運命と奇跡と、電線と
こちらは下記記事のつづきです。
もしよろしければ合わせてお読みください
さいたまスーパーアリーナに行くのは今回で3回目ぐらいだけれど、
さいたま市には、大学生の頃からよく足を運んでいた。
「彩の国さいたま芸術劇場」に。
シェイクスピアの作品の多くを初めて見たのはここだ。
特に記憶に残っているのは1999年の「リア王」。大学2年生。何かの伝手で貴重なチケットが手に入り、ほとんど「英語の勉強」ぐらいのつもりで見に行った。シェイクスピアはそれまでヴェニスの商人とジュリアスシーザーの戯曲を文庫本で読んだことがあるぐらいで、あとはほとんど知らなかった。だが、ナイジェル・ホーソンさんのリア王をこの時見てしまったことが、他のリア王を見た時も何か違う気がしてしまうくらい、絶望と狂気に突き刺されるような予感がした。そして記憶が確かなら、この「リア王」を見た直後だったと思う。僕の人生を変えた演劇「パンドラの鐘」を見たのは。
リア王を見た時に入っていたチラシを見てどうしても見たくなり、当日券の抽選に並んだと思う。「リア王」と同じ蜷川幸雄さんが演出するバージョンと、書いた野田秀樹さんが自ら演出するバージョンの2つがあり、そのどちらも見に行った。あまりに面白かったので、2回ずつ。―――そのとき驚いたのは、「2つのバージョン」の違いではなかった。2つは違うに決まっている。演出が違う、という以上に、俳優が違うから、それは、違う。驚いたのはそちらではなく、2回見た中で、同じ俳優・同じ演出なのに、全く違う印象を抱いたことだった。どちらかの2回目で、古田新太さん演じるキャラクターのセリフがいつもよりかなり口が回ったように早くなったことがあった。そうしたらそれを受けて、周りの俳優たちもテンポを上げ、あまった間を楽しむような不思議な空間が現出した。演じている皆さんの興奮も汲み取れる、まるで奇跡のような現象。―――これは、面白い。物語が決まっていても、セリフが決まっていても、「奇跡」の入り込む余地は、ある。
ぼくはそのころ(1999年)、スポーツライターというものに憧れていた。サッカーおたくなのでサッカーダイジェストやNumberを読み耽っていたのだけど、金子達仁さんの文章が面白くて、選手との関係性の築き方も面白くて、何より、スポーツはシナリオがなく、奇跡だらけだから面白い、と思っていた。・・・なのだけど、この「パンドラの鐘」の経験は―――いやもっと言えばその前の「リア王」の経験から―――雷を打たれたようだった。どれだけ計算をしていても、古くからあるテキストでも、奇跡は、起きる。ナイジェル・ホーソンさんのあの演技もそうだったし、あの日、古田新太さんから始まった一連の流れもそうだった。奇跡は、起きる。「だったら、選手頼みのスポーツよりも、徹底的に準備をしておいて奇跡を目指す、エンタテインメントの世界に身を置いてみたい」そんな夢を、抱いた。
(大学3年生の時に中国美術と出会って「やべえ、これだ」となって学芸員を目指すことになったぐらい、”節操”はないのだけど、でも、その学芸員や美術史の研究者になるのを諦めた時に、戻った道として最初に見えたのは、エンタテインメントだった)
さてここまで何を書いているんだ、早く後半の話をしろ、と思われたかも知れないことを書いてきたが、結構関係ある話のつもりである。
2024年12月7日に訪れた、「ICE STORY 第3章 ECHOES OF LIFE」。
休憩を挟んだ後半は、まさに、「物語」と「奇跡」をめぐるものだったのだから。
―――後半。あの言葉に背筋がゾクリとする。
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