寺田ヒロオは「人気絶頂期に自ら筆を折った」という嘘。

寺田ヒロオ = テラさん。
トキワ荘の頼れる兄貴。
新漫画党のリーダー。

彼は、かつては人気があったけれどもう忘れ去られた過去の漫画家のひとりにすぎなかった。その名前がふたたび広く知られることになったのは藤子不二雄A「まんが道」(続編の「愛…しりそめし頃に…」含む)のおかげであると思う。

「まんが道」では主役の2人は架空の名前になっているが、寺田ヒロオ、石森章太郎、赤塚不二夫など多くの登場人物が実名で登場する。なので、作品中の物語すべてが真実であると思い込んでしまう人が多いのも、仕方のない話なのかもしれない。

「愛…しりそめし頃に…」(藤子不二雄A)より

しかし、結論から言うと、寺田ヒロオが「人気絶頂期に自ら筆を折った」という事実はない。
本人自らが晩年のインタビューで否定している。

ーー寺田さんはなぜ漫画をやめたんですか?
寺田 やめたわけではありません。僕には他の職業はないもの。面白い漫画を描けないから描かないし、描けなくなったと思っているから注文が来ないし。

「えすとりあ」季刊二号 寺田ヒロオ特集(s.57.2.20発行)より

また、「愛…しりそめし頃に…」の中では“週刊少年サンデー連載中だった「スポーツマン金太郎」だけを残して他の雑誌の連載はみんなやめてしまった”とあるが、寺田ヒロオの作品年表(「えすとりあ」掲載)を見てもそういう時期は存在しない。

「愛…しりそめし頃に…」(藤子不二雄A)より

1959年の『週刊少年サンデー』創刊号から1963年の45号までの約5年間「スポーツマン金太郎」の連載は続けられたが、その期間、『小学一年生』〜『小学六年生』(小学館)のどれかに毎年何かしらの連載漫画が掲載されている。

他にも、『少女ブック』(集英社)、『野球少年』(芳文社)、『少年』(光文社)などに連載していたし、「スポーツマン金太郎」が連載終了した後も、同じ『週刊少年サンデー』で新たに「暗闇五段」連載開始、翌年の1964年には『週刊マーガレット』でも連載漫画が掲載されている。

それなのに何故ここまで寺田ヒロオ = 「人気絶頂期に自ら筆を折った」という風に言われてしまっているのかというと、実はそれはどうやら「まんが道」のせいだけではなさそうだ。


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