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サフィニア〜咲きたての笑顔【夏ピリカ応募】


「あたし、一日中ね、午前も午後も途中から夕方にまで時間が伸びたじゃないですか?延々と歩かされるのがすごく嫌だった、死にたくなった、何回も」

「家の玄関ね、あっ、実家のね、母の鏡台があったの、薄いベージュ色の枠の大きな鏡だった、資生堂の下に粉が沈む化粧水の匂いがもわっとたちこめるように匂っていて……」

言いかけて怖くなってしまう、あの年の八月の初め頃、暑気あたりなのか怠くて気持ち悪くて朝から何にも食べられなかった。

なんでなん?なんで、行きたくないからの嘘になるん?午前九時を過ぎるとアスファルトは熱を持ち歩くたびに体力を奪ってゆく。

今日だけは、どうしても行きたくなかった、家で休んでいたかった。母も一緒に休んで母の膝の上に頭をのせて髪を撫ぜて欲しかった。

それは叶うことはなく、重たい脚を引きずって向かう玄関のドアのちょうど真正面2メーターほどの場所に何故か置かれていた、鏡台。

いっそ鏡の中の世界へ行きたい、今を全部忘れたい、ここに居たくない。

歩いているうちに治るんだと唾を飛ばしながら鉄製のドアの前に腕組みをして立つ母にぞぞげが立った、ぷくっとふくらんだそれは暫く消えないでいた。

⌘⌘⌘


「焦らなくていいですよ、ゆっくり、待ってますから。あなたのペースで大丈夫」

そうか、スペースに入れずにいたところを遠くから手を引いて貰っていたのだった。僕も同じ体験をしているのです、あなたを変だなんて思わない。

一度、二度、三度と入り直すがはじかれてしまって、せっかくあたしの番がきたのにうまくやれなかったのを待っていてくれた。

「僕も鏡の世界の人になりたかったんです。やりたいこと、好きなものを大切にされるかもしれない世界へ行きたかったです」

「僕たちは、入れなかった、そこからもはじかれてしまったんですよ。根がないのに咲く花みたいにそれを繰り返している」

「だから一緒に根を生やしたいんだと言いましょう。根無しの花を可哀想だからと枯れるまで待っていてはよくないです」

そうね、あたしも困ってるんです、どうしようもなく。でもね、ハリボテの花でも咲かせていたいのよ。普通と思いたいのよ、まだ白旗はあげれない。

彼は声でやさしく、優しく微笑んだ。自分の方が少しお兄さんだ、先に進んでいるから分かるよって。

「あなた、白旗をあげれてるかもしれないですよ?少しずつ、ほら、今だってスペースに来てるじゃないですか、鏡の世界の話もしてくれた」

挿し芽は成功するだろうか、ハリボテの花を、小さな花の蕾を思い切って切れるだろうか、可哀想でも。

根を生やすだろうか、
わたしの、サフィニアは。



(1069文字)


よろしくお願いします。



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