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懊悩タイムトラベルVol.2-5

過去の恋について綴るとよほど素敵な出会いとすばらしい日々、そして悔いのない別れでもしていないと
暗くなるものだと思う。
それにしても僕の恋は暗かった。
クドいようだけど18歳には重すぎた。
けれど僕は諦めることはなかった。
それが愛することだと思っていたから。

僕は定時制高校なので放課後は21時からになる。
時々はご飯を食べに行ったりしていたけれど、
高校3年の4月からは授業が終わるとすぐに学校をあとにして彼女に電話をかけていた。
なんせ消灯時間があるのでその前までにかけないと繋げてもらえなかったから。
いつもナースセンターの前で待っていてくれたらしい。
そんな健気さが僕の心を支えていた。
その矢先に彼女は外泊許可をとって自宅に戻りODをしてしまった。
幸い、大したことはなかったのだけど閉鎖病棟に移されてしまった。
電話も前のようにかけることができなくなり手紙を書いたり花を送ったりしていた。
ある日、彼女から写真が届いた。
ものすごく大きなクマのぬいぐるみを抱いて満面の笑みを浮かべている。
が、金髪のショートヘアになっていた。
綺麗な人なので似合ってはいるけれど、それをやる状況とは思えず僕は複雑な気分だった。

もうすぐ梅雨を迎える頃、僕のもとに彼女の母親から手紙が届いた。
何か嫌な予感がしたのだけれど杞憂に過ぎなくて
夏休みのスケジュールを確認するためだった。
メールアドレスが載っていたのですぐに連絡したところ札幌に招いてくれるとのこと。
それに合わせて彼女は外泊をするという計画だった。
断る理由はない。
バンド活動を少し減らして塾のコマ数を増やし勉強にウエイトを置いた。
この時点で熊本大学は何とかなりそうだったのでもう少し模試のアベレージを上げようかなんて考えていた。
なんか…真面目だったんだ、僕。

こうして迎えた夏休みに僕は新千歳空港に飛び立った。
前に来ているので空港から電車で札幌駅に向かいそこで久しぶりにご両親とお会いした。
とはいえ話す話題がないのですぐに病院へ向かった。
精神病院と聞くとカッコーの巣の上でや17歳のカルテが浮かんでくるので少し構えていたけどほとんど普通の病院だった。
ほぼ半年ぶりに彼女とご対面。
そこにはもともと小さかったけれど更に小さくなって見えるくらいやせ細った彼女がいた。
よく見ると手首に傷跡もあった。
それでも僕の大好きな笑顔を見せてくれたときは涙が出るのをぐっと堪えた。

笑顔には笑顔で応えたかったから。
僕のせいで彼女はここまで追い込まれてしまったんだと思うと己に対する怒りと悲しみで頭の中がいっぱいになってしまった。

そして必ず元気になるまで支えて幸せにしようと固く誓った。

ただ現実はそう簡単ではない。

一緒に食事をしてもほんの少ししか食べられなかったりトイレに駆け込むかのどっちかで食事を楽しむ感覚が失われていき僕まで食事をするのが嫌になってきてしまった。

部屋に戻って服を脱がすと極端にやせ細った体が顕になって少し力加減を間違えたら体が砕け散ってしまいそうで恐る恐る抱いていた。

さらに感情の波が激しくなっていて突然ヒステリックになったり泣き始めたりして振り回され続けてしまった。

言い争いになったときはトイレに鍵をかけて籠もってしまい、声をかけてもノックをしても一向に出てこないので不安になってきたのでドライバーで鍵をこじ開けたら熟睡していたということもあった。

とにかく僕はこの数日間、振り回され続けた。

まともに眠れないし食事も一人。

けれどこれは僕のせい。

これからゆっくり時間をかけて彼女を理解しながら心が治るのを待っていよう。

彼女のために生きよう。

そう思った。

横浜に戻る日、彼女は立つこともままならなくなり車椅子になっていた。

弱々しい笑顔で手を振ってくれる彼女の姿は見ていて本当につらかった。

だから僕は覚悟を決めた。

大学進学ではなく卒業したら札幌で就職して一緒に暮らしながら生きていこう。

そう決めた。

あと半年だけ待っててくれ。

涙が出そうになるのをこらえて僕は横浜に戻った。

そして夏休み明け早々に僕は進路変更を申し出た。

誰もが驚き、説教され、諭され、笑われた。

僕はその声を全て聞き流して押し切った。

だって僕の人生だからどう生きようが僕の自由。

ただしそれは彼女も同じだということに僕は気づいていなかった…

続く


どんどん重苦しくなってきてますがめげることなく読んでくださってありがとうございました。

もう少し続きますので劇的に暇なときなどお付き合いくださいませ。

ではでは。

宮崎より愛を込めて。

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