5/1分だぜ!

さっき上に乗っけようと思ってゆでてるラーメンに油揚げいれたら中心とかめっちゃ黒くなってて怖っつって捨てた。いいのかなこれ。

あ~~~~また一日分更新できなかったね~~~。きのうは飲み会だったのだけど、帰ってきてソッコー寝た。起きたら2時くらいだったのでまた即寝た。二度目の起床後になんか更新できたらよかったのだけど、出勤までの時間に追われて咄嗟の更新みたいのするのがヤだったので……。

これ、毎日更新を掲げてるけど別に義務じゃないし、できなかったとて誰かの期待を裏切るわけじゃないし、さらに言えば毎日書くのが楽しいわけでもなく、その他実利が生まれるわけでもなし、ぜんぜん更新空けても、なんならスパッとやめてもいいんだ。
ならなんでこう一日空けたところで「やっちゃったな~~~~」となるのかね。ふしぎだ。

ひとつ考えられるのが「毎日することになってる」から。クソまじめみたいだな~と思うけど、課してる(科してる)というよりはルーティーンなのだ。食事の前にいただきますっていうとかね。そうするひとにとっては礼儀を通り越して習慣なのだ。ないと気持ち悪くなる。
でもそれぐらい習慣として根付いて強迫的な要請としてあるのであれば、きのうだって嫌々起きてやってたかもしれない。まあ動作というより中身や質を伴う行動なので断念したというところはあるが、後味としては罪悪感よりも「後で後悔するな~~~」くらいのもんだったので、やっぱり自分の意識に関わるところな気がする。ならやっぱり「自分で決めたことだから」、未達の場合自分の力量が目標に見合っておらず、悔しいとか自尊心を損なうみたいなことか。クソまじめだな~~~。

あとこれは「等間隔な更新」に意味があって、今日のように「二日分を二回にわけて書けばいいか!」というものではない。
続けて書く、あるいは短時間しか置かずに書くと内容がかぶる気がするのだ。内容というより「それを書いている主体」が、内容の部分でなんとか区別しようとしてもどうしてもかぶってくる、つまり「同じ人間が書いている」ことになるのですね。
毎日ちがうことを書けるのは毎日ちがう自分がいるからだ。ちがう発見や考えたことがあってちがう内容を決めてちがう文体で書いているのでなくて、そもそもわたしは前日のことを忘れているからちがう内容になるのだ。

これは関係ない話だけども、毎日なんか書こうと思ったらちがう文体をその都度選択していったらいいと思う。カチッと「自分の文章はこう」みたいのを決めてしまうと、次の日そこまで持ってくのが大変だから。いやできるひともいるんだろうけどね。そうじゃーなくて、自分のそのときの状態にまかせて書いてったらええねん。

脱線から回復。ようするに、前回からの距離をある程度――しかも一定に保ちつつ取ることで、前回からちがうところへ行ける。ここの間が短すぎると前回のことを意識してしまうし、ひらきすぎると逆にあまり遠くへいけない。「自分のかたち(文体)」を作らねば、みたいなお堅い考えが働いてきてしまう。

なのでわたしは、もう書き続ける「ための」ベルトコンベアに乗ってしまっているんである。書き続けているからこそベルトコンベアは動き続ける。止まってしまったらいままでの稼働もすべてパア。「これからのために」と「これまでのために」の両方へ働くちからに引っ張られながら、わたしはなんとかやっている。

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