数字
年齢とはただの数字。
確かにそう、と思う。
そこにどんな意味を乗せるかは自分次第。
『もう、こんな年齢だから』という理由で選択するしないも自分次第。
その数字が大切な時もあれば
気にし過ぎて一歩踏み出すのに足枷になる時もある。
体重とか結婚とかのコンプレックスに関しては
数字に囚われ過ぎてもね、と。
自分の健康に害がもたらされるほどの体重増減はいかがかとは思うけど
標準で、自分が心地良いならばそれがいいんじゃないかと。
40キロじゃなきゃ、ってその人の身長にもよるだろうし
数字だけに囚われてたら身体の大事な部分が壊れてしまうかもしれないよ。
恋愛や結婚に関しても
数字にやたらこだわる人は、そういう世界で生きてるって事だと思う。
日本独特の刷り込み的なビジネスもあるし
この辺って島国気質だからそういうもの?
右へ倣え的なのは未だにあるのかな。
そういう時、視野を広く俯瞰して物事を見れるようにと思う。
ただ、子供を産みたいという事ならば
それは産める年齢というものはあるのかもしれない。
年齢以外でも
現代の医学は発達してるとはいえ、その人個人の体力なども関係してくるかな。
わたしはその数字だけで自分の人生を左右されたくないとも思うし
数字が大切な時もあるなと。
考え方に偏りが出て来てしまってる時は
一度東京を離れて思い切り自然の中に行く。
SNSも離れて
そういう時間が昔からわたしには必要。
今年、更新はしたものの
薄らと今の場所から移動しそう…なんて予感もしてて
本当に舞台も演目も変わるような感じに。
慣れてきたところから離れるのは想像がつかないけれど
自分が『こうなったらいいな』と楽しくイメージしてた事以上の事があったら嬉しいよね。
それはある日、ふわっと軽くなった時かもしれない。
何度も練習してある日突然スィーっと自転車が乗れた時みたいに
逆上がりできた時みたいに
そんな時かもしれないね。
本当に
自分の能力を思い切り発揮して表現してる人って
素敵だなぁと改めて思う。
苦労する事が必ずしも良いってわけじゃないだろうけど
そういう場面にあってきた人は芯の強さが底知れない。
予想外な場面にあって、沈んだとしてもまた立ち上がる。
それを口にするかしないかはまた別として。
出来ることなら辛い事や悲しい事我慢する事ってしたくないけれど
その経験もまた自分自身を形成する糧となる。
そして、必要としている人へ言葉を届ける事が出来るし
その言葉で元気になったり救われる人も沢山いる。
在り方のカッコ良さ。
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