『夜と霧』 - ヴィクトール・E・フランクル

 昔高校生のころ書店(その頃はまだ街の書店が駆逐されていなかった)に並んでいるのを見ては買おうかどうかずっと迷っていた。しかし結局買わずに、その後ろくに読書もできない状態になってしまったので、とうとう今の今まで隔世の間を置くことになった。

 「積ん読とはただ詰んでいるだけではない。詰んでいる間にも書物との対話をしているのだ。」という主張に同意できるものがある。僕はこの『夜と霧』というタイトルを20年ずっと心の中に寝かせ続けていた。「そうだったのか、この本に書いてある話はこんな内容だったのか。君の言いたかったことは。こういうことだったのか。」という満足を感じながら読んでいた。もっと早く読めば良かったという後悔もまんざらあるでもない。読んだのが今で良かった。本は逃げないのだ。それがいい。やはり詰んでいた20年も読書体験の一部であるように感じる。

 ちなみに読んだのは池田香代子訳の新版の方。なのであのころ僕が店頭で買おうか迷っていたものとは翻訳が少し違うらしい。

 あのころ買わなかった理由はいくつかあるにしろ、第二次大戦中ユダヤ人として強制収容所に入れられた経験というのが、あまりにも特殊で時事性が高すぎるように思えたから、というのもその一つだった。ただ実際読んでみると(人類史上二度とないような特殊な状況を書いているのにも関わらず)この内容には普遍性があり共感できることに気付く。普遍性というか、もっと乱暴に言えば凡庸さがあった。

 戦時中という特殊な状況だから今とは違う、ユダヤ人だから俺たちとは違う、と、特別視することは自分の慣れ親しんだ世界とは違うものとして(無意識に)線を引き、遠ざけることだ。そうではなく、そこにはただ自分と同じありふれた凡庸さがあるだけなのだという意識が、問題を身近に感じさせ、自分の人生に活かすための出発点となる。

 訳者あとがきによると旧版の出版時には「ユダヤ」という単語がただの一度も登場しなかったらしい。つまり書き手の方はかなり意識してこう読まれるように書いていたことが分かる。

まずなにより、フランクルはこの記録に普遍性を持たせたかったから、そうしたのだろう。一民族の悲劇ではなく、人類そのものの悲劇として、自己の体験を提示したかったのだろう。さらにフランクルは、ナチの強制収容所にはユダヤ人だけでなく、ジプシー(ロマ)、同性愛者、社会主義者といったさまざまな人びとが入れられていた、ということを踏まえていたのではないだろうか。

先立つもの

 もう一つ感じたことがある。これを読みながら薄々感じていたこと。最後の旧版訳者による著者本人への印象を読んで半ば確信に変わったこと。
 この筆者が強制収容所という極めて過酷な状況に置かれても自分を失わずに済んだのは、多分 “先立つもの” を持っていたから、ということだ。「先立つもの」とは通常は「金」の婉曲表現なのだが、もちろん金のことではない。収容所に金は持っていけない。「何かをする時にまずはじめに必要となるもの」。一番簡単な言葉で言えば「愛」のことだ。

 以前読んだ『身体はトラウマを記録する』に繰り返し現れた話で、トラウマを負う人は既に別のトラウマを持っていることが多いというものがあった。幼少期に虐待などがあると、大人になってから新しく別のトラウマを負う確率が跳ね上がる。逆に安定した家庭に育ち、人間関係の基盤を持っている人は、全く同じ体験をしてもトラウマ化せず立ち直ることが多いというもの。

 この筆者ヴィクトール・E・フランクルは、まともな親に育てられ、申し分ない幼少期・少年期を過ごし、極めて健全な発達を遂げたのだろう。愛する妻への言及から、他人と良好な関係を構築するだけの高い社会性があることが窺えた。その関係が収容所に入れられた後、もう会うことが叶わなくとも生きる希望になっていたということが「もはやなにも残されていなくても」の章にそのまま書いてある。
 また停電の中でした演説からも筆者自身が温かい過去を持っていることが見て取れた。

… それだけでなく、過去についても語った。過去の喜びと、わたしたちの暗い日々を今なお照らしてくれる過去からの光について語った。わたしは詩人の言葉を引用した。
 「あなたが経験したことは、この世のどんな力も奪えない」
 わたしたちが過去の充実した生活のなか、豊かな経験のなかで実現し、心の宝物としていることは、なにもだれも奪えないのだ。 …

 収容所の苦痛に耐えられず早々ダメになってしまった人たちは、立ち返るべき人間関係の基盤が、素晴らしい過去がない人たちだったのではないか?

 筆者が元々恵まれた人生の基盤を持っていた(仮定)とはいえ、この過酷な状況を腐りもせず、誇りを持って苦しみ抜き、解放後すべてを失ったあとも活動を続けたのには本当に頭が下がる。
 仕事の議論などでは通常誰が言ったかではなく何を言ったかの方を評価すべきなのだが、これほど誰が言ったかが価値を持つ話があるだろうか。この体験をした人が、それでもこう言っているところに意味がある。自分も頑張らなければならないと勇気が湧いてくる。

麦畑

 最後に。解放後の麦畑の話が印象深かったので引用しておきたい。

… ある仲間とわたしは、ついこのあいだ解放された収容所に向けて、田舎道を歩いていた。わたしたちの前に、芽を出したばかりの麦畑が広がった。わたしは思わず畑をよけた。ところが、仲間はわたしの腕をつかむと、いっしょに畑をつっきって行ったのだ。わたしは口ごもりながら、若芽を踏むのはよくないのでは、というようなことを言った。すると、仲間はかっとなった。その目には怒りが燃えていた。仲間はわたしをどなりつけた。
 「なんだって?おれたちがこうむった損害はどうってことないのか?おれは女房と子どもをガス室で殺されたんだぞ。そのほかのことには目をつぶってもだ。なのに、ほんのちょっと麦を踏むのをいけないだなんて……」
 不正を働く権利のある者などいない、たとえ不正を働かれた者であっても例外ではないのだ …

 自分は麦畑を踏み荒らしていく側の人間だ。しかし元々そうだったろうか。来歴が悪く長年クソみたいな生活を続け、ストレスに感作されるうち、こんな人間になってしまった気がする。自分も20年前のウブな頃なら止める側だった気がしないでもない。こんなことを考えたのは心に積ん読を始めたころの風景がよみがえったせいだろうか。
 このフランクルの崇高な精神を見習いたい。そして自分が本当はどんな人間だったのかを思い出していきたい。

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