北海道遺産シリーズ(26)〜ニッカウヰスキー余市蒸溜所
北海道にも歴史があります。そんな歴史をたどり、未来へ紡いでいく北海道民の宝物。そんな北海道遺産を自身の足(車)で巡り紹介しようと思います。なお、記事作成にあたって、『北海道遺産 完全ガイド』(北海道新聞社)を参考にさせてもらいました。
27個目の紹介です。
ニッカウヰスキーは、日本を代表するウイスキーメーカーであり、その歴史は創業者である竹鶴政孝の情熱と努力によって築かれました。竹鶴は1894年に広島県の酒造業の家で生まれ、1920年に日本で初めてスコットランドに渡り、本場のウイスキー造りを学びました。
スコットランドでの経験を活かし、竹鶴は寿屋(サントリーの前身)で、1923年(大正12年)に日本初のウイスキー蒸留所である「山崎蒸留所」の設立に貢献しました。その後、1934年(昭和9年)に独立し、北海道余市に「大日本果汁株式会社」(後にニッカウヰスキーに改名)を設立しました。余市を選んだ理由は、スコットランドに似た気候と水質がウイスキー造りに適していたからです。
ウイスキーを作る会社なのに、なぜ「大日本果汁株式会社」かというと、ウイスキーは完成するまでに長い年月が必要で、出荷できるまでの商いとして、リンゴジュースの製造販売を行ったからです。
その後、余市蒸留所で生まれたウイスキーは、日本の気候風土を反映した独自の風味を持ち、瞬く間に人気を博しました。1940年(昭和15年)に初のシングルモルトウイスキー「ニッカウヰスキー」を発売し、その品質の高さは国内外で評価されました。
竹鶴政孝の情熱と探求心は、ニッカウヰスキーの製品に脈々と受け継がれています。彼の理念は「本物のウイスキーを造る」というものであり、その精神は現在もニッカのウイスキーに反映されています。
こうした竹鶴とその妻であるスコットランド人リタの一生は、2014年のNHKの朝ドラ「マッサン」で、描かれており、馴染みのある方も多いと思います。
現在のニッカウヰスキー余市蒸留所は、正門をはじめ敷地内にストットランド様式の建物が多く残っています。予約をすれば、蒸留所のなかを案内してもらえるツアーに参加できます。
予約をしなくても、ウイスキーミュージアムを見学できるので、ニッカウヰスキーの歴史を学ぶことができます。
アマゾンでも買えます
最後までお読みいただきありがとうございました。
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