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愛するということ-噂と炎上

こんにちは。

今回は、ネットに書き込まれる匿名投稿って、ほんとに愛に欠けてるねって話を友人としていて書きたくなった内容です。

言いたいことから言っちゃうと、匿名なネットの環境では人って本当に醜い言葉を平気で吐くもんですね。思いやりなし、リスペクトなし、責任感皆無、相手の事情なんて微塵も知ろうとしない。

根拠のない誹謗中傷ワードを吐き捨てて、人を傷つけていく。

ようは、愛の基本的要素はそこに存在しない。

どんな人が、そんな言葉を吐いていくか。そうは言っても、噂話が三度の飯より好きな人も少なくないしね、といったことを書いてみた。

 噂をするときも、愛をおき忘れてないでが、メッセ。

ここから先は、お暇なら読んでね。この引用は、愛の基本的要素について知ってる人は読み飛ばしていいです。

愛の基本的要素

配慮、とはどんな要素か。

愛に配慮が含まれることをいちばんはっきりと示しているのは、子供に対する母の愛である。

もし、ある母親に子供に対する配慮が欠けているのを見てしまったら、つまり子供に食べ物をあげたり、風呂に入れたり、快適な環境を与えるのを怠っているのを見てしまったら、たとえその母親が子供を愛していると言っても、その言葉を信じることはできないだろう。

反対に、母親が子供のことをあれこれ気遣っているのを見れば、その愛に打たれるだろう。

動物や花に対する愛情の場合にも同じことがあてはまる。(中略)

愛とは、愛するものの生命と成長を積極的に気にかけることである。
この積極的な配慮のないところに愛はない。

次に、”責任” について。

配慮と気遣いには、愛のもうひとつの側面も含まれている。責任である。

今日では責任というと、たいていは義務、つまり外側から押し付けられるものとみなされている。

しかし、本当の意味での責任は、完全に自発的な行為である。

責任とは、他の人が、口に出すにせよ暗黙のうちであれ、何かを求めてきた時に、応答することである。

「責任がある」ということは、他人の要求に応じられる、応じる用意がある、という意味である。(中略)

愛する人は、自分自身に責任を感じるのと同じように、仲間にも責任を感じる。

この責任は母子関係について言えば、生理的欲求への配慮を意味する。大人同士の愛の場合は、相手の精神的な求めにも応じることである。

3つ目の"尊重”

愛の第3の要素である尊重が欠けていると、責任は、容易に支配や所有へと堕落してしまう。

尊重は恐怖や畏怖とは違う。尊重とはその語源(respicere=見る)からもわかるように、人間のありのままを見て、その人が唯一無二の存在であることを知る能力のことである。

尊重とは、他人がその人らしく成長発展していくように気遣うことである。したがって尊重には、人を利用するという意味は全くない。

私は愛する人が、私のためではなく、その人自身のために、その人なりのやり方で成長していって欲しいと願う。

その人と一体感を味わうが、あくまでありのままのその人と一体化するのであってその人を私の自由になるようなものにするわけではない。

いうまでもなく、自分が自立していなければ、人を尊重することはできない。つまり、松葉杖の助けを借りなくとも自分の足で歩け、他人を支配したり利用したりせずにすむようでなければ、人を尊重することはできない。

自由であって初めて人を尊重できる。

人を尊重するには、その人のことを ”知る” 必要がある。

その人に関する知によって導かれなければ、配慮も責任もあてずっぽうに終わってしまう。いっぽう知も、気遣いが動機でなければ、むなしい。(中略)

自分自身に対する関心を超越して、相手の立場に立ってその人を見ることができた時に初めて、その人を知ることができる。

例えば相手が怒りを外にあらわしていなくとも、その人が怒っているのがわかる。

もっと深くその人を知れば、その人が不安に駆られているとか、心配しているとか、孤独だとか、罪悪感にさいなまれているということがわかる。

その人のことを怒っている人としてではなく、不安に駆られ、狼狽している人、つまり苦しんでいる人として見ることができるようになる。

p47~50 エーリッヒ・フロム、鈴木晶訳『愛するということ』

では、どんな人が根拠のない誹謗中傷ワードを吐き捨てて、人を傷つけていくのか。いわゆる炎上を煽っていく人とは。

炎上に加担している行為は、、。

いわゆる炎上とされるニュースを見た人の24.5%がなんらかのアクションをとる。関連情報の検索をする。これも加担である。

SNSでそのニュースを見る。知人に話す。これも拡散に加担する行為。
ニュースサイトに炎上ネタがあればアクセス数が伸びるとすればまた同じようなニュースが格好のネタになる。

ニュースを見た人の24.5%のうち3.6%はコメントなしてReTweetする。2.3%の人がコメントをつけてReTweetするという調査論文<国内における「炎上」現象の展開と現状;吉野ヒロ子(帝京大学)>がある。この3.6%+2.3%=5.9%が関与群と言われる層。

「関与」群の 8 割近くを 20 代と 30 代が占め、 若い世代に多い傾向がある。「会社員」が多く、「関与」群の62.5%となっている。学生も若干多く 「関与」群の 5.0%となっている。
世帯年収については、調査結果で違いがあってはっきりしない。

で、「関与」群の書き込む動機だが、の「義憤にかられているから」という項目に対して、他の群や全体よりも同意する傾向が強い。

「義憤」は私的ではなく公的な怒りであり、「関与」群は、怒りやすい、怒りを表現 しやすいだけでなく、利他性や社会の公正さを求める傾向が強い可能性があるだろう。

また、「炎上」に関与 した経験がある者が「炎上」の社会的影響力を低く見積もっていることは、軽いものだと捉えているからこそ、
国内における「炎上」現象の展開と現状 気軽に参加しているとも考えられる。

p80 https://www.jsccs.jp/publishing/files/20th_06.pdf

統計的に調査分析した文献に行き着けず、歪んだ心理状態を持った人たちが”炎上”にどれくらい関与しているかはよくわからなかった。人の不幸は蜜の味とかいう心理や、妬みや嫉みの感情から起動している行為もあるはず。

とは言っても、噂話は大概の人は好きです。私もやはり聞き耳を立ててしまうし参加しちゃうこともあるのが実際だ。

それで、なんで人は噂話が好きなのかというと、人類の本能的なレベルからくるものであって、進化的な理由があるはずと一部の社会学者は主張している。

そのあたりの意義と課題を文献から拾ってみた。かなり要約してます。

イギリスの人類学者ロビン・ダンパーは、「人間の会話行動」という論文で、会話時間の60~70%は、個人的な人間関係、自分や知り合いが登場するエピソード、今後誰かと会う予定などの話題に費やされていた。

これを広い意味での噂話・ゴシップと言い換えている。

それ以外では、仕事や勉強に関する会話自体の数%から20%を占めていた。
その他の人の研究でも雑談の70%~78%はゴシップとされてますが、このゴシップは不倫スキャンダルのようなネガティヴなものだけはないです。

後の研究では70%~78%は多すぎで14%ぐらいと訂正されています。

ゴシップとは、その場にいない第三者のインフォーマルな会話のことです。

人はゴシップを巧みに交換することで、社会的な絆を強化しているのではないかという仮説がある。

ゴシップの共有が人間同士の信頼関係を強化し得るのは、それが受け手にとって有用な情報だからだ。

「先日、あの人とあの人の間でこんなトラブルが起きた」とか
「彼は先日、こんなことを言っていた」

こうしたエピソードは、当の第三者が信用できる人物なのか判断したり、今後どのような行動に出るのか予想したりする際に役に経つのである。

またゴシップは、他人の評判を貶める目的で用いられることも少なくない。

互酬性のルールに従わない「フリーライダー」行為、つまり共同体に自ら貢献することなく利益だけ受け取るという裏切りを、暴力を用いずに抑制する手段として機能しているという考え方もある。

ゴシップというのは、話し手の主観によりバイアスがかなりかかっており、近代社会における人間関係は大規模化かつ流動的なものであり、日常的に多数の「顔見知りではない他人」と関わりを持つ必要がある。

近代社会においては、客観的なデータや中立的な制度といったものが以前にも増して重要になっている。

しかし、我々がゴシップにとらわれることをやめられるかというと、そうは考えにくい。ゴシップ的な情報への関心は我々の本能に近いレベルに根を下ろしてそうだから。

そして世界の理解そのものを規定している可能性もある。

ゴシップの力:http://trans.kuciv.kyoto-u.ac.jp/tba/wp-content/uploads/2022/01/kawabata86_gossip.pdf

ここでは、噂話・ゴシップの意義は、小さなコミュニテイでは有用なことが説明されていた。雑談と言ってもいい感じ。

これって、進化型組織の会議の前によく行われるようになったチェックインもゴシップを共有する行為な感じがする。

暴力によらずコミュニティの規範を逸脱する者への抑制の効果も考えられるという。ただ、非公式な糾弾、誹謗中傷、私怨の発露のようなことまで発展することが問題になってしまっている。

ここで引用したゴシップの力では、ゴシップは我々が生きている世界の迫真性、つまり「リアリティ」と「最もらしさ」に関わる「物語モード」の思考を担っていると言っている。

ゴシップは本質的には他者を理解しその心理や行動を想像しようとする言葉のやりとりに他ならないと結んでいる。

そろそろ結びに向かうとしよう。

総務省が”インターネット上の誹謗中傷への対策”というホームページをアップしている。炎上被害に遭ったら、炎上を防ぐ対策について様々な情報があり困ったら参照してください。

お役所にしてはちょっと粋なデザイン。

ハートがなけりゃSNSじゃない!


https://no-heart-no-sns.smaj.or.jp/

では、私からも。

ネット社会にも「愛するということ」を実装しよう!


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今月は2023/07/08 20:00〜22:00に、「本を読んでなくてもいい読書会」を開きます。
 エーリッヒ・フロム「愛するということ」がネタ本になります。
https://note.com/no1coach/n/n0a896c784afe
主催者のFavebook友達に今のところ限定になっていますが、ご参加ください。

ここまで読んでくださった方にありがとうございます。

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こころざし創研 代表
ティール・コーチ 小河節生
E-mail: info@teal-coach.com
URL: https://teal-coach.com/
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