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#武士
疑問ストック(大学の勉強用)
戦場における「氏文よみ」
「源平合戦期までの戦場では、自らの出自を名乗るのが戦いの作法であったが、そこでは先祖以来の武勲が高らかに誇示されていた。」
『中世史講義』ちくま新書、p17
この部分、『保元物語』の引用を言及しているが、あくまでも物語の世界の話であって、本当に名乗りを上げていたのか?
戦いの作法はどこに書いてある?
元木泰雄『武士の成立』吉川弘文館、1994年
・奈良時代、律令制下では指揮官にも官僚制の原則が適用。武士は武芸に優れた一般官人を指していた。しかし、政争の激化に伴い専門的な軍事知識が必要となり、坂上氏のような武門も現れた。p9
・平安時代になり、武芸を家風として軍事的な官職を歴任する一族を軍事官僚と称する。p12 しかし、後の軍事貴族とは異なり、未だ兵の家という性格が十分に確立されていなかった。一族から文官を排出したり世襲したりする。p13