなので、話半分に聞いてくれ」
葵香「フスョーニシャチーク!(全然、大丈夫)最初から話半分で聞いてるから」
六郎「スパシーバ」
葵香「お先をどうぞ」
六郎「シツコイようだが、これはソビエト連邦時代に制作された映画だ。企画から脚本、演出に至るまで政府の指導を受けていたはずだ。そしてこの映画が制作された当時、ソ連の最高指導者はコンスタンチン・チャルネンコ。
1929年にコムソモールに入り地域に於ける宣伝と煽動要員として徐々に党員としての地位を築いた彼は、ブレジネフ、アンドロポフと続いたソビエト老人支配時代最後の最高会議幹部会議長とも言われている。そんな彼が就任した頃のソ連邦にとっての最大の脅威は何だと思う?」
葵香「レーガンの登場」
六郎「ハラショー ボルチーラシ! 第40代アメリカ合衆国大統領、ドナルド・レーガンは就任するやデタント、つまりソ連との二国間緊張緩和を否定し、ソ連邦を『悪の帝国』と呼び、ラテン語で言うところの“汝平和を欲するなら、戦いへの備えをせよ”からとったと言われるPeace through strengthすなわち『力による平和戦略』を提唱し国防予算を大幅に増額した。これは、この軍拡レースをソ連に強いることで、ソ連邦の国家財政を逼迫させ、最終的には破綻させる戦略の一部だったのだが、ソ連はこれに見事にハマった。唯でさえ、1978年に始まったアフガニスタン侵攻は先の見えない泥沼状態で関連予算はソ連邦全体の経済を圧迫していた」
葵香「……爺ちゃん、ますます『炎』が遠くに……」
六郎「悲しみよりィもっと大切なことォ去りゆく背中に伝えェたくてェ」
葵香「だからそれは『炎』違いだと……」
六郎「ところで先に述べた『力による平和戦略』を具現化する指針としてロンちゃんは……」
葵香「ロンちゃん言うな!」
六郎「ロン君は、米国国家安全保障戦略文書・第75号、NSDD75を元に進めたと言われるが、この中の項目には秘密工作によるソ連邦内部及び衛星国との関係弱体化を推し進める旨の項目もあった。当然、いわゆる当時のワルシャワ条約機構加盟国のみならず、ソビエト連邦構成国への工作もあったはずじゃ」
葵香「あ、いや、待たれよ六郎殿、ハティニ村の件は何処に!」
六郎「姫、先ほど、爺は、ウクライナの件が肝要だともうしましたぞ」
葵香「だから何じゃ、爺」
六郎「冷戦時代に民主化の芽を履帯で捻じり潰したハンガリーやチェコスロバキアでも再び不穏な動きがあったし、ポーランドでのソレもかなり深刻だったのじゃ」
葵香「モスクワから見れば、ねっ!」
六郎「あいな。そしてそんなクレムリンが衛星国の謀反以上に恐れたのは連邦構成国、中でもウクライナがロシアに刃向かうことだった、と思われる」
葵香「なぜに?」
六郎「陸海空、各ソ連軍の兵器の開発生産供給の重要な部分を引き受けていたのがウクライナだった。大陸間弾道ミサイル本体開発を手がけていたユージュノエ、同ミサイルの誘導装置を担当するハリコフ。ヘリコプターのエンジンを供給していたモートル・シチ。その他、艦船用のガス・タービン装置関係なども同じくだった。最近は中国がこの技術に目をつけてる」
葵香「ロシアはウクライナの離反をひどく恐れていたのね」
六郎「話が長くなるので端折るが、クリミア絡みの黒海艦隊の問題も深刻だった。ロシアが原子力航空母艦の所有する野心を持ちながらも事が前に進まないのは、ウクライナの独立が大きいと言われいる」
葵香「で、で、で、それが『炎』にどう絡む?」
六郎「様々な理由からベラルーシは比較的、ロシアに対して親近感を持っていて1994年に大統領に当選したルカシェンコなどは当初こそロシアとの統合を目指していた」
葵香「プーチンが出てきて『ニエット! 吸収合併だ』とか言い出すまではね」
六郎「そんな、親ロ的な風土をもつベラルーシに『思い出せ! ナチのドイツ人に協力してキミたちとキミ達の祖国を蹂躙した連中のことを!』……ってな」
 
  T『※あくまで六郎の感想です。』

葵香「それはウクライナに対するメッセージでもあったわけ?」
六郎「例えば当時、動乱を起こしたのハンガリー評議会を日本の左翼は『反革命勢力』とした。反革命つぅーのは最上級の罵りの表現だ。イタリアに於けるファシズム、ドイツに於けるナチズムと同じ意味を持つ。ハンガリーは
第二次大戦では当初、枢軸国として戦った。つまりナチス・ドイツの戦友だったわけだ『反革命』と言われたハンガリー革命勢力の人々は、過去の悪夢を思い出したのではないかな?」
 
  T『※あくまで六郎の感想です。』

葵香「でも、少なくとも革命後に関してはウクライナはモスクワに対して従順だったとは言えない? ソ連邦が崩壊するまでは」
六郎「まあ、ロシアとウクライナの関係は本来なら、最低でも9世紀頃にまで遡って語るべきなんだよなぁ。キエフ大国つまりルーシの頃からの……」
葵香「絶対に駄目!」

T『絶対にダメですぅ!』


六郎「急にデカいタイトルぶちこむな」
葵香「舞城王太郎先生ふうにやってみた」
六郎「さすが阿修羅ガール」
葵香「……意味わからんわ」
六郎「まあとにかく、手短に言えば、現代でもロシア人、ウクライナ人それぞれが『我らこそがルーシの末裔』と言い張っている」
葵香「それ、ロシア史で教わったよ。東スラブの歴史はまさにカオス。民族や宗教がまぜこぜになった上に強者が創造した正しい歴史が滅茶苦茶な辻褄合わせをやったおかげでさらなる新たなカオスを生んだ……」

 T『※あくまで葵香の感想です。』

六郎「濁点をもっと打たんと息継ぎがキツくなるぞヨ」
葵香「スパシーバ。そう言えば、ルーシの諸公国のうち主なものは現在で言えばロシア、ウクライナ、そしてベラルーシの位置にあったのよね。つまり歴史的に観ても、この三国は兄弟国と言ってもいい関係なのね。つまり近親憎悪ってわけ? 東スラブ人同士の」
六郎「……やれやれ」
葵香「村上春樹かよ」
六郎「今の大学ではそう教えているのかい」
葵香「違うの?」
六郎「それをウクライナ人は『モスクワ歴史学』と呼ぶな」

  T『※あくまで六郎の感想です。』

葵香「なお、ウクライナ歴史学ではルーシ人は居住地域、言語等々を研究した場合、ウクライナ・ルーシ人の祖先と考えるのが正しいという主張の模様」
六郎「知っとるやんけ」
葵香「なお、ウクライナ人とかベラルーシ人などとカテゴライズするのは誤った民族主義から発生したものであり、本来全ての東スラブの民はロシア人である。ってな主張もおます」
六郎「話を整理しよう。歴史的に反目しあっていたロシアとウクライナはソ連邦の成立以降、ツァーが追放され民衆同士の新たな関係が出来るのではないかというというウクライナ民族の期待は、モスクワ・スターリン体制によ って脆くも崩れ去った」
葵香「スターリンはグルジア人だったけどね」
六郎「それを言いだすと、話がまたそれるのでスルーするが、革命期に一部のウクライナ人によってポーランドと行った、モスクワから見れば反革命的行為をクレムリンの連中は決して忘れなかった。1930年代にモスクワによって、ウクライナで意図的に行われた大規模な飢餓では400万人以上が死んだと言われている」
葵香「なお、1450万人とする説もある模様」
六郎「そして、1941年6月、ナチス・ドイツはソ連邦に侵攻した。一部のウクライナ人はナチスを解放者として受け入れ、これによって数千人規模の自警団が誕生し、これが後に警察部隊、ロシア国民解放軍、そして武装SS部隊へと移行してゆく」
葵香「その自警団の一部が屠殺部隊にもなったのね」
六郎「ナチスはウクライナ領域をほぼ制圧したのちもウクライナの独立は決して認めなかった。その頃ウクライナにはOUN、ウクライナ民族主義組織という民族組織が存在した。この組織は“反ソ連、反ポーランド”を掲げていたがナチス・ドイツに対してはある程度の親和性を持っていたが、ナチはこれを弾圧した。さらに多くのウクライナ人を安価な労働力としてドイツ国内などに強制的に送った」
葵香「行くも地獄、帰るも地獄」
六郎「そんな目に遭いながらも、ナチス・ドイツに協力したウクライナ人が多数いたのは、『ナチスも憎いがそれ以上にソビエトが憎い』という感情が強かったのかもしれないな」

  T『※あくまで六郎の感想です。』

葵香「繰り返すけど、近親憎悪的なものもあるのかな」
六郎「……話を『炎』戻そう」
葵香「だからさっきから戻せと言ったろうが!」
六郎「この映画はナチス・ドイツをデスっている様で、実はウクライナに睨みを効かしているの様にも感じる……」
葵香「……やっぱり分かん無い。別の次元で。なんでこの映画が党の監修なりなんなりを受けているのならもっと単純にドイツ人によるドイツ軍の部隊が占領区域の住民を虐殺する話じゃ、なんでダメだったのかな。実際にそういう事例も沢山あったんだし。虐殺された名も無きベラルーシの住民を弔う意味で作られたのならなんでハティニ村の話にしたのかな?」
六郎「ハティニという名前が重要だったという説がある」
葵香「なぜに」
六郎「1985年にソ連で何が起きた?」
葵香「ゴルバチョフの書記長就任とペレストロイカ、グラスノスチ。つまり情報公開」
六郎「それによってそれまで覆い隠されていた様々なソ連邦にとっての負の歴史が明るみに出されて行った。その一つが『カティンの森事件』だったわけだが……」
葵香「第二次世界大戦中、通称『カティンの森』で二万人を超えるポーランド人がソビエト内務人民委員部により殺害された事件ね」
六郎「……カティンはロシア語ではカティニと
 発音する。カティニって十回言ってごらん」
葵香「カティニ、カティニ、カティニ(あと七回)……ハティニ……そんなアホなぁ……」
六郎「まさか『カティンの森事件』の目眩しの為にハティニ村事件を引っ張り出したとは思いたく無いが……」

  T『※あくまで六郎の感想です。』

葵香「ねぇ……爺ちゃん」
六郎「なんだね」
葵香「ねえ、まさかハティニ村を襲った警察補助部隊にポーランド人は居なかったんだよね」
六郎「……実はその可能性はある」
葵香「なんじゃーそれ」
六郎「正確には元ポーランド人と言った方がいいな、その人達は自らをガリチィア人と名乗り一時的には西ウクライナ人民共和国という国を創った。しかしその時、隣国のロシアではまさに内戦中でこの小国はロシア白軍、ロシア・ボルシエビィキ、そしてポーランドと戦うことになったり、建国から僅か一年後の1919年、ポーランドによって武力制圧され、民はポーランド人に戻された。その二十年後の1939年9月1日ナチがポーランド西部に侵攻した半月後、今度は東から侵入したソビエトによって彼らは“解放”され、ウクライナ人に戻され、ソビエト国民となった」
葵香「その二年後、ヒトラーはロシアに侵攻して……」
六郎「その一部の人々はナチスに協力した」
葵香「……ごめん、爺ちゃん、もうお腹いっぱいだよ。そろそろ纏めよう。この映画はナチスによる住民虐殺を描きつつその裏にある、ウクライナ人をデスりつつ、『カティンの森事件』へ集まりつつあった世界の関心を逸らす為に、当時のソビエトが不必要とも思える設定変更を行って制作した……なんだか、Qアノンが言いそうなハナシだけど、爺ちゃんはそう言いたいの?」
六郎「……でも無い」
葵香「わッ、ちゃぶ台返し!」
六郎「舞城するなッッッ!」
葵香「結局、何が言いたいんだジジイッ!」
六郎「実はこの映画、よく観てると、クライマックス、虐殺のシーンにはロシア人兵が写されてる」
葵香「……ロシア人のエキストラ、とか言ったら本気で爺ちゃん殴るよ。グーパンチで」
六郎「納屋に村民が押し込められ、その納屋に火がつけられた直後、主人公の少年は納屋から這い出し、武装SSの兵士に拘束されるシーンのな、その背後で髪を掴んで女性を引きずっている二人の兵士、一人はロシアのDP28軽機関銃を首から下げた兵士。あの二人は徽章などからして、ソ連軍から転向したロシア人の兵隊だ」
葵香「念の為聞くけど、ウクライナ人じゃ無いのね」
六郎「違う。アンドレイ・ウラソフという、ロシア人が指揮していた『ロシア解放軍』という親ナチスの軍団の兵士をわざわざ写している」
葵香「やっすい、ロシア人じゃ無いの? そのウラソフっていうのわ」
六郎「ウラソフは元赤軍の中将。スターリンの大粛清を生き残り、モスクワ攻防戦ではジューコフ将軍指揮下の第20突撃軍司令官として戦功をあげレーニン勲章を授与された人物だった」
葵香「でも、ナチに転んだんでしょ」
六郎「そう、そんな人物が組織した軍団、ソビエトでも長くタブーとしていた人物が創立に協力した軍団の兵士をわざわざ登場させているところがなんとも不可思議なんだ。そもそも『アインザッツグルッペン』には指揮系統の違う『ロシア解放軍』の兵隊はいなかったのでは、と、巷のミリオタさんも言っている」
葵香「つまるところグラスノスチ? ってわけ?」
六郎「……うーん……」
葵香「だとしたら、さっきの、『カティニ、カティニ、カティニ……ハティニ……そんなアホなぁ……』はどうなる!」
六郎「……うーん……」
葵香「『……うーん……』じゃなくてさ!」
六郎「ここに出てくる『アインザッツグルッペン』はその他にもよくわからない兵士達がうろうろしている。コサックの民兵はまだしも、ヘルメットに白い髑髏マークを描いた民兵風の兵士みたいなのなどは一体、何者なのかミリオタ連中も首を捻っている」
葵香「フィンランド人だとも……」
六郎「1939年の冬戦争、1941年から始まった継続戦争でソビエトと戦ったフィンランドはモスクワから見れば立派な反革命国家、つまりファシスト国家だったわけだが……」
葵香「……うーん……」
六郎「ちなみにフィンランドにはラウン・アラン・トリニという英雄がいる」
葵香「……まさかの元ナチ?」
六郎「ピンポーン。ラウンはフィンランド軍兵士として冬戦争を戦ったのち、ドイツに逃げ武装SSの将校となり特殊部隊を指揮して、継続戦争を戦った。第二次大戦後、アメリカに渡り今度は米国陸軍に入隊し、言わずも知れた特殊部隊グリーンベレーの将校となった。そして1965年南ベトナムで行方不明となった」
葵香「実はCIA要員に成る為の偽装では」
六郎「1999年フィンランドとアメリカの合同チームが“ラリー・ソーン少佐”の遺体を旧南ベトナムで見つけた」
葵香「ラリーって、ラウン?」
六郎「トリニ氏のアメリカ名なのだがー」
葵香「ストップ、爺ちゃん」
六郎「あう?」
葵香「そのネタでもう一本、動画作るから」
六郎「はいッ」

葵香「……じゃ、そろそろ本当に〆ようか」
六郎「そうしておくれ。ところでアオちゃん映画の前半で気づいたところ、なかったかい?」
葵香「あ、もしや…主人公の少年が、ドイツ兵らしき人物に連行されるところ?」
六郎「レインコートに隠れて徽章などが見えないが、あれは間違い無くドイツ国防軍の野戦憲兵、おそらく多分、ドイツ人兵士だと思うぞ」
葵香「……そういえば、あの少年、ドイツ兵に連れられて行ったのにいつの間にか、赤軍のゲリラに入っているよね」
六郎「そう。爺ちゃん、最初にこの映画を渋谷で観たとき、トレイラーを一巻飛ばしたんじゃ無いかと思ったさ」
葵香「だから皆んな、好意的に脳内編集して、少年がドイツ兵に輸送されてる途中で、赤軍ゲリラに襲撃され、ゲリラの仲間になったんだ……とかって考えたんじゃ無い?」
六郎「でも、そこ、もう少し、重要な意味があるんじゃ無いかな」
葵香「と、いうと?」
六郎「あの少年は、あの地域に居住していながらナチス・ドイツに協力した人々の象徴と考えてられまいかね?」

  T『※あくまで六郎の感想です。』

葵香「そこがこの映画の真のテーマだと?」
六郎「ナチスに加わった者、赤軍の加わった者、民族的な背景は様々だが、結果としては紙一重の立場だったのかもしれない」
葵香「そしてそのどちらにも加わらず、ただ殺される側になった人々を忘れないでね」
六郎「……だな。そしてそれが大多数なんだよ。そしてナチスが駆逐された後も、この地域の住民の苦難は続いた」
葵香「もう、うんざり」
六郎「例えばポーランド南東部に居住していたウクライナ系住民を排除するため1947年に『ヴィスワ作戦』を発動し、20万人を強制的にドイツ東部などに移動させた」
葵香「なんでまた……」
六郎「ウクライナ人による抵抗運動を徹底的に排除するためだったと言われている」
葵香「成功したの?」
六郎「抵抗運動を行なったウクライナ蜂起軍は1950年頃まで活動したと言われている」
葵香「新たな反革命のファシストとなったのね」
六郎「ロシアは今でも彼らを“ファシスト”としているが、少なくともウクライナ本国では現在、名誉回復がなされているな」
葵香「……なんでも、武装SSに入った連中の名誉回復もされつつあるとか」
六郎「最近では首都のキエフとかで、武装SSの元兵士らしきジイさんが武装SSの迷彩スモックや隊旗を持って集まったりする光景が散見されるそうだな。親ロシアだったヤヌコーヴィチ大統領が政権を握っていた2014年頃まではあまりなかったと現象だと言われている」
葵香「また、新たな炎が立ち上らないことを、切に願うよ」
六郎「……」
葵香「沈黙しないでよ」
六郎「……」
葵香「お願いだから沈黙しないでよ」
六郎「……おとをたててくずれおーちてゆくぅ、ひとつだけのぉーかけがえのぉーなーい、せぇかいぃぃぃーっ、と」
葵香「だから炎(ほむら)、歌ってゴマかすなよ」

場面溶暗ーーーー

 T『おわり』
            (終劇)

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