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北海道遺産シリーズ(13)〜空知の炭鉱関連施設と生活文化

 北海道にだって歴史がある。そんな歴史をたどり、未来へ紡いでいく北海道民の宝物。そんな北海道遺産を自身の足(車)で巡り紹介しようとおもう。なお、記事作成にあたって、『北海道遺産 完全ガイド』北海道新聞社 を参考にさせてもらった。

14個目の紹介

 北海道の石炭生産の歴史について、chatGPTに聞いてみると、以下のように回答を頂いた。

北海道は、日本の石炭生産の中心地の一つであり、19世紀後半から20世紀初頭にかけて、多くの炭鉱が開発されました。石炭産業は、北海道の経済発展の基盤となり、多くの人々が雇用され、生活を支えました。
1870年代から1880年代にかけて、北海道で最初の炭鉱が開発されました。当初は、日本の他の地域から技術者や労働者が移住してきていましたが、1890年代には、朝鮮半島からの移民も増加しました。
20世紀初頭には、北海道の石炭生産はピークに達しました。しかし、1920年代後半には、石油や天然ガスの使用が広まり、石炭需要は減少し始めました。また、第二次世界大戦中は、石炭産業は軍需物資として重要な役割を果たしましたが、戦後は需要が減少し、多くの炭鉱が閉鎖されました。
現在、北海道には石炭鉱は存在しませんが、石炭生産の歴史は、地域の発展に大きく貢献しました。また、炭鉱跡地は、観光地として活用されるようになっています。

chatGPTより

流行りのchatGPTは、もっともらしく教えてくれるけれど、たまにシレッとウソを付くので要注意。「朝鮮半島からの移民が増加した」は本当なんだろうか。現在、北海道に石炭鉱がないというのも本当なんだろうか(釧路にあるのは海底だから含まれない?)。しっかり事実を調査しないといけない。

chatGPTで楽をしようと思ったが、補足がありそうだ。

北海道における石炭の歴史は、開拓使のいわゆる「お雇い外国人」である、B・S・ライマンさんというアメリカ人の方が、空知地方に鉱脈を発見したのに始まる。三笠市幌内において、官営幌内炭鉱がその始まりで、三笠の山奥から石炭を運び出すのに、幌内鉄道が小樽の手宮に開通され、明治太正にかけて、石炭生産はおおいに隆盛を誇った。

しかしながら、大きな炭鉱事故がつづいたり、石炭から石油天然ガスにエネルギー資源がシフトしていき、昭和50年代にはほとんど閉山されることになっった。

隆盛を誇っていた時代(とくに昭和30年代)、炭鉱の周りには、多くの人々の暮らしがあり、小中学校や娯楽施設などがあったという、それらの施設がいまだに残されている場所もあるが、老朽化が進んでおり、いつ取り壊されるかはわからない。いまのうちに、見ておきたいものだ。

なお、道民には馴染みの深い「北海盆踊り」も炭鉱に暮らす人々が作った文化で、いまでも残っているとのこと。

炭鉱跡地は全道(空知地方が多い)に多く残っているが、全部を訪問できたわけではないが、一部を紹介する。

赤平市にのこる立坑櫓跡(住友赤平炭鉱)
三笠市 幌内炭鉱にのこる変電所跡
三笠市 幌内炭鉱に続く線路跡
三笠市 住友炭鉱幾春別
美唄市 三菱美唄炭鉱
美唄の炭鉱の周りには、小中学校や病院、会館など人々の暮らしがうかがえる
いまは廃墟しかない

最後までお読みいただき、ありがとうございました。



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