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スター(仮)

アイドルの定義。

それは人其々の主観によりけりだと私は思う。ただ、その事実がどこかにある訳でもなければ辻褄合わせをしたい訳でもないし彼の意見を否定したい訳でもない。寧ろ先日の伝記は共感の嵐だった。
彼の性格的に、自身の中で腑に落としたい性分なのもよく分かる。

前提として、私たちは彼らの職業いや人生の方が正しいのだろうか、を完全に理解し語る事は出来かねる。というのも当人でない限りライブでいうリハーサル、舞台でいう稽古、ドラマや映画でいう撮影、バラエティーやラジオでいう収録等、私たちが直接目に見る事のない弛まぬ努力は憶測でしか物事を図れないからだ。これらは本人たちの口から発せられる事実でない限り苦労の一言で片付けるのは失礼に当たる。もしかすると私たちが苦労だと思っているものは彼らにとっては快楽かもしれないから。その逆も然り。俺らの何が分かるんだ、と反論されてしまえば弥終。ニュアンスは違えどこれは毎回言及している気がする。私たちはあくまで分かったつもりでしかいられない第三者であること。言葉に責務を果たせないのに厚かましく押し付けがましいことはしたくない。言ってしまえば私のポリシー。まぁこれも主観だ。

余談、文の書き方がどうも似てしまう事に今気がついた。決して準えてる訳ではない。巻物級のブログを読んだ手前、順序を立てて話をまとめようとした結果がこれである。書き始めるとあれも言いたいこれも言いたいと手が止まらなくなる。読書感想文も書き始めこそ時間は要するものの書き出すと逆に用紙が足りなくなるタイプだった。と言いつつも文章が乱雑で読み辛いのが欠点。半分独り言のようなものなのであまり気にしないでいただけると助かる。
話がブレてしまって申し訳ない。閑話休題。

故に、この世界に身を置いた彼はこれまでにああでもないこうでもないと只管に試行錯誤を重ねてきたのであろうと推測する。年数で言うと丸11年。これは単純に凄いことである。才能を買われグループという型ができ、今や様々な形で価値を見出している。構築年数が増える毎に彼が自ら感じていたという小っ恥ずかしさがなくなりアイドルを受け入れた姿はこちらも薄らと感じ取れていた。尖った雰囲気も段々削られ思考が丸くなったように思う。

さて、ここで彼も触れていた価値についての話をしよう。
彼らはよく歌って踊ることを本業だと言う。無論それは紛うことなき事実だ。かと言って彼らが他にも担うドラマやバラエティ、映画やラジオ等の仕事を副業だとは1ミリも思っていない。みんなそうだろう。逆手を取ればそれだけジャンルに富んだ仕事をマルチタスクに熟していることだけで全員素晴らしいと思っている。彼はそれを謙遜しているのである。まぁ本業としてる人からすると枝分かれで訪れた人に仕事を舐めてもらっちゃ困るだろうから難しい。当然彼らにそんな筈はなくひとつひとつに全力投球していることも事も充分理解している。捉え方の問題だ。

嘗て、私の最古推しである二宮くんが言っていた。

個人の仕事は嵐に還元する為にやっている

二宮和也

少し論点相違はあるかもしれないが、猪狩さんが伝記で
『アイドルの特異点とは「アイドルが起こした行動全てが、アイドル自身の名前に還元されていく」ということだ。』
『個ではなく集のために動く。もし個を通すときもまた、それは集のためを思ったときである。』
と話していたのを閲読した瞬間この言葉を思い出した。いくら才能に感化されたとて他に染まることはないあくまで自分はアイドルだという強いポリシーを持つその思考が私は凄く好きである。必然を誘うかの如く推しの共通点がまたひとつ顕になった。そりゃあ双方を好きになる訳だ。

ところで、私たちは彼らを応援するにあたって価値の付随を求めたことがあるだろうか。物と物の授受であれば対価も称号も経験も分かり易く形として残る。彼が伝記で触れていたパン屋の例を元に割愛とするが、これぞまさに物理的な得と言ったところだろう。それはそうとパンの話を沢山上げる猪狩さんが愛おしい。
ただそれがアイドルとファン、人と人の間柄になるだけで確かに生じるものが少しぼやける。強いて言うなれば経験に値するかもしれないが。
最も、誰もそこまで難しい話をしたい訳ではない筈だ。格好良いから可愛いから面白いから性格が好きだから。各々感情は持ち合わせど単純にその人を好きという理由だけで勝手に応援している。そう勝手に。

故に、私たちは彼らを好きになったから何かを得たいとは思っていない。本人からのお礼の見返りが欲しい訳でも、応援した分の金銭が欲しい訳でも、結婚させて欲しい訳でも。いや結婚はしたいかもしれない。冗談はさておき極論、私にとって彼らとは何かを生み出さなくとも存在してくれているだけで価値があると思っている。それこそ、アイドルがスターになっていく過程を非日常となるその瞬間を追いかけては時間を共有して楽しんでいる。俗に言う娯楽だ。これもまた、私たちにとっては娯楽のひとつでも彼らにとっては人生だから趣深い。『僕を利用して楽しんでください』そう彼は言う。利用という二文字で片付けたくはないが有り難いことに私の人生が鮮やかに彩るのは間違いなく彼らのお陰である。何気ない日常に色をつけてくれる存在なのだ。それが媒体越しであろうと顔を見るだけで疲れは吹き飛び元気が出るから不思議だ。所謂オキシトシン効果が多大に齎されているということ。お気づきだろうか。そう、私たちは幸せという対価を頂いていることになる

例えば、彼が出るバラエティを見てくださった関係者が映画に彼を抜擢するように、仕事が仕事を呼び糸が繋がれば私たちもまた本人の如く喜びを得る。ライブや舞台等の直接的な享楽も勿論。常に一喜一憂を図り、彼らが辿るリアルを私たちも追いかけている。

つまり、私たちはこれから彼らに起こる未来への期待に胸を膨らませているのだ。スターになるのを望む彼だが言ってしまえば私の中では既にスターである。現場に足を運ぶのもテレビを見るのも雑誌を購入するのも『猪狩蒼弥だから』という理由付けで得たいものが生まれている。ただ、万物は流転し続ける。抽象的ではあるが名が世に定着する事こそ本物のスターの意を成すのではないかと思う。よく耳にする国民的と考えたら分かり易い。そんな中『必ず僕は皆さんを輝かせる側になる。皆さんのお子さんや、甥っ子や姪っ子とかも含めて。』と綴る彼は確実に大きく羽ばたくであろう。

長くなったが、私は命ある限りこれからも彼を応援し続けると思う。自信に満ち溢れポジティブを与えてくれる彼の全てにまだまだ惚れていたい。アップデートの止まない彼らを最前線で共有できる楽しさは絶大なるものであるから。

もしかすると、アイドルを超えようと昇り続ける彼らのリアルを追いかける事こそがファンとしての義理なのかもしれない。

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