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千里の道より最寄りのコンビニ2/双極性障害について

元日から時間が空いたので、さすがに三日坊主になるかと思った。あぶないあぶない。
生きてるよ。
3日くらいから外に出る予定を入れていたら、すこーんと書く時間が抜けた。あと、夜も3時には寝るようにしているし。
さりとて、まだ2件目である。リズムができるまで頑張りたい。頑張りたいが、私は医師に『修行僧』と言われたことがある人間なので、あまり頑張ってはいけないとも思っている。難しい。

どうやって自分のことを考えていこうか、模索中ではあるけれど、双極性障害についてが、今は一番書きやすいような気がする。

双極性障害については、国内外問わず作家やミュージシャンが公言しているので、当該していない人にも広まっているかなと思う。
私は双極性障害Ⅱ型で、もう少し詳しく言うと、躁(軽躁)が少なく、鬱が多い。パチンコは知らないけれど、負けてる日の確変くらい躁の期間はないと思う。

普段はどちらかというと鬱寄りで、疲れると鬱が酷くなる。
自己診断だとHSPド真ん中というのもあり、まず人といると疲れる。家族や愛犬(昔飼ってた)も例外ではない。ひとりになりたくて、音も遮断して、他の存在を認識したくないと思う。
そういう状態じゃない時も、忙しすぎると、食欲がなくなってくる。食べたくない、とヨーグルトやナンしか口にしなくなる。左目が痙攣するようになって、胃や腸が痛くなる。
最終的には、生きていたくなくて、存在したくなくて、死にたくなる。

10代から自分に悩まされているので、少し反応が出てくると自分でコントロールできるようにはなってきた。40手前で「なってきた」というのは些か情けないが、四半世紀付き合っていても、未だに身体や病気についてわからないことは多い。
コントロールするというのは、たとえば、周囲に「いまは疲れている」「いまはひとりでいたい時期」と伝えたり、意識して休んだり、逃避できるコンテンツに癒されたり、ということだ。
ありがたいことに家族には一定の理解をされているので、その辺のストレスはあまりない。

ただ、今までの人生で、自分のことを理解してもらうことは不可能だ、とも思っている。
血のつながった肉親でさえ、自分のことを理解してくれない。何度も、何度も伝えたけれど、「わからない」「できない」と返ってくる。
とても悲しかったけれど、私すら私のことがわからないように、家族も私のことが理解できなくても、仕方ない。
ちなみに、家族は別に悪い人たちではない。それも、いずれ書くと思う。

さて、会社の精神疾患への理解度は、おそらく多くのところでそうであるように、とても低かった。人事の人でさえ低い。
そもそも、双極性障害であることは話していない。言っても理解されないし、マイナスの印象しか与えないことがほとんどだと思う。臨床心理士からも、言わない方がいい、とやんわり告げられた。
なので、私は職場には、疲れると体調を崩すことがある(でも自分で体調管理できる)と言っていた。面接などで質問され、少し掘り下げなくてはならない時は、体調を崩すと起きられなくなる、少し鬱っぽくなる、くらいは伝える。
「体調を崩す」という言葉は便利で、察しのいい人事(労務)だと鬱病のことを遠回しに探ってくるので、学生時代にそうでした、とは話す。事実、私の学生時代は病気と出席日数と単位との戦いだった。
で、そんな察しのいい人事でも、私の体調や病気について、実際に社員として働いて、崩れて退職するかしないかになっても、ちっともわかってないのである。無理をして崩れたら、最低でも半年は元に戻るまでかかる、ということがわからないんだろうし、少し回復すれば右肩上がりに回復していく(してもらう必要がある)と思っている。

両親もそうだったが、どん底に悪いところから少し回復したら「もう元気になった」と思われる。ニコニコと今日あった楽しかったことを話せば「もうすっかり元通りだね。で、いつから普通に働くの?」と言われる。
病気を抱えていない人だって、身体が重かったり、憂鬱になったりすることはあると思うが、本当にそれくらいの気持ちで捉えられているんだと思う。
そこから、「わかってくれない」「理解されない」と傷つくことも多かった。

さてさて、鬱との付き合い方はそこそこ経験の蓄積があるのだが、躁はほとんどない。0を中心に、プラスを躁、マイナスを鬱としたら、9割以上はマイナスである。
しかし、なんだかんだ躁は来るのである。
疲れない。眠くならない。意欲的で、どんどん頭が働く。
私はイライラしないタイプの躁で、もうドキドキワクワク楽しくて仕方なくなる。
世界の明度や輝度が明らかに違う、と思う。
フィーバータイムなんである。

まあ、だけど躁状態が終わると、また鬱状態がやってくることも知っているし、その時の反動が怖すぎて、躁は心の底から楽しくはない。
セーブして、緩やかな坂道を描きながら日常に帰っていくのを目指す。
楽しいことをセーブしなくてはならないのは、とても、とても困難だ。頭の中にはアイデアがあって、書き出してくれと言っているし、鬱の時にやりたいことリストに入れていた予定もようやっとこなせるのに、それをパパッと片付けることができない。
睡眠時間が短いから、起きている時間が長くなる。いろいろやれてしまうのに、意識してぼーっとゆっくりしなきゃならないのは結構地獄だ。

文字数が大分伸びたので、一度区切ろうと思う。
ではまた。三日坊主にならなかったら。

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