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夏だ!てれファミリー と 仲間たち

 これを書いている今日7/27(月)、僕にとっては特別すぎる番組が放送される。「夏だ!てれファミリー」。なぜ特別すぎるか。だって、こんなに多幸感に満ちて作れたのははじめてだから。

 誤解を避けるために言えば、これまでやってきた番組にもそれぞれの特別さがあった。未知なる真実や知られざる物語を発見する興奮。出演してくださる方と対峙した演出の昂揚。1対1で対峙し、その間にあるものを共に掘り下げ、見えてきた世界を楽しむ。それは自分のテレビマンとしての得意技であり、今後も続けていく伝家の宝刀だと思っている。羽生結弦さんを筆頭に、いつかどうかお会いして、問いたい問いを、いまじっくり探しているお相手もいる。(4回転に至るアクセルジャンプの企画はいつでも出来る準備もしている) ドキュメンタリーは、というよりインタビューは、永遠に、ライフワークだ。

 そのいっぽうでとっても苦手だったのが、グループワークだ。簡単に言えば、「誰かに、ある部分を、ぜんぶ任せる」こと。「イッテQ」(何があっても名作)や「あいついま何してる」(これまた痺れるほどの名作だ)のエンドロールを見れば一目瞭然、テレビは多数による分業。特にバラエティは1人で作るなんてことはあり得ない。当たり前のことだけど、僕は1時間番組なら1時間、30分番組なら30分、「演出」の部分に関しては自分がぜんぶ関わることを是とし、他に演出のスタッフが入ることを極端に嫌ってきた。

 そうは言っても予算規模が大きいと1人に任せる怖さもあったりするから、他の先輩が「しゃしゃり出て」来る。でもたとえばVTRとスタジオが分かれている番組なら、スタジオは任せても、VTRはぜんぶ自分でやる。番組が4本被ったりして自分でぜんぶ取材できない場合は、信用できるーーーでもそれはもしかしたら「コントロールできる」ーーー後輩にお願いして、その撮れ高だけを収穫してきた。ハタから見れば「全部やりたがるわがままなヤツ」。なぜそうだったかと言えば、これは自分の企画だ、という思いが異常に強いからだった。

 僕はいまいるテレビマンユニオンという社の中では、しばらくの間、こういう見られ方だったと思う。「企画がやたら通る、実力不明のヤツ」。2年目で単発としては民放最大予算の3時間番組の企画が通り、4年目で12本シリーズの番組の企画が通り、5年目で9本シリーズの特番が通り、、企画書だけはやたら書き、やたら通して来た。でもこの会社は、というよりテレビの世界は、僕がディレクターである限り、企画書いたり通すだけではチヤホヤはしてくれず、当然面白い番組を作れるかどうか、演出の腕を試してくる。若手であり未経験であり引っ込み思案であり天才でも豪腕でもないがゆえに演出の腕が伴ってなかった僕は、結果、自分が通した企画に先輩ディレクターが次々と入ってきて、自分の演出が全体に及ばなくなる顛末を幾度も重ねた。そのたびに正直にいえば「先輩なんてクソだ」「俺の企画を奪いやがって」と思ってきた。やめようとしたことも、1050回くらいある。

 その反動が、「一人で全部やる」。変な話、企画を書く時も、一人でやりきれないものは書かなかった。2時間番組を1人でやるとかは難しいから、どうしても頼まれて書くバラエティ特番の企画を書く時も、「あとはお任せします」。社運がかかった、というような緊急プロジェクトの時は参加することはあっても、求められるのは「軍師」みたいな役割ばかりなので、どこか他人事。何より「一人でやれる/そしてやり甲斐ある」番組の需要が多く、そこなら全力を出せるので、それをやり続けてきた。

 でも全てが変わった。・・・・・・今回のコロナで。

 ここまで「一人で全部やる」とか書いてきたが、それは演出の話。テレビ番組は1人で作れるわけはない。特に僕が大好きなロケの現場となると、カメラマンがいて、音声さんがいて、移動ならドライバーさんもいて、海外ならコーディネーターさんもいて・・・1人だけじゃ何もできない。いやむしろ1人じゃないからこそ、演出に全力投球できてきた。でもその現場が、コロナであらかた奪われた。ロケに行けない。取材相手に対して距離をどう縮めるか、どう掘り下げるかばかりを考えてきたのに、密だからという理由でそれができなくなって、「一人でぜんぶやる」、が、「あ、一人になってしまった」と思った時、本当に今更だけど気づいた。

 「仲間がいるよ」と。

 3時間の特番が通った時、12本シリーズの番組が通った時、自分で全部やれない忸怩たる思いだけを抱いていたわけではない。特に憧れと尊敬の眼差しで見ていたのは、社の先輩の河原剛さん。はじめて会った時「クッキングパパ?!」と思った程の巨漢は、体だけでなく心も大きい。常に僕が通した企画のことを褒めてくれ、その可能性はここまでいける、俺の背中を見てろ、という姿勢を常に見せてくれていた。この「一人で全部やりたがり男」がいつかまた仕事をしたいという思いをずっと持ち続けていた、最強の先輩だ。

 そして「1人でやっている」つもりでやっていた番組でも頼り続けてきた後輩がいた。黒住聡丈くん。300人いる会社で最も腰が低いのではと思う位”阿部さんの仕事ならやります”と言ってくれるのに甘え、そのひたむきさを頼って、幾つもの仕事を分業してきた。でも実は彼はただひたむきな男ではない。常に取材先と温かな関係性を築き、ぼくがお願いしたことなど簡単にクリアした上で独自の物語を紡ぐ。だからまたお願いしてしまう。僕がプロデューサーに徹するような年になった時はずっと仕事したいと思っていた、最強の後輩だ。

 頼れるカメラマンやコーディネーターとはコロナのせいで仕事ができなくなった中、ぼくの脳裏に浮かんだのは、そんな先輩や後輩の顔だった。社愛でもなんでもない。いま頼れるのはこの連中だ。だから一心不乱に企画を書いた。「いま、先輩も、後輩も、会社の仲間、みんなでやれる番組を」。

 その企画執筆の大きな駆動力となったのも、4月、会社の仲間から呼び掛けられたリモート会議だった。ぼくは日頃いろんな「企画会議」に呼ばれることあり、また社の依頼で自分で主催したことも何度かある。でもそういう会議は、どれだけ豊かにブレストしようとどこか「宿題」の答え合わせになりがち。次も宿題やってきてね、と言ってもみんな忙しいのでなかなかやれず、企画がしぼむことがほとんどだった。でも4月の会議は、企画会議ではなく、「いまどうしてますか?」「どうしたいですか?」の話し合い。コロナの後の混乱時にはそうやって人と話せることが何より自分を見つけるきっかけとなった。話した相手も、僕が全幅の信頼を置く後輩・大西隼くんを別とすれば、今までほとんどしっかりと話していなかった先輩たち。つどつどお話しつつも一緒に仕事の話まではしていなかったいつも面白い映画ばかりを配給する大野留美さん。デザインの天才と知り間接的にはたくさんのお願いしながらもあまり話していなかった宮井勇気さん。そして事実上はじめて話すプロデューサーの小林みつこさん。そんな彼女たちとのはじめての深い語らいで見出した、「家族に会えないけど会いたい」というテーマ。そこから書いた企画が、あれよあれよと結実して今回、番組となった。

 会社なんてものに何でいるかと言えば、事務手続きがめんどいから、とか、プロデューサーが別にいてくれたほうが楽だから、とか、そんな「口さがない」ことばかり言ってきた僕だけど、このコロナで浮き彫りになったのは、いかに会社の仲間たちが頼りになるかということ。1人でできなくなったのなら、頼ればいい。仲間はそこにいる。そうして、「夏だ!てれファミリー」は始動した。

 あとは番組をもうご覧頂きたい。僕の敬愛する河原さんは青森の町の皆さんにどぷり入り込み愛され、笑って泣ける、最高のVTRを撮ってきた。僕の信頼する黒住くんは長崎でご家族に来週も来てね、と言われるほどの関係性築き、これまた最高のVTRを撮ってきた。4月以降肝胆相照らす仲となった宮井さんとは、番組のアイコンでありすべてを駆動するエンジンとなった奇跡のキャラクター「てれポ」を生み出した。小林さんはぼくが他の番組と被りまくっている間は、すべてをカバーし、カバーどころか丁寧に縫い上げて、あとはここだけと渡された時にはもうアップリケをつければいいだけになっていた。

 テレビマンユニオンの創設者萩元晴彦はこう言った。「すべての新しいもの、美しいもの、素晴らしいものは、たった一人の孤独な熱狂から始まる」。孤独に熱狂したのは僕かもしれない。でも、その先で新しさ、美しさ、素晴らしさを見出すための熱狂を1人1人が繰り広げたからこそ、本当にスペシャルな番組となった。この幸せな経験は、温度は、番組にもしっかりとくるまれ、伝わっていると思う。

みんなで作った、みんなで見られる番組です。どうか今日の19時半、お時間をください。ぜひ!




 

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