快楽の免状

楽しみ方がわからない、楽しむことができない、という子がいる。

それは単純に能力の問題だ。ほかのみんなと同じ状況で、同じようにしていても、かれらがなにを楽しんでいるのかわからない。そういうとき、食べ物は味がしないし、触覚はにぶくなる。まるで誰か知らないひとのからだに入ってしまったかのようだ。

おそらく彼は、自分には楽しんだり浮かれたり、幸福な時間にいたりする資格がないと思い込んでいる。そう思ってしまうほどに深く、どうすればみんなと同じでいられるか、を考える時間があって、自らの欲求や快のために行動する、ということができない。
この「できる/できない」こそ資格なのだ。彼は免状をもらえていない。誰から? 彼にとっては、世間から。世間からしたら、彼が自分で自分を許したらいいと言うだろう。しかし彼にとってはそれがわからない。

やがて彼はほかのひとといる時間を厭う。自分は彼らのようにできないから……。あんなにほかのひとと同じになればいいと思っていたのに、それを真似てきたのに、彼はけして同調することができなかった。そのことがふたたび彼を傷つける。そしてまた彼は、次第にほかのひとを妬ましく、憎く思うようになってしまう。

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