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「テラさんは筆を折った」と言ったのは誰か①

「まんが道」“テラさんは自分の漫画をやめちゃった”と描いた藤子不二雄A

「まんが道」自体は、エンタメ作品としてフィクション、ノンフィクション入り混じったストーリーになってはいる。
では藤子不二雄Aは、フィクションとして“テラさんは自ら筆を折った”と描いたのか?
どうやらそうではなさそうだ。

藤子不二雄Aのトキワ荘時代の日記を一冊の書籍にまとめた「トキワ荘青春日記」は昭和56年(1981年)に刊行された。
そのリメイク版「いつも隣に仲間がいた/トキワ荘青春日記」『“あとがき”のまた“あとがき”』にこう書いている。

寺さんは「背番号0」や「スポーツマン金太郎」など野球漫画で大ヒットをとばし、大人気漫画家になったのに、茅ヶ崎へ移ってしばらくしてから、急にペンを折ってしまったのです。

「いつも隣に仲間がいた/トキワ荘青春日記」(1996.3.1 光文社)より

しかしそれは直接本人から聞かされた話ではなさそうだ。

この突然のリタイヤについて寺さんは、ぼくたちに一言もいいませんでした。

「いつも隣に仲間がいた/トキワ荘青春日記」(1996.3.1 光文社)より

また、それよりも後の2009年、寺田ヒロオ全集刊行の際に収録されたインタビューではこのように述べている。

茅ヶ崎は遠いから帰りが大変じゃないですか。だから行く機会も少しずつ減って、そうしてるうちに寺さんも漫画を描くのをどんどん止めていってねえ。
ーーほとんど描かなくなってからも遊びには行かれたんですか?
藤子 行きましたけど、そういう話は一切しませんでしたね。

-寺田ヒロオ全集4- スポーツマン佐助 上巻(2009.10.15 マンガショップ)収録
「藤子不二雄(A)1万字インタビュー」より

つまり、絶筆するだの引退するだの本人から言われたわけではないが、どうやら徐々に漫画を描かなくなっていったようだと。しかし直接本人とそういう話はしなかったと。

この、お互いに漫画の話をしないというのは、新漫画党の仲間内では、トキワ荘時代からそういうものであったらしい。

さて、藤子不二雄Aは“テラさんは自ら筆を折った”と、本人からそう聞いたわけではないが、そのように受け止めたと。では、他のトキワ荘メンバーはどのように述べているのだろうか。
実は、石森章太郎、赤塚不二夫、鈴木伸一のそれぞれも同じような内容のコメントを残しているのである。

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