『トウガラシの世界史』 - 山本紀夫

 前にふと「トウガラシはなぜ辛いのか?」という疑問が浮かんだ。動物に食べてもらうため植物の果実は基本的に甘くできている。種子だけは消化されずフンに混じって排出されそこで芽を出す。こうして分布を広げていく…はずだ。辛かったら食べられないじゃん。食べてほしくないのか。

 調べたらwikipediaに答えが書いてあった。(獣や虫にとっては辛いけど)鳥類はカプサイシン受容体を持たないので辛さを感じない。鳥に食べてもらった方が種子拡散に有利なのでこのように進化したのではないか、ということだった。つまり「鳥には食べてほしいけど四つ足には食べてほしくない」というのが辛い理由らしい。

 「へぇ〜…」と思った。

 するとトウガラシの分布はその地域に生息する鳥類の生息範囲とおおよそ一致しているはずだ、これを調べて裏を取ることはできるだろうか? 渡り鳥は確かに何千キロも旅して別の大陸にまで行くが、消化排泄が早ければ海に落ちるだけではないか? 秀吉が朝鮮出兵の際に朝鮮半島にトウガラシを伝えたという説が有名だが、鳥の行動範囲より人間の行動範囲の方が広いのか? あの細長いサイズ感も鳥が食べやすいようにあの形になっているのかも知れない、などと考えていた矢先Kindleのポイントバックキャンペーンでこの本が出てきたので買ってしまった。(同Mac(同Amazonアカウント?)で調べたことがあるのでサジェストされてきたっぽい。)

 最初の方でまさに僕の知りたかったトウガラシの生態、植物学的な説明が書かれていて有り難かった。さすが単著を出しているような人は詳しい。素人の思いつきなんかとは全然比べものにならない。素晴らしい。トウガラシと密接な関係のある鳥類についてもその関わりがちゃんと説明されていた。
 また出典・引用元が明記されていたり「ここまでは裏が取れている」という話と「確証はないが強く推察される」という話がはっきり区別されている辺りに好感が持てた。(身につまされる話だが適当な陰謀論を書き散らかすのに慣れてしまうとこんな事もできなくなってしまう。)

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 トウガラシは中南米原産、15世紀末コロンブスによって持ち帰られるまで旧大陸では全く知られていなかったそうだ。つまりカプサイシンによって運び屋を鳥類に限定したところで(海を越えるほど)分布拡散のメリットはなかったらしい。そもそも実が大きくなったのは人間による栽培化の結果であり、野生種のトウガラシはもっと小粒なのだそう。ということはどうやら小鳥が啄ばむ程度のもののようだと思った。崖や川などの地形的障害は越えられるかも知れないが移動距離は(獣に比べて)やはりそれほど広いわけではなさそう。
 最初鳥類との関係を知った時にはすごく感心したが、しかし実際拡散にそこまでアドバンテージがあるわけでなく、ただ単に「その辺りの生態的ニッチに偶然開きがあっただけ」というのが実際のところでは? と感じた。じゃあ辛い理由は何だろう。或いは獣を避けるためというより、むしろ虫害を防げるというところに主なメリットがあったのかも知れない。

 あとで調べてみたら「カメムシの仲間に刺されるとフザリウム病(カビ)に感染してしまう。それを防ぐためにカプサイシンを持つように進化したのではないか」という説もあるらしい。やはり虫だ!(?)
 ちなみにこの本の中ではこっちの説には一切触れられていない。最新の研究成果を読みたければ他の本をあたった方がいいかも知れない。

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 トウガラシが世界中に広まったのはやはり(その辛みを)人間に見初められたから。コロンブスが1493年に初めてスペインへ持ち帰って以来、交易によってまたたく間に広まり、熱帯だけでなく温帯でも栽培できるその容易さから各地の食卓に取り入れられていった——というような話がちゃんとタイトル・副題の通り説明されていた。

 僕は最初トウガラシといえば韓国のイメージがあったが、他にもブータンなどこれを多用する国があるそうだ。それもこれもコロンブスが伝えて以来わずか数百年の間にまるで最初からそこにあったかのようにそれぞれの郷土料理に組み込まれていったのはすごい。稲や麦など人類の主食の地位を占め世界に大躍進を果たしたイネ科穀物に次ぐ成功を収めているのではないかと感じたくらいだ。
 あとはカレーの辛さがトウガラシ由来というのは初めて知った気がする。(他のスパイスと調和しているせいでトウガラシ感がなかった。)

 しかしトウガラシが広く受け入れられた国とそうでない国とで——地理的に隣接しているのにも関わらず日本と韓国はこの点で好対照だ——何が違ったのか、トウガラシを多用する国や地域に共通する特徴とは何か、その文化的な差異については少し言葉を濁してる感がある。例えばいくつか考えられる原因として貧困や栄養の不足を挙げているのだが、こういった仮説を著者は少しセンシティブなものと捉えていて、一般向けの書籍としては敢えて掘り下げることを避けたんじゃないかという気がした。

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