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家という安全基地

幼少期の記憶で、最も古いものは3歳頃だと思う。海の向こうに北方領土が見える町で暮していた時の記憶だ。その頃、家は安全基地だった。

父は金融関係の仕事に就いており、うちは所謂転勤族だった。私が5歳のとき、父の転勤で【大都会】札幌へ引っ越すことになった。環境の違いや幼稚園の転園なんて、当時アホから生まれたアホ太郎みたいな私には些細な事だったと思う。それよりも大きな変化は、それまで一緒に暮らしていた父・母・兄・妹の他に、祖母が増えた事だった。

祖母は、母方の祖母で、とっくの昔に祖父と離婚して札幌で暮していたのだが、色々あって(今でも本当に理由がよく分からない)一緒に住むことになった。それまで北海道の中でもドドドドド田舎くらいの場所でのびのびと暮らしていた私は、それから小学校を卒業するまでの間、都会暮らしパイセンの祖母に厳しく躾けられて暮らすことになる。その時、家は安全基地では無かった。

安全基地を失った私は、とにかく外で遊んだ。週に3日ほど習い事をして、何もない日は友達の家に行った。祖母が居る場所は危険ゾーンで、常に避けて歩いた。しかし私はメタルギアソリッドが得意ではなく、祖母に怒鳴られない日は少なかった。小学校を卒業する頃、また父に転勤の話が来た。

祖母を家に残し、私たちは北海道の下の方にあるトンガリ部分に引っ越した。夏は気温30度・冬はマイナス20度になる過酷な土地であったが、環境の違いや友達と離れる事(そもそも友達が居ない)なんて、当時アホから生まれたアホ太郎みたいな私には些細な事だったと思う。そうしてまた安全基地を手に入れた私は、家から出ず毎日8時間オンラインゲームをするオタクになった。

それからも色々あって正直家が嫌いな時間の方が長かったけど、夫と住み始めてからは家が好きになったし、安全基地だ。ここで言う安全基地というのは災害が無いとか、高層階に住んでるとか、セコムがバッチリとかではなく、自分を傷つけたり悲しませたりするものが無い、安心する場所という意味で(ブチ切れる事は多々あるが...)、私にとっては夫が家に居ることも大事なポイントの1つなんだと思う。

何を言いたいのか自分でも良く分からないけど、全ての人にとって家は安全基地であるべきだし、家が安全基地だと最高ってこと!