日本仏像史メモ(木彫像)
※勉強のためのメモにつき不完全。『日本仏像史』美術出版社を参照
奈良時代
8世紀後半
仏像の製作技法に変化。カヤ・ヒノキを用いた木彫の出現
天平勝宝6年の鑑真渡来にともなう、新たな唐の影響によるものと考えられる。唐製の檀像(インドで最高の造物材料として尊重される白檀を用いた木彫像)との密接な関係
白檀の代用材としてカヤが使用された 60-61ページ参照
平安時代前期
仏教の展開とともに多様な仏像が現れる。
9世紀初頭、空海が真言密教の経典などを唐から持ち帰り、嵯峨天皇の帰依を受ける。真言宗は南都六宗と並ぶ勢力となり、天台宗とともに平安二台新仏教として発展。
空海の真言宗は大日如来を宇宙の中心に。
修法の基本は、大日経に基づく胎蔵界曼荼羅と金剛頂経に基づく金剛界曼荼羅を用いる。多様な仏像→五大明王像や十二天の天部像など、この時期に主要な題材がほとんど出揃う。
奈良時代後半に木彫像が作られるようになり、平安時代前期には木彫像が中心となる。江戸時代まで日本の仏像は木彫像が主流。
多くの仏像は、8世紀後半にカヤやヒノキなどの針葉樹材製に変化。
8世紀末(平安前期最初期)、神護寺薬師如来立像もカヤ
部位を強調した表現、現実離れした顔立ちといった独特の誇張された表現
→新しい価値観や精神の拠り所を求める心と時代の変化
木彫はこの時代の大胆で存在感のある仏像に適した技法・素材
延暦~天長年間
782-833年
神護寺薬師如来立像
カヤ材一木造、素木仕上げ、檀像風
顎を突き出した迫力のある表情、異常に隆起した太腿など
奈良時代までの仏像と全く違うスタイル
新薬師寺薬師如来坐像
カヤとみられる針葉樹材の一木造
顔からはみ出しそうな大きな目、迫力のある体つき
まだ奈良時代の遺風を残す作品が混在。仏師組織については不明だが、互いに交流する環境はあったと考えられる。
承和~元慶年間
834-884
多様な作風がある程度まとまる
東寺講堂の木彫群像
・五大明王像
密教特有の忿怒像。多面多臂の怪奇な姿が迫真的に表現
・四天王像
特に持国天立像は他に例を見ないような運動感にあふれた造形
観心寺如意輪観音菩薩坐像
細く伸びた眉と切れ長の目。女性の顔立ちを極度に理想化したかのような思い切った表現
仁和~延長年間
885-930年
仁和寺阿弥陀三尊像
切れ上がった眼差しや抑揚のある体つきに、表情や衣文の穏やかさが加わる
貞観年間頃から、頬の広がった平らなものが目立つようになる
室生寺金堂薬師如来立像、十一面観音菩薩立像
獅子窟寺薬師如来坐像
醍醐寺薬師三尊像
穏やかな表情や美しい衣文。大胆な作風が1世紀かけて大人しく変化
平安時代後期
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