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人気を取っても写真は良くならない

僕は良い写真が撮れるようになりたい。

良い写真とは?
そういう話になると中々深く、色々な考えが錯綜するので掘り下げない(れない)。そもそも僕もわかりませんし。でも自分にとっての良い写真のカタチは少しづつですが確実に広がっています。

SNSは皆スマホで見るんですかね。手に収まるくらいの大きさの写真が並ぶと思います。でも小さいですよね。写真だけど僕は画像なのかなと思ってしまう。勿論小さいからダメ、という乱暴な話はありません。

こう考えると僕は整理がつきます。

・スマホで見る写真は「フットサル」
・展示会場で見る大きな写真表現は「サッカー」

僕はサッカーをするので腑に落ちます。

つまり競技が違うと思いました。
小さいから悪い、大きいから良い、訳ではない。
けど同じではない。
ボールを蹴ることは同じ。
おそらく写真を撮るという行為になるのかもしれない。

そんなSNSを見ていて「む?」と感じることがある。
とても勢いがあって素敵な作品を撮っている、そんな方が「この写真はいいねが伸びる、こんな人からいいねもらった」と良く発言している姿を見る。それも少し執着を感じる言葉選びで。

僕はなんか切なくなった。
そんなに良い写真家なのになぜそこに執着しているのか。

時間は有限だと思います。いつ尽きるかわかりません。それぞれがどんな人生を送りたいか、そのために何に取り組みたいか、どのように向き合うのか。全て自由です。

僕は僕なりに写真を学び、写真道たるものを進みたい。なんじゃそりゃと思うかもしれません。実はそんな表現があるのか僕も知りません笑。ヒントは過去の巨匠たちがどう写真との向き合い作品に残してきたのか。それを言葉として学び向き合うこと。その先に僕が思う写真道たるものがあるのでは。でも無いかもしれないけど笑 あると思って修行してます。

目先のいいねに囚われているようじゃ、写真は良くならないと思いました。

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