猫穴
こんにちは、新人VTuberの名梨ナイです。
普段は旅人のようなことをしています。
初配信は5月の7日です。
今日はねこについて書こうと思います。
まず、みなさんにお伝えせねばならないのは、わたしの言う、ねこ、という生き物は、猫でもネコでもなく《ねこ》という点です。
これは小さいように見えて、実は大きく違います。
ねこは、わたしの宿泊する宿屋でいつの間にか飼われていたらしい生き物です。
毛むくじゃらで、換毛期にはそれはもう凄まじい毛を巻きながら宿屋を闊歩するのです。
大抵は、日の当たる窓辺におり、目を細めて寝ているのかいないのかわからないような顔をしています。
彼女の毛色については、プライバシーのため、ここには書かないこととします(ねこにとって、毛皮の色というものは、ある種住所や名前よりも尊重されるべき個人情報だと思います)
ねこは生き物です。
触ると暖かいです。
冬になると勝手に部屋に、毛布の中に入ってきていつの間にか一緒に寝ることになります。
そのくせ、夏になるとどんなにわたしが寂しくて呼んでも一緒に寝てくれません。
どこかの床が冷たくて気持ちいいからです。
名梨ナイには親と呼べるものがないのですが、敢えて親と呼ぶモノがあったのなら、それは間違いなく、ねこに与えられる名前でした。
具合が悪いとどんなに暑い夏でもお尻をぴったりとくっつけて、こまめに毛繕いをしてくれましたし、悲しいことがあって泣いていれば、舌を柔らかく柔らかく使って、頬を丁寧に舐めてくれたのです。
そうして、ただの猫にもネコにも耐え難き時間を、ねこは、じっと耐えて、甲斐甲斐しくわたしの面倒を見てくれていたのです。
そんなねこの具合が悪くなったのは、秋でした。
何度か入退院を繰り返し、繰り返し、しかし気丈に生きていました。
秋の月を二つ越えて、半分にさしかかった頃。
ねこは死んでしまいました。
わたしは、猫という生き物の寿命が人間よりもずっと短いと知っていました。
だから毎日、毎朝、毎晩、顔を見る度に何度も『これが最後かもしれない』といつか来る終わりに向けて、言い聞かせていました。
準備をしていたから、いつかいなくなるから、と思って、覚悟していたのにも関わらず、わたしの心に穴が空きました。
それは堪え難く、正しく穴としか形容できない代物で、縁を指でなぞると、正しくねこの形をしていました。
ここにあのねこがいた。
穴があることで、今はもういないねこを感じる。
なんとも後ろ向きな穴でした。
しかしねこはもうおらず、燃えて燃えて小さな骨壺に収まり、小綺麗なペットのお墓になんの情緒も抵抗もなく収まりました。
もう泣いても、落ち込んでも、具合が悪くても、寄り添ってくれる毛皮はなく、それが余計に自分を空しくさせました。
ねこは、いたのに、もうおらず。
ただ柔らかく舐めた舌の感触だけが頬に遺ります。
少しぴりっとするざらついた生暖かさ。
ねこ、と言うのは、猫でもネコでもありません。
これは小さいように見えて、実は大きく違います。
たった一つ、これからも続く、わたしの中に空き続ける唯一の穴の名前を、ねこと言います。
今日はここまで。
2022年4月25日
名梨ナイ
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