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流民、エクストリーム郷土史家、 生息地ー川

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威徳院 旧蔵とされる「魔像」について④

 「魔像」の違和感の多くは、その説明の内容が妙に具体的であることに起因しているように思われる。「魔像」と同じく『古今妖怪纍纍』に掲載された「件(くだん)像」が「群馬県の旧家に伝えられていたという」と曖昧な説明しかされていない点と比較しても「魔像」の説明が具体的であることは際立っている。「魔像」以外の湯本豪一氏のコレクション群には、どのような説明が与えられているのだろうか。『古今妖怪纍纍』の前年、2016年に刊行された『日本の幻獣図譜』を調べたところ驚くべき事実が判明した。

    • 威徳院 旧蔵とされる「魔像」について③

       これまで、「魔像」の説明文について筆者が感じた疑問を述べたが、「魔像」そのものに疑問がないわけではない。しかも、説明文では「魔像」が信仰の対象となっていた可能性を示唆しており、既存の仏像や神像の様式と比較することにより生じる疑問点も多い。今回は「魔像」そのものに感じた疑問について書いてみたい。              「魔像」群は、その異形の頭部をのぞけば、座像は如来形、立像は牛頭馬頭様の裸形を基にしているように思われる。仏像の様式から完全に逸脱している訳でもないと思わ

      • 威徳院 旧蔵とされる「魔像」について ②

         前回は「魔像」が旧蔵されていたとされる威徳院が、どのような寺だったのかを確認した。元禄に再建され宝暦までのおよそ百年間、住職が四代続いたが、その後が続かず、近くの寺の住職が兼務するようになった小さな寺で、明治3年の「明細帳」によれば檀家はわずか4軒、翌 明治4年には廃寺になった寺である。「廃仏毀釈により破壊された寺」と聞くと妄想がふくらむかもしれないが、実際には廃仏毀釈がおこらなくても存続できたかは疑問で、異形の「魔像」群が伝承された寺にしては歴史も浅い。  今回は視点を

        • 威徳院 旧蔵とされる「魔像」について ①

           2017年に、湯本豪一氏『古今妖怪纍纍』で発表され話題になったという、いわゆる「魔像」について、筆者は最近までその存在を知らなかった。      先日、福島県立博物館の2021年度の催し物案内のパンフレットの写真(上掲)を見て不思議に思い調べたところ、湯本氏がこの像を著書で公開した後SNS等で話題になり、現在は広島県三次市にある 湯本豪一記念日本妖怪博物館(三次もののけミュージアム)に所蔵されていることを知った。「魔像」の説明文によれば、なんとこの像、元はいわき市の寺院に旧

        威徳院 旧蔵とされる「魔像」について④