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んー

氏のありがたーい回答を読むたびに感じる違和感、「冷たいな」だけで終わらせたくなかったので少し書く

すみませんがダイレクト行きます。

いくらもうすぐ死ぬからって、こういう物言いをされる筋合いは一ミリもない。

なんだろう?
この心に隙間風が入り込んでくるような感覚は

悩みって、「でも私はこうしたいと思う」との齟齬がほとんどだと思う。
あるいは、ビジョンが心から消えず、ただ道のりが険しい、あるいは全然見えてこないとか

うしかわはそんなに悩み相談をされる方ではないけれど(どちらかというと「打ち明け話」的色彩の話が多い)、

すべての人の「私はこうしたい」にリスペクトを抱いてるし、基本的にストップはかけない
(※仕事は別 プライベート限定)

なぜならやりたいと思ったことに対してなら、

それによって引き起こされるすべての事象に対して、自分で責任を取れるし、学ぶことだってできるから。

人を見てではなく、自分を振り返って心からそう思うのである


不倫相手の子を産もうが加害者を殺しに出かけようが、別にいいじゃねえかよ

やりたきゃやれよ

他者のビジョンに敬意を払わない人って端的に愚かに見えてしまう。

人の「こうしたい」を自分色に塗り替えようとしたり、断罪する人っているけど

何が楽しいんだろう
それによって何を得るんだろう
正義を行った満足感?人を啓蒙した達成感?

他者の自分軸を奪おうとする人間への警戒心は年々強くなっていく。

人の車のハンドルを奪おうとするなよ。
失礼だし、危ないよ


「糸井村」というワードを見かけてしっくりきたけど、とことん感性が合わないんだなと思ってる
村長と。

感じよく陳列された「道徳」を手にとってみて、ひっくり返して値札を見たらガッカリ。

まだ道端の犬のクソから学ぶ方がマシだと思う

でもこのファミリーは多分十年後も繁栄してるだろうとは思う

それなら我々アンチの皆さんで暗い村を作っていきませんか?
おわり


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