サン=テグジュペリは言った
冠婚葬祭、と一口に言う。
人が人生のなかで迎える、特別な時としての4つ。
冠=元服。成人の儀。
婚=結婚。
葬=葬儀。
祭=祖先を祭ること。
この中で、成人の儀と祖先祭祀は現代になってすっかり形骸化した。
(就職面接と遺産相続という生々しいものがその代わりになって久しい)
残ったのは結婚と葬儀。
ただ葬儀は、自分の葬儀を見ることはできない。
いま、人生を生きている中で、自分が目にすることのできる大きな節目は、
結婚だけだ。
でも現代、結婚しない人も多い。
50歳時の未婚率は1960年が男女とも1%台だったのに対し、
2020年は男性28.25%、女性17.81%。(国立社会保障・人口問題研究所「人口統計資料集(2022)」にもとづく)
だいたい4人に1人~5人に1人の割合で、結婚をしない人がいる。
これは、髪を染めている人と同じくらいの割合。
髪を染めている人にいちいち「何で?」と問う人がもういないように、
「何で結婚しないの?」という質問がもはや成立しなくなるレベルだ。
別に珍しくない。
・・・そう、結婚はたしかに現代でも残る大きな節目ではあるが、
そうしなくても別に現代生活に支障はない。そんな存在になっている。
同棲や、事実婚。日本では未だ認められていない同性婚。
さまざまな理由で結婚という形を取らない人も多い。
特に同性婚についてはイチイチ無粋に反論する人も多いが、1度(有名すぎる動画だが)下記のニュージーランドの議員のスピーチを見て欲しいと思う。そう、それを認めたとて何も変わらないのだ。
人と人の愛の在り方は本当に多様で、
人類のテクノロジーの進歩に比べたらあまりに変わらなすぎる価値観は、
いつか必ず更新されていくだろう。
・・・と、述べたのは、別に結婚というありかたに反発しているからではない。
ぼく自身、もう結婚して15年以上が経つ。疲弊の限りまで働く日々を過ごしてきた自分にとって、どれだけ心の支えになってきたか分からない。
妻がいなければ僕はとっくのとうにこの仕事をやめていただろうことを考えても、結婚して良かった、と心の底から思っている。僕が助けられた数に比べれば本当に少ないけれど、妻を助けることもできた。結婚には、「この人とは生涯、何があっても、助け合っていく」という力がある。
そしてそれとは別に、結婚の「抑止剤としての力」も知っている。
仕事のおかげで多くの有名人、芸能人の方とも仕事をさせて頂いたが、そのなかで結婚される方がいる。
独身であった時は週刊誌に追い掛け回されたり、結婚しないんですか?というような阿呆な質問ばかり聞かれ続けてきた方が、結婚した途端に、そういうものがピシャリと「絶てた」のを、感じる。
結婚には、下世話を止める抑止剤としての大きな力があるのだ。
それはおそらく冠婚葬祭、と呼んでいたときの名残、社会的な契約をしたゆえにそれ以上は踏み込めなくする、という力なのだろう。
だから下世話なマスコミはその契約の「外」に踏み出すのを、舌なめずりして待つ。不倫報道だの浮気報道だの。あんなものに血道をあげて、「社会的正義」だの「みなさまの好奇心にこたえているだけです」などと言い訳して、自分の下世話な毒を他者に蔓延させる。本当にクズの仕事だと思うし、心から「mind your own business」と言ってやりたくなる。結婚という「結界」は、その結界のなかを死守する限りにおいて、こういう腐った舌なめずりから逃れる力も与えてくれるのだ。人類に残された最後の生活魔法と言えるかもしれない。
・・・ここまで結婚のことを長々と述べてきたのは、もちろん、このニュースがあったからだ。
入籍の表明。
助け合いの力や、抑止剤としての力、その両方がきっとその裏にはあるのだろうけれど、その表明文を見て驚いたのは、「入籍をした」ということ以外、何も結婚についての表現がなかったことだ。
代わりに文章のなかに綴られていたのは、これまでと、これからを、変わらずに歩み続けるという表明。読んでこう思った。
人跡未踏の道を、まだまだ、まだまだ歩み続ける人。
こう思った時、思い出した「ある言葉」があった。
今日はその「ある言葉」に基づいて、思ったことと、
お祝いの意味を込めた特別な「付録」の公開をしたいと思う。
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