金子拓『織田信長<天下人>の実像』講談社現代新書、2014年

・信長は将軍義昭から天下を任されていると認識していたが、この「天下」とは京師と同じ意味、もしくは五畿内程度でしかない。つまり、信長は軍事的指揮権を中心に天下の静謐を維持する役割を負っており、それを乱そうとしている相手を軍事的に制圧することになる。結果的に、信長が領土を拡大していったかのように見えた。
・信長の場合、「天下」の外にある友好的な大名たちを、自分の秩序に組み入れようとはしていなかった。それに対して、豊臣秀吉は全国統一を成し遂げ、諸大名の身分統制を行った。従って、信長と秀吉の間には大きな断絶がある。信長はまだ中世的世界に留まっている。
・本能寺の変について。明智光秀は信長の役割である天下静謐の維持を、信長が自ら四国攻めによって壊してしまったことに対して、それを止めようとしたのではないか。本能寺の変の後、朝廷は光秀を謀反人として扱っておらず、光秀を天下人として京都の治安維持を要請する使者を派遣している。


・「信長は戦国時代の室町将軍を中心とした枠組みのなかで、「天下」という領域の平和と秩序を維持すべき将軍を支える存在として登場」した。

・天下静謐を維持するため、敵対勢力を排除することに加え、朝廷も支援

・信長は官職について詳しい知識があったわけではなく、あまりこだわりもなかった。官位秩序を利用して諸大名の身分統制を行おうとした秀吉とは異なる。

・中世における朝廷政治は院政が基本だったが、戦国時代では譲位が行われていなかった。そこで信長は譲位を提案。(朝廷のあるべき姿を追求した)

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