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愛するということ(その6)-親子の愛

(その6)-親子の愛では、母性的愛、父性的愛の違いと、成熟した人間はその両方で人を愛することを説いている。

その前に、このブログを書き始めた背景をまた、書いておく。

愛という感情というか欲求には、俺は関係ないとつい1年前までの立ち位置だった。死にかかったことで愛に関心が芽生え愛って何と好奇心を持ってしまった。

Amazonで愛と検索して出てきた本からエーリッヒ・フロム、鈴木晶訳『愛するということ』を読んでみた。

その結果として、印象に残った文章をピックアップして、感想をつけていきます。何を言ってるかわからない時は、引用元の本を読んでください。

こんな内容の本です。


◎目次
はじめに
第1章 愛は技術か
第2章 愛の理論
1.愛、それは人間の実存の問題に対する答え
2.親子の愛
3.愛の対象
a.友愛
b.母性愛
c.恋愛
d.自己愛
e.神への愛
第3章 愛と現代西洋社会におけるその崩壊
第4章 愛の習練


今回の(その6)は、第2章 愛の理論 の 2. 親子の愛 になる。

出だしを要約すると、、。

胎児から誕生し、意識が発達してくる過程が説明される。母の愛は無条件、至福、平安であることを経験する。

8歳半から10歳ごろから、愛されるだけでなく、愛を生み出すという感覚が生まれる。例えば親や家族、友達に何かを送るということで愛されることから愛することへと、愛の観念が広がっていくとしている。


思春期に差し掛かると、子供は自己中心主義を克服する。つまり、もはや他人は自分の欲求を満足させるための手段ではなくなる。

他人の欲求も自分の欲求も同じくらい大事になる。もらうよりは与える方が、愛されるより愛する方が、より満足のいく、喜ばしいことになる。

愛することで子供は、ナルシシズムと自己中心主義によって築かれた孤独と隔離の独房から抜け出す。(p67)


しかし、こう書かれると、思春期で達成すべきレベルに達しきれなかった大人が多くないですかね?


幼稚な愛は「愛されているから愛する」という原則に従う。

成熟した愛は「愛するから愛される」という原則に従う。

未熟な愛は「あなたが必要だから、あなたを愛する」とい言い、

成熟した愛は「あなたを愛しているから、あなたが必要だ」という。(p67)


自分がああ未熟だなと悟る。
愛することが目的なので、その対象が必要という構図に見える。

愛する対象、あなたがいなくても愛することを続けられるのが愛の達人とも人から聞く。

さらに成長していくと、父親との関係が次第に重要になってくる。


この母親から父親への移行を理解するには、母の愛と父の愛との本質的な違いについて考えてみなければならない。(中略)

母の愛はその本質からして無条件である。母親が赤ん坊を愛するのは、それが彼女の子供だからであって、その子が何かの条件を満たしているとか、何かの特性の期待に応えているからではない。(中略)

無条件の愛は、子供だけではなく全ての人間が心の奥底から憧れているものの一つである。(中略)

愛されるに値するから愛されると言った類の愛は、「ありのままの私が愛されているわけではないのだ」「私はただ相手の気に入ったというだけの理由で愛されているのだ」「要するに私は愛されているのではなく、利用されているのだ」と言った苦い思いを生む。(p69)

だから、子供も大人も母性愛への憧れを 捨てきれないのは不思議ではない(中略)。(p70)

母親は私たちが生まれてきた家である、自然であり、大地であり、大洋だ。父親はそうした自然の故郷ではない。(中略)

父親は自然界を表しているのではなく、人間の生のもう一方の極、すなわち思考、人工物、法と秩序、規律、旅と冒険などの世界を表している。子供を教育し、世界へつながる道を教えるのが父親である。(p70)


父親には、この役割と並んでもう一つの役割があるという。

私有財産が生まれ、その財産を子供に継がせることができるようになった時、父親は自分の財産を継がせられる子を欲するようになったという。

それは父が気に入っている子になる。父親の愛は条件付きであるのだ。


理想的なケースでは、母の愛は子供の成長を妨げたり、子供の無力さを助長したりはしない。母親は子供の生命力を信じなければならない。

心配しすぎて、その心配が子供に伝染するようなことがあってはならない。子供が独立し、やがて自分から離れていくことを願わなければならない。(p72)


子離れできていない、親、特に母親が多くない? 核家族化が進んでから。


父の愛はさまざまな原理と期待によって導かれるべきであり、脅したり権威を押し付けたりするのではなく、忍耐強く、寛大でなければならない。

成長する子供に少しずつ自分の能力を自覚させ、やがては子供がその子自身の権威となり、父親の権威を必要としなくなるように仕向けなければならない。

やがて子供は成熟し、自分自身が自分の母であり、父であるような状態に達する。成熟した人間は、いわば母親的良心と父親的良心を併せ持っている(中略)。(p72)

子供は母や父を自分の中に取り込むのではなく、自分自身の愛する能力によって母親的良心を築き、理性と判断によって父親的良心を築き上げる。

母親的良心と父親的良心は矛盾しているように聞こえるが、成熟した人間はその両方でよって人を愛する(中略)。

母親への愛着から父親への愛着へと移行し、最後には双方が統合されるというこの発達こそが、精神の健康の基礎であり、成熟の達成である。(p73)


この後、神経症の基本原因はこの発達がうまくいかないことにあると説明がある。ケン・ウィルバーもインテグラル心理学の中で、発達のフェーズが移行するときに親のサポートがないと、発達障害を起こすとしている。

この辺の説明は、多分「愛するということ」の時代とは相当変わっていると想像されるので省略します。

次回、(その7)では3章 愛の対象 a 友愛を取り上げます。


一人の人を本当に愛するとは、全ての人を愛することであり、世界を愛し、生命を愛することである。

自信を持って「あなたと愛している」と言えるなら、「あなたを通して、全ての人を、世界を、私自身を愛している」言えるはずだ。(p77)


クリフハンガーして、おしまいです。


こころざし創研 代表
ティール・コーチ 小河節生
E-mail: info@teal-coach.com
URL: https://teal-coach.com/







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