・・・・・・・・・−量子力学的枠組みに基づくユビキタスな"都市の幽霊"の観測


この論文のようなタイトルを冠した記事で紹介するのは「・・・・・・・・・」である。言葉が出てこないことを文字で表現しているとか、ネタバレ回避のために伏字にしているとかそういう訳ではない。記述の内容が3割ほど不正確になることに目をつぶって表現するならば、・・・・・・・・・はかつて日本に存在したアイドルグループである。


アイドルといえばビジュアル。ということでまずは彼女たちのビジュアルを見ていただこう。









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……はい。
いかがだろうか、こんな感じのグループ。ライブ用の衣装などという訳ではなくこの状態がデフォルト。つまり完全顔出しなしである。あ、別にフォロワー1万5000人行くまでサングラス取れないとか、体から棘が生えているとか、天才生物学者が作った究極の生命体とかそういう事情ではないです。



きっとここまで読んだ方はその得体の知れなさ加減が気になってしょうがない頃合で、まずその名前なんて読むんだよググるぞ、となっているだろう(なってなくても良いのでぜひググってみてください)。









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……極めて驚くべきことだが、この世にはGoogle検索に引っかからないアイドルグループが存在する。
ということで長い導入はここまでにして、真面目に紹介していこう。

※筆者は物理学や量子力学が専門ではないというか素人なので、それらについての記述はあくまで表現としてのふわっとした意味しかないことを予めご了承を。
あと、話がややこしいので読むのが面倒になった人は曲だけ聴いていってくれると嬉しい。


名前について

・・・・・・・・・には公式に決まった読み方や呼称が存在しない。活動やコンセプトの拠点・東京に由来して「dotstokyo」あるいは単に「ドッツ」と呼ばれるのが一般的ではあるが、その他にも「てんきゅー(点9)」「中黒」「てんてんてん」など呼称は様々である。

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iTunesのアーティスト名順表示では読みが設定されていないものを指す「#」に分類される。



メンバーは全員が「・」であり個体を識別する名称は存在しない。代わりに活動時期によって異なるテーマに沿ったワード(物/概念)で区別される。例えばテーマが「お花」の活動期は「睡蓮の子」「ガーベラの子」など、テーマが「品詞」の活動期は「動詞の子」「形容詞の子」などとなる。個体を区別する必要のない場面(一般的には必要であっても、意図的に区別しない場合を含む)では、どのメンバーも「・ちゃん」と呼ばれる。

剥奪された個性」「検索できない」という性質は後述のコンセプトに沿って意図されたもので、1stアルバムのタイトル『         』も同様に検索不可能なものになっている(『』の中は半角スペースが9個)。

ちなみにitunesの検索機能では「・・・・・・・・・」も「dotstokyo」もヒットせず、「『』」(二重鉤括弧)で検索するとアルバムがヒットした。筆者自身どうやって音源に辿り着いたのか記憶が定かではない。何だか怖くなってきた。さすが幽霊である。


都市の幽霊

・・・・・・・・・のコンセプトは「都市の幽霊」である。いわく、東京のような都市には人の意思、環境、そのほか有象無象の概念的なエネルギーが渦巻いていて、そこに・(点)という核を与えると何らかの形を持った具象が現れる(大気中で雲ができるイメージに近い)。それはときに視覚刺激であったり、聴覚刺激(楽曲)であったり、匂いであったり、鼓動であったりする。そしてその・が「女の子の形をとった姿」こそが、今見えているアイドルグループとしての・・・・・・・・・である、と。

・・・・・・・・・のファンは「観測員」、ライブは「観測」と呼ばれる。その根底にあるのは、光のようなモノは粒子性と波動性、複数の状態の重ね合わせで存在していて、「観測」されることによってその状態が確定する、という量子力学の考え方である。・・・・・・・・・運営によれば、「・」たちの位相の変化は以下の図のように表せるという。

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一件突拍子もないように思えるこの「設定」。しかし、「なろうと思えばアイドルになれる」時代の、「どこにでもいる普通の女の子が、ステージに立ってファンに応援されることでアイドルとして輝く」というモデルに不思議とマッチしたコンセプトであるようにも思われる。観測によって状態が確定する量子の特性を、ステージの上でファンに観られることでアイデンティティーを確立するというアイドルの在り方に当てはめたのである。

光の粒子性と波動性-Wikibooks


シューゲイザー×アイドル

難しい話は抜きにして曲がいい、これは大事。
歪んだギターの轟音に乗せた、ポップで浮遊感のあるメロディで特徴付けられるロックミュージック、「シューゲイザー」と呼ばれるサウンドが「・・・・・・・・・」の音楽ジャンル。

きみにおちるよる

ねぇ

吼えるギター甘いメロディー、分かりやすい。これであなたも明日から「あぁー、シューゲイザーね、あれでしょ、あれ。」と言える、かも。

例によって普通にシューゲイザーバンド第一線の方々が楽曲を提供しており、楽曲のクオリティーは折り紙付き。YouTubeのコメント欄を見ると海外の音楽通っぽい皆さんの「nice shoegaze! cool!」みたいなコメントがたくさん見られる(ちなみにshoegazerの語源は「靴を見る人」。ギタリストが下を向いてパフォーマンスした、ボーカルが床に貼った歌詞を読んでいたなど由来には諸説ある)。

YouTubeで聴ける公式の音源がちょっと少なめなのが残念かも。
サブスクもあるのでぜひ音源購入してください。


コンセプトについて①-"常に纏えるアイドル"

・・・・・・・・・はその難解なコンセプトに沿った実験的な活動が特徴的なグループである。例えば特典会(※アイドルなどの活動において、CD購入などの特典として参加出来る握手・サイン等の交流会。地下アイドルでは2ショット撮影券や握手券を付随特典ではなく単体で販売している場合も多く、その場合も便宜的に「特典会」と呼ぶ)。

・・・・・・・・・の特典会は「五感チェキ」と呼ばれる。まず、一般的なアイドルの2ショットチェキ撮影会を「視覚情報の記録」、握手会を「触覚情報の共有」として捉える。すると他に「聴覚」「味覚」「嗅覚」の提供の余地が残されていることになる。・・・・・・・・・ではこれらの感覚の記録/提供を特典会の特典としているのである(?)。

通常の2ショット撮影会中の会話を録音し、クラウド上にデータをアップロードする。ファンはそのファイルのダウンロード用QRコードを受け取る。これが「聴覚」。受け取るQRにはメンバーごとに担当がある「匂い」がふりかけられている。これが「嗅覚」。そしてこれまたメンバーごとに担当の味が決まっていて、その味のタブレットがもらえる。これが「味覚」。こうしたあらゆる感覚の共有を通じて、ファンは離れた場所でも「推し」を近くに感じることができる。

AKB48といえば「会いに行けるアイドル」、ももいろクローバーZといえば「いま会えるアイドル」であるが、・・・・・・・・・が標榜するのは「常に纏(まと)えるアイドル」。かつてテレビの中、雲の上の遠い存在だったアイドルは、AKB48以降逆に近すぎるほど身近な存在となった。そんなアイドルを、今度は「遠くにいても近くに感じられる存在」にしようというのが狙い、ということらしい。これはポストAKB時代の「現場至上主義」的な(ライブ会場に行って目の前で会えることを売りにする)アイドルへのカウンターでもあったと言える。
(※この記事執筆当初は全く想定していなかったが、2020年5月現在、アイドル業界は”会いに行ける路線”を脱却せざるを得なくなり、配信ライブやオンラインで購入できるコンテンツに注力する姿勢、言うなれば”常に纏える路線”へと移行しつつある。社会情勢の話はともかくとして、4年も先駆けて「現場主義に依存しない」モデルやコンセプトの構築を試みていた先見の明に驚く。)

その他にも「ファンとアイドルの記憶をブロックチェーン技術を使って世界に永遠に刻み込む」や「都市を丸ごとCDの盤面に見立ててポイントに近づくと曲が聴ける"都市版"アルバム」など、チャレンジングな活動が数多あり、ここでは全てを説明しきれないので興味がある人はリンク先の説明や公式サイトブログを漁ってみてほしい。




コンセプトについて②-「・」にまつわるあれこれ

上述の通り・・・・・・・・・のコンセプチュアルな部分については公式からもかなり潤沢な資料(例えばこれ)が出ているのであるが、ここではその中でも個人的に面白いと思うものを自分なりの解釈を交えつついくつか紹介する。

・無名性ではなく重名性

「・」ちゃんたちが同じ名前で呼ばれ区別されないことは、「検索できない」「個性を剥奪した」ことと相まって各メンバーの「無名性」を表しているように思われる。しかしこれは正確ではないという。サングラスをかけた女の子は「誰でもない」のではなく、実際「誰でもあり得る」のである。「・」とは都市に渦巻くエネルギーを具現化した存在であったから、その1個体は都市に住むたくさんの人の個性を集約し代表した存在と言える、ということを表現しているわけである。「・」たちを「誰でもあり得る無数の人たちを重ね合わせた代表」として説明することで、個性を持った個人としてのアイドルを「推す」のではない、新しいアイドルの応援の形が提案された。1個体の「・」の見えない眼の奥に透けた10万人分の個性、それが「・」の本質。

そしてこのことは次のようにして実験的に説明される。例えば、マイ、リナ、ナナセ、エリカ、……と名前を10万人分、紙に重ねて書いたとする。これを遠目に見るとどう見えるか?

答えはそう、もちろん「・」である。


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公式ツイッターアカウントのアイコンとして使われていた画像。上記の名前を重ね書きする試みと同じことを写真を使って行なったものである。「誰でもないように見えて、実は誰でもあり得る」メンバーたちの肖像。






・象徴のハッキング

「・」は非常に簡単な形をしているため、「身の回りの○や●や・の形をしたものが『・ちゃん』として認識できてしまう」現象がいとも簡単に発生する。このこともまた「常に身近に感じられる」というグループコンセプトを実現する一つの要因になっていると言える。

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世界は・に満ちている

メンバーやファンが身近で発見した・をTwitterに投稿する遊びも展開されていて、たくさんの写真を#WorldDotminationで見ることができる。
こうした発想は、宇宙や素粒子の階層構造、万物に神が宿ると考えるアニミズムなど様々な概念と結び付けることができるのだが、話が広がりすぎるのでこれくらいに留めておく。

さて、この文章を読んだ時点であなたもまた、意識的・無意識的に世の中に溢れる「・」を捕捉してしまう呪いにかかってしまった。身の回りにある○や●や・を見かけるたびに、そういえばそんなグループがいたな、と思い出さずにいられないだろう。かつてこんなにも簡単に人の認識に入り込めるアイドルがいただろうか?
「常に纏えるアイドル」はそういうユビキタスな(どこにでも存在する)姿を目指していた。それは究極的には「世界そのものへの愛」へと帰着するという。この項のまとめとして最後に公式サイトの文章を引用しよう。

お天道様や地球……そんな漠然とした、大きなものにアイドルを重ね合わせることで、いつのまにか、女の子への愛が、世界そのものへの愛着にすり替ります。
「世界はクソだけど、この子だけは好き」から、「世界も捨てたもんじゃない」への転換。
抽象図形としての・を愛することができるひとは、世界も愛することができる。
それが、個性を剥ぎ取る理由です。




「女の子」の位相の消失

2019年2月4日、・・・・・・・・・は当時のメンバー全員が3月のラストワンマンライブをもって「女の子の形をとらなくなる」ことを表明した。




一般的なアイドルでいう所の卒業・解散発表にあたる。そして同年3月24日、宣言通り・・・・・・・・・は人々の前から姿を消した。

「普通の女の子に戻ります」といえば有名なアイドル引退宣言の言葉で、極めて人間らしい表現である。一方で・・・・・・・・・にとってのそれは、「女の子の形をとらなくなる」というまるでそれが自然の摂理であるかのような無機質な言葉で表現された。「観測されることによって形態が定まる(=応援されることによって輝く)」アイドルの刹那的な在り方を・・・・・・・・・なりの方法で表現した幕引きであった。

しかし、例え目に見える姿ではなくなったとしても、・・・・・・・・・は常に身の回りに遍在している——そのことがこのグループの強みと言えるかもしれない。「常に纏える」「誰でもあり得る」「都市に渦巻くエネルギーの具現化」という特性は遂にアイドルに付き物の「卒業・解散」までも克服して見せたのである。……そう考えると少し寂しさも紛れるかもしれない。

こうして都市の幽霊は都市へと還っていった。



量子力学的エピローグ①-そしてPDヘ


せっかく知ることができたのに解散しているなんて……と少し寂しくなってしまったあなたのために、「・・・・・・・・・は永久に不滅です」とでもいうべき「その後」の話を2つ紹介する。


2019年4月12日、・・・・・・・・・運営から驚くべき発表がなされた。

・・・・・・・・・の楽曲や歌詞のうちここに掲載されているものをPD(パブリックドメイン)として解放したのである。許諾/表示不要かつ無償で改変・商用を含む利用が可能というフリー素材としては最も自由度の高い状態で、あらゆる創作のために・・・・・・・・・のコンテンツが開かれた事になる。アイドルとして、というか存命中のアーティストとしては前代未聞の取り組みではないだろうか。

PD化したことで・・・・・・・・・は名実ともにユビキタスな概念となった。望むならば誰もが・・・・・・・・・・のコンテンツの発信者になり得る。誰もが・・・・・・・・・のコンテンツを受信し得る。そして「・」のことを全く知らない人でさえ、気づかないうちにそのコンテンツを元に創られた作品に街で出会う可能性がある。都市の営みから生まれた作品たちが、都市の活動のために還元されたのである。もう一度こう書いておこう。

こうして都市の幽霊は都市へと還っていった。

かつてこんなにも美しい形でコンセプトを体現したアイドルを他に知らない。



量子力学的エピローグ②-光

2019年5月1日、令和の幕開けとともに1つのアイドルグループがお披露目された。グループの名前は「RAY」。

「圧倒的ソロ性」と「『アイドル×????』による異分野融合」をコンセプトとする新時代のアイドルを標榜し、4人のメンバー個人がそれぞれ立ち上げるクラウドファンディングにより多彩な活動を展開するという新しいプラットフォームを提供している。

グループとしてはシューゲイザーを基調としたハイレベルな楽曲と熱量あるライブパフォーマンスを売りにしており、国内外からの音楽性への評価も高い。



RAYはライブ活動やアルバム収録を通して・・・・・・・・・の楽曲を積極的にカバーしている。「サテライト」「スライド」などの名曲が、解散によって埋もれることなく新しいステージで披露される機会を得たことは、ファンにとっても喜ばしいことである。

「RAY(光)」というグループ名はアイドルのもつ多面性を表現して付けられているようで、その意図は1stワンマンライブとその連動企画で掲げられたキャッチフレーズからも窺い知ることができる。

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アイドルは波長であり、温度であり、粒子であり、色彩であり、それらが重ねあわせの状態で存在している「」である。RAYはそう主張する。

なぜ最後の章をRAYのためにあてたのか、察しのいい人ならそろそろ気づいてくれたかもしれない。

そして最後にもう一つ、RAYのメンバーの一人、内山結愛が立ち上げた最初のクラウドファンディングの序文を紹介する。言葉の一つひとつが大事な意味を持つ名文なので、できればリンク先の全文を読んでほしいところであるが、ここでは一部を引用する。

ずっとゆめを見ていたような気がします。

ゆめの中で2年半近く、歌って踊ってがむしゃらになって、喜んだり悲しんだりしました。

(中略)

だけど不思議なことに、そういった感情の動きやからだの実感はあるのに、何かがいつも欠けている気がしていました。まるで私には名前がないような、顔がないような。何かに守られているような、何かに閉じ込められているような。そんな中でもみんなは私を見てくれて、色々なもので薄まっている私を見つけてくれて、それが本当に嬉しくて。だからまたもどかしくなって。

(中略)

けれど、ゆめから覚める時間がやってきました。

(中略)

思い出は、街の中の、現実のいろんな場所に刻まれています。そんな、現実に影響を与えるような、不思議なゆめでした。

そして私は多分、思い出は街に任せて、私自身の意識的な記憶としてはそれを持つことなく、ゆめから目覚めるんだと思います。

そう、ゆめの終わりです。

(中略)

ゆめが終わって始まるのは「現実」だけど、私がこのcollectionsを通してやりたいのは、別の「ゆめ」の形です。これから始まる現実自体をゆめのような時間に変えていきたいです。


最後に

名実ともに「都市へと還った」都市の幽霊たちの残滓は、新しい時代に、新しい形となり、新しい光を放ち始めた。
例え姿は見えなくても、姿は変わっていても、あなたが「観測」の目を向ければ、都市の幽霊はいつもそこにいる。

・・・・・・・・・という名前の、この不思議で難解な、なんとも捉え難いグループが少しでも気になってくれたなら、筆者としても大変喜ばしいことである。

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