『巡査の居る風景』 - 中島敦

 1929年、19歳の時に一高の雑誌に書いたものだそう。中島敦全集でも出版社によっては収録されていない事が多い。でも探したらすぐ出てきた。(著作権はとっくに切れているので)ネットで全文を読むことができる。

 「一九二三年の一つのスケッチ」と副題がついていて、この年の関東大震災で起きた朝鮮人虐殺を扱っている。全集にも収録されずこの作品が黙殺されがちなのはその辺りの都合が悪いからではなかったかと勘繰ってしまう。震災時の虐殺は僕自身最近まで知らなかったし、ここまで耳目を免れてきたのは偶然という訳でもないのでは。

 ――私? 何でもないさ、亭主が死んで身寄りがなくって、外に仕事がなければ仕方がないじゃないか。
 ――亭主って、何してたんだ。
 ――鐘路で毛皮を売ってたんだよ。
 淫売婦の金東蓮の部屋では、温突の油紙の上に敷いた薄い汚れた蒲団の下に足をつっこんで、色の白い職人風の男が話して居た。
 ――で、何時、死んだんだい?
 ――此の秋さ。まるで突然だった。
 ――何だ。病気か?
 ――病気でも何でもない地震さ。震災で、ポックリやられたんだよ。
 男は手を伸ばすと、酒の瓶を掴んでごくりと一ロ飲み込んだ。
 ――じゃあ、何かい。お前の亭主はその時日本に行ってたのか。
 ――ああ、夏にね。何でも少し商売の用があるって、友達と一緒に、それも、すぐ帰るって東京へ行ったんだよ。そしたら、すぐ、あれだろう。そしてそれっきり帰ってこないんだ。
 男は急にギクリとして眼をあげると彼女の顔を見た。と、暫くの沈黙の後、彼は突然鋭く云った。
 ――オイ、じゃあ、何も知らないんだな。
 ――エ? 何を。
 ――お前の亭主は屹度、………可哀そうに。

 この頃の日本といえば支那人・朝鮮人など文明の遅れた土人と見下して随分横柄なものだったはず。そういう時代の空気の中にあっても植民地支配や人間に尊卑のある事に違和感を感じ得た敦の鋭敏さが伝わってくる。少年時代を朝鮮半島で過ごした経験ゆえなのか。
 あくまで習作らしくそのモヤモヤとした感覚はうまく言語化できていないのだけど。現代と違って差別問題を取り扱うための便利な語彙など無かった時代に、それでも幾つかの情景を繋げてその感覚・観念を表現しようとしたのは驚くほど先進的だと思う。この時代にこれを書いたのはすごい。

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