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第十七候 霜止出苗(しもやんでなえいずる)

先日、青木海青子さんの『不完全な司書』を読んでいて、目の留まった文章があった。それは、本という窓を通して、また、図書館を営んでいる古民家を通して、死者と生者がともにある感覚がする、といった表現だった。

私は季節の風物に対して、同じような感覚がある。この七十二候をきっかけとしたエッセイを書いてみようと思ったのも、生きる時代は違っても全ての人が、四季を、季節をともに観ていることを書き表したいと思ったからだ。


わたしはずっと、時折この身を貫く孤の感覚と、彼岸への憧憬ともに生きてきた。今では、ともに生きてきたと言えるが、かつてはそうではなかった。精神の疼きに遭って、眠ることもできず、祈ることも知らず、身を抱き締めてただ耐えるだけだった。

そんなとき、僅かある、精神を伸びやかにする手段のひとつが、季節だった。春に芽吹き、夏に光り、秋に風を届け、冬には空気を透明にする季節たちは、わたしを横に置いてくれた。そしてまた、本を読むとき、生きる艱難を忍び、季節を巡るを観る人は、わたしだけではないのだと知ることができた。

今生きている人でも、今は世にいない人であっても、わたしと同じように季節をともに観てきた人がいる。以前『新唐詩選』でたくさん読んだように、季節の横に座り哀惜し、ただ耐えた人たちがいる。そのことに、わたしはひとりではないという実感を得た。物質的にひとりであったとしても、精神的にはもはや決してひとりではないのだと。


5月の近づく十七候は、冬から春へ送る最後の露が降りる頃。その露を指して、忘れ露とも別れ露とも呼ばれるそうだ。

季節は巡る。稲は伸び、いずれ枯れる。人は生まれ、いずれ死に旅立っていく。別れもあれば、忘れもするだろう。けれどそれは、関係の断絶を意味しない。私たちは、かつて居た人たちとも、これから居る人たちとも、死も生も問わず、本を通して、家を通して、季節を通して、つながっていられるだろう。






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第十七候 霜止出苗(しもやんでなえいずる)
4月25日〜4月29日頃

霜がおさまり、露が降り、稲の苗が生長する時期
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参考書籍:
青木海青子『不完全な司書』https://www.shobunsha.co.jp/?p=7921
吉川幸次郎、三好達治『新唐詩選』https://www.iwanami.co.jp/book/b267318.html
山下 景子(2013年)『二十四節気と七十二候の季節手帖』成美堂出版https://www.seibidoshuppan.co.jp/product/9784415314846

(晩春、穀雨・次候、第十七候 霜止出苗(しもやんでなえいずる))

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