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ひとこえ

露の世は露の世ながらさりながら

小林



一茶。が、か弱い小動物など、弱い立場にある存在への俳句を詠む俳人であったというのは知っていましたが、浄土真宗とも深い関わりがあったのだと言うことを最近知りました。

他力(自然)の思想を調べはじめてから、小林一茶の俳句を改めて感じると、彼が自然(じねん)の俳人であったのだということが深く伝わってくるように思います。

小林一茶が子を亡くした悲しみを、ただただ述べているこの句。未練や後悔、悲しみ苦しさをただただあるがままに表現する。

彼は何人か子どもがいますが、全て自分より先に亡くしてしまっているのですよね、、。

悟りや達観、そんな簡単に出来ないですね、心境はそれぞれ複雑で。人間だから。


芭蕉も蕪村も大好きなのですが、悟りの句というより、無常をただ受け入れていくようなあるがままの自然(じねん)を詠む一茶の句のその一言力にも心惹かれます。

浄土門は「南無阿弥陀仏」の一言、ひとこえの力を研ぎ澄ましていったのだと最近考えています。

俳句も、一言に、一文に圧縮されていくものなのですかね、とても好きです。そして、南無阿弥陀仏の一言を仏教ルネッサンス的に考えてみると、どうなるだろう?と思います。




東京国立博物館で開催中の『空也上人』の展示に先月、展覧会がはじまってすぐに行ってきました。

空也上人は平安中期の僧。戦乱や疫病に多くの民が苦しみ不安を抱えていた時代、

たった一声で、仏とともにある南無阿弥陀仏の念仏を広めていった空也上人。


戦争やウイルス感染など、現代との繋がりも意識されながら展示では紹介されていました。

日常生活のなかでも、何気ないたった一声にモヤモヤする気持ちが救われる時ってありますね。

空也上人は、踊り念仏を最初にはじめた人でもあると。踊り念仏はその後の時宗の一遍にも継承されていく。

展示は写真撮影ができませんでしたが、展覧会のポスターを撮影しました。

空也上人の口から六体の阿弥陀如来が出てきていて面白いです。

この口から出ている六体の仏は「南・無・阿・弥・陀・仏」の六文字に対応しているそうで、とても面白い発想だなと思いました。

空也上人像を作った職人のその発想。口から出てきた六体の仏。

「ひとこえ」を可視化しようとしたアイディアですかね。

 南

 無

 阿

 弥

 仏


南無阿弥陀仏の一言、その一声によってたくさんの人々への救いの道が開かれた。

平安時代、当時の日本の仏教は、悟りに達した高僧か、高額の寄付金を納める貴族や武士等の特権階級以外は、ほぼ全ての庶民はみな地獄へ落ちると教えられる、。

恐ろしい地獄の話、絵図等でイメージさせられてたんですかね、それらを事実と思い込まされて。

庶民が悟りに達するような修行をするだけの経済力は、当然この時代のほぼ大多数の人にはなく、貴族や武士がやってるような寺への高額な寄付金なんてもっと出来ない。

それでいて、時の権力者や仏教の権威達からは、自分が生まれてきた立場で、ただその日を必死に生きているだけで、ほぼ全ての庶民は煩悩にまみれた悪人扱いされ、地獄に落ちるとか説教される(この構図は現代もたいして変わらないと思うんですが、、)。

そんな当時の日本仏教のあり方に一石を投じたのが日本の実存主義とも言える浄土宗を立ち上げた法然だったと。

一部の特権階級だけでなく、全ての人が南無阿弥陀仏の一言を唱えるだけで浄土へ往生できるのだと、一部の特権階級のための悟りの道ではなく、全ての人への救いの道を目指した。

それが本来あるべき仏教のあり方ではないのかと、時代の権威に問うことをした。法然と弟子の親鸞は中央から追放されますが、しかし彼らの思想は広く民衆に受け入れられていった。

※私的解釈です。

浅草 東本願寺・親鸞聖人像

歴史の英雄達を描いた司馬遼太郎が、じつは鎌倉時代において「親鸞を生んだこと」だけでも鎌倉時代は偉大だったと述べていたことを最近知りました。私もそう思います。


結局、権力者が誰であっても、その偉業がなんであろうとも歴史は勝者が作るし、強い立場の者が作るし、その一部の特権階級の影に生きる人達の生活や人生は何も変わらないじゃないですか、

地獄に落ちるとか、ただその日を生きてるだけで悪人扱いされたまま、貧しい生活を続けて。

物事や人の心も複雑に思惑は絡み合っていて、権力で機械的に全てが回るようにもいかない。

そんな苦しむ人々のために、あるべき仏教のあり方を問うことをした、中央の権威から追放されても自分の信じた道を歩いた法然と親鸞の師弟の存在に心が動かされます。

空也上人の念仏、踊り念仏。法然、親鸞師弟の浄土門。その後、一遍に継承されていく。

一遍の踊り念仏。

踊りながら念仏を唱え、互いに南無阿弥陀仏のその一言を。

互いの存在を肯定し合う一言を掛けあうものだった。差異を肯定し合う一声を掛け合いながら踊る。そんな芸術。

戦争や疫病、様々な困難が待ち受ける不安定な情勢の中で、いま目の前にいる人が前を向いて生きられる一言を。

生まれ変わって生きていくことのできる一声を。

そのために自らの道を極めたのが一遍や親鸞、法然、空也上人でしょうか。私もそうありたいです。

浄土門のルネッサンスを考えていきたいと思います。

造園会社で働いていた頃、

有名な桜並木の施工管理の仕事を、働いていた会社が下請けし、親会社の現場親方と共に1ヶ月以上にわたる過酷な仕事をしたことがあります。

繁華街近くの桜並木。行政から委託された仕事でした。

今まで植えてあった桜の一部植え替えをし、

並木道のひび割れた道路も工事し(歴史ある川沿いの桜並木でしたが、道路のアスファルトは痛み、凸凹でした、次の桜のシーズンまでに施工を終わらせるための工事でした)、

かつ新しい桜を植えるという仕事。

そのために並木道の横のアスファルトも、ショベルカー等を使って掘り返していくという過酷な仕事でした。

1本の桜が終わると、次の桜へとその周辺の道路の掘り返しをしながら、どんどん進めていくのですが、

1本ごとに、根の環境だったりとか並木道やアスファルトの状況だったりとか、抱える問題が違うので、

現場仕事は㎜単位の正確さが必要なこともたくさんありますし(穴を掘る深さも広さも)、1つの場所を仕上げるのだけでもかなり時間がかかりました。

午前中のうちに2、3本順調に仕事を進められることもあれば、午後まるまる1本かかることもある。自然相手の仕事は自分の力業だけでは決して上手くはいかない。

特に根を完全に全て切り離さなくてはならず(ほんとは切りたくないですが)、チェーンソーは土がつくと回転が弱まり伐れなくなるので、全てノコギリで伐っていくことになる。これが非常に大変なのです。

足場の悪い、道路を掘り返した土の穴の中で悪戦苦闘する。泥をかぶり、夕立とかちょっとした小雨とか、変則的な気まぐれな雨にドロまみれになりながら。

ケンスコ(先のとがったスコップ)でやることもありますが、これだとピンポイントで力をかけていくのは難しい。土でツルんと滑るから。あと余計な体力を使ってしまう、

仕事はいかにサボるか、というか、サボるというと人聞きが悪いですが、いかに余計な体力を使わずに1つひとつの仕事をこなしていくかって凄く大切ですよね。

いかにサボるか、楽してやるかに頭使わないと、1つひとつまったく環境の違う、気候の変化もある、見通しも立てづらい自然の現場仕事は、最後まで体力も持たなく、

「終わらせらんねーぞ、日が暮れちまうぞ、楽することに頭を使え」と親方に厳しく言われたことが、
いまの私自身に凄く生きてて、こうした現場の過酷な仕事に感謝しています。

わざわざ炎天下で仕事なんかしてたら、熱中症になるし、身体も持たない。自然の流れに合わせて涼しい日陰にその都度移動しながら仕事を回していく。

いかにサボるか、楽してやるかに頭を使う。精神論根性論で仕事は終わらせられないのだと。

どんな力自慢の元ヤンみたいなガテン職人さんでも、自然の力の前ではその腕力はほとんど通用しないですからね。どんな力自慢も、大きめの自然石1つ生身で1人で移動させることなんか出来ないわけですから。

大事なのは自然を生かして、楽に仕事をしていくための技であると。テコの原理のようなものを、その現場ごとに見つけてく。

よく言う現場感覚って、この感覚ですね。環境の条件を生かして仕事をしてく、職人の現場感覚というもの、その技やアイディアはテクノロジーだと思うのです。

自然を生かす技やテクノロジー(アイディア)。環境も全て活用して仕事をする。

1つひとつ異なる環境に、庭ごとに新たな技、所作を獲得することを考えてく。

いかにサボるか、いかに楽するかの開発を真剣に取り組み、その環境下における技を見つけとくと、はじめはぎこちなかった動作が楽になってく。その発見発明したものは、べんりな道具になってくと。

テクノロジーの活用。様々な意見がありますが、それを開発し、本当の意味でその構造と仕組み、原理を知ること、それには現場で学び問う姿勢が必要なのかもしれません、この技は、テクノロジーはどういう原理なのか?ということは目に見えては分からない。

機能は目に見えないですが、現場で肌身で知らないと、視覚的な理解で終わってしまい、自分の立場から観た1視点に固定化されていってしまう。ほんとは、それぞれ違う環境下で、その条件に触れて、制約ごとに技やテクノロジー開発をしていっていいわけですけどね。現場ごとにテコの原理、テクノロジーをみつけてく。

どんな仕事も、いかにサボるか、環境を活用して、いかに楽してやるかを考えてゲーム感覚で攻略してくと、楽しくなるんですよね。難しい制約ある方が楽しくなってくる。裏技の見つけがいがある。

モンハンだって、最近は環境をうまく活用していく、とても素晴らしい調整で好きです。

空飛ぶドラゴン相手に力業で刀とか振り回してても当たらないし、私はヘヴィボウガン使う、眠らせて痺れさせて爆弾設置して、罠を仕掛けて環境条件を狩りに絡めて仕留めてく方が職人的で好きです。

その現場ごとに裏技を見つけていく、発明していく。現場感覚を磨くというのは、それを探る嗅覚のようなものなのだと思う。

きっと室町時代の有名な庭師・善阿弥もこんな仕事の楽しさに気付いたのだろうと。1つひとつの環境下にまさにニハ、庭を作っていくと。現場ごとに所作、技、その自然を生かすテクノロジーを発明して。

さて、脱線から戻してこの過酷な桜並木の工事の話ですが、

道路を掘り返しているので一度作業をはじめてしまうと、作業が終わるまで帰れないことも多く、

夕方頃にぜんぶ掘り返しきれなかったりして暗くなってきた中で作業を続けることもありました。

花見の時期から外れた秋頃の仕事だったように思います。

そんな仕事、しかも現場は会社から車で1時間半はかかる繁華街(朝かなり道路が混む場所を通っていく必要がありました)。

朝7時過ぎには会社出発だから、朝5時に起きて6時には会社着いて仕事の道具の手入れをして。

現場で使う機械のオイルやガソリンも入れて、ハサミ磨いだりとか道具の手入れもして、必要な道具をトラックに積み込み、準備万端にしとかなきゃならない。

現場で仕事して、現地は夕方6時頃に終わり、そこからまた1時間半かけて帰る。そして会社帰ったら道具の手入れをやると。

そんな毎日。


とても大変な仕事でしたが、大事な経験でもありました。

人生というものはどこで誰と出会うのか?どんな「一言・一声」と出会うのか、わからないものだなと思います。

この繁華街横の川沿いの桜並木の施工において、交通整理の警備員さんが1人雇われていました。

1本の桜の木の周りを赤いカラーコーンで囲い、工事していきますが、隣は繁華街で人通りもけっこうある。

「歩行者通りますー」と作業していると現場に声をかけてくれる警備員さん(警備員さん雇ってない時はしたっぱの私達が他の仕事と同時平行でやる)。

私と会社の親方と先輩2人、下請けを発注した親会社の親方1人、私のいた会社からのさらなる下請けできた造園会社の職人2、3人と、警備員さん1人で桜並木の施工仕事を進めていく。

と、ここにもう1人、この桜並木の施工仕事を進めていくなかで、この過酷な仕事をこなすパーティーに同行した人がいました。

その人はある時から、桜並木を囲んだ赤いカラーコーンの内側で、つまりは工事現場のすぐ隣でよく寝てました。

この桜並木は繁華街の横だったのですが、ホームレスの方もいて、1人のホームレスの男性が私達が作業してた工事現場の内側でいつの間にか昼寝してたんです。

秋頃でそろそろ寒い日もあったから、きっと夜は寝れてなかったのだろうなとか色々様々に考えることはありました、

場所は繁華街で裏路地1本入れば決して治安がいいとは言えない場所だった。

きっと工事現場の内側でなら、安心して眠れると思ったのでしょうかね、

普段から大変なこと理不尽なことたくさんあったのだろうなと思います。疲れきっていて、ほんと人にはそれぞれ人生がありますね、どんな人にも必ず背景がある。

多少危険ですが、工事現場横で寝ていても私達は何も言わず(ショベルカーでバリバリコンクリートに穴開けて、根をノコギリで切ったり、たまにチェーンソーとかブロアー・送風機とかも使うので当たり前ですが工事現場内はけっこう危険なのです、そのために周りに危険がないように警備員さん1人ついてますし)、

いつもは厳しい親方も「寝かせといてやろう」と優しく、工事現場の真横で寝るこのホームレスの男性も一緒にこの工事に同行することとなりました

(また話が少し脱線しますがグリーン関連の行政の仕事が、実は大木の剪定とか道路の延々と続く並木道とか、広大な公園とかの施工管理を少ない日数でこなすために、チェーンソーやブロアー等の化石燃料を消費する機械をたくさん使ってやっている、いや、やらざるを得ない業界事情なのはなんだか矛盾を感じます。グリーン事業を推進する政治家とかはこの辺りの現場の実態を肌身で知っているのでしょうか?化石燃料を大量消費してグリーン事業をやっていることを)。


桜並木を1本ずつ工事を進めていくので、1本終わったら前に進みます、

なのでカラーコーンも、となりに止めてたトラックやパッカー車もその都度、木の近くまで動かして並木道を施工管理しながら進んでいくのですが、

そんな仕事の流れの中にホームレスの男性も一緒に来ることになりました。

1、2本終わって、私が親方達から早く車出せと言われてる中、カラーコーンを片付け荷物を縄で縛りトラックを出す準備をする中で、ホームレスの男性に、

「車まえに出しますんでー」と、

一言、声をかける。「次、前の桜いきます」と。

すると、ホームレスの男性も「わかった」と起き上がり、一度繁華街の方へ戻ったあと、しばらくすると次の現場に来て、私達が工事の準備をして工事をはじめている隣で、いつの間にか横になってる。

そんな感じで少しずつ桜並木を進みながら工事が進んでいきました。

途中から私が移動の準備を始めるためにトラックのエンジンをかけると、ホームレスの男性はこちらが何も言わなくとも、危なくないよう一度現場を離れて、

そしてまた次の桜の下で作業がはじまると、いつの間にかその工事の隣で横になってました。

このホームレスの男性が、私達の工事現場で、そこを居場所として安心して寝ているのが私はなんか嬉しかった。うまく言葉にできないのですが。

なにか声をかけたりとかするわけではなく、

若造の私なんぞに、目の前の壮年の男性の様々な背景ある人生を上から目線で声かけるようなことは当然言えるわけない、

その人にはその人にしか分からない地獄もあったし、辛かった、おかしいと感じる理不尽な暴力もたくさんあった、人それぞれ、そりゃそうなんですよ、お前に何が分かるんだって話なんですよね、そうじゃないですか。だから、何か直接的に繋がるわけではなかったけど、

ただ、トラック動かして移動する時に「次、前の桜いきますんで」と一言、声をかけて一緒にこの桜並木の施工を進められて私は良かった。

この距離感の繋がりが私はなんか嬉しかった。

休憩時間には先輩達の飲み物を買いに行きます。せっかくなのでいつも警備員さんの飲み物も買ってました。

お金は会社持ちだし、警備員さんは会社違うけど、まぁいいだろうと。

現場の工事はやはり危険が伴い、毎年1人は必ず死亡事故があります。木から落ちて打ち所が悪かったり、チェーンソーとかも高いところで使ってたりしますから、ベルトにハサミやノコギリも装着してますしね。

私もチェーンソーで指を切ったことがあります(激痛)。それに毛虫とか危険な蜂もいるなかで仕事してきますから。みんな生きてますけどね、けど綺麗事では済まないです。

工事現場は休憩時間をしっかり取る、飲み物も会社からお金が出て、強制的にでも定期的に10分、20分の休憩をする。行政側からもそんな指導があります。

そんな感じで仕事を進めていって、警備員さんとも仲良くなり、休憩時間には道路に座って缶コーヒーを飲みながらちょっとした話をすることもありました。

と、この警備員さん、60歳過ぎの方だったのですが、話をしているうちになんと超大企業のデザイナーだったことが分かります。

私も自分が志している道を話しました。すると、「君はとてもステキなチャレンジをしているね」と声をかけてくださった、

私はこの時にもらった一言を今も大切にしているのですが、

この警備員の男性も、なぜ自分がいまこの仕事をしているのか話してくれました。

自分は建築関連のデザイナーをずっとやってきて、現場に立つということをしたことがなかった。デザインをする中でほんとは現場に立ちたい自分がいたけど、立たなければいけないと感じていたけど、それをすることなく定年を迎えてしまった。

だから会社を辞めた定年後の第2の人生は、現場に立つことから始めたかった、と。

いろんな話をしてくれました。

60歳を過ぎて定年退職後に、1日外で立ちっぱなし、気性の荒い人も多い造園や建築、土木関連の職人相手に、現場の交通整理の仕事をやる。

私みたいな若造相手に偉ぶる様子もなく、学び問う姿勢を持ち続けてらっしゃって、丁寧な言葉で話し、たくさんの一言をくれた。

現場に立つこと、現場を知ること、それが私の第2の人生だからと。とても晴れやかな顔で話されてた。

定年後に第2の人生を歩みはじめる、生まれ変わって1から学び問う、対等な姿勢。現場に立つってそういうことですもんね。カッコイイなぁと思いました。

「君はとてもステキなチャレンジをしているね」「出会えて良かった」と、

「頑張ってね」と応援してもらった。

私はこの時にもらった、たくさんの一言を、この造園仕事から7、8年近く経ったいまも大切な一声の出会いとして大切にしています。

これもまた造園会社の仕事でのことですが現場の仕事は過酷。

理不尽なことも多く、女性の庭師であっても親方から蹴られるなんてことは普通にあったりします、おかしいですけどね、職人の世界の倫理的に問題なところ。すべてがそうではないでしょうけど。

私もベテラン職人から鎌でも首はきれんだぞって脅されたこともあるし、

チェーンソー持ちながらそれ言われたこともあります(20代で怖いもの知らずでしたから、そうしたあからさまな攻撃には笑っちゃってましたけどね、チェーンソー持って切ってやろうかって、本気でやる気なんてないくせになーとか思って、あーはいはいと適当に返事してると、ナメてんのかとあとで殴られるんですが笑)。

とにかく職人の世界は過酷で、一方的に理不尽なことやられたり言われることもたくさんある。職人的な現場に立つ人間というのは、そういうものですね。

そんななかでガテン系の派遣をやってて、私が働いてた会社によく派遣で来てて、一緒に現場仕事をやってた少し歳上の職人さんが、

そうした先輩達の暇潰しで嫌がらせをされた人がいると必ず一言かけてくれる人でした。

私が先輩方に一方的に攻撃受けてる時にも、よく助け舟を出してもらいました。

その人がよく言ってたのは、自分も散々やられてきたから、俺なんかガテン系の派遣だし、俺なんか馬鹿だしさ、しょちゅう馬鹿にされて嫌な目にもたくさんあうんだと、

だから、同じようなことやられてる人いたらさ、必ず一言、声をかけたいんだよと、

そういう一声に人って救われることあんじゃんって。そう話していました。 

いつも助けてもらってたこのガテン系の派遣職人さんとの会話も私はいまも心に残っていて、大切にしています。

私も目の前で理不尽な目にあってる人がいたら、必ず一言、声をかけるようになりました

(理不尽かどうかは私の主観ですが、一方的にやられてる側に、その人に一言、声をかけるのぐらいは前後の文脈も善悪も関係なしに常にやろうと思ってやってます)。

私は普段かなり無口なのですが(もともと声が出にくいのです)、そういう時は声が出るようになった。

普段、コンビニで買い物するときとかそんなちょっとした時でも、レジで並んでて前のお客さんがレジの店員に横暴な態度とってたら、

自分の会計の順番きたときに一言「大変ですね」と声をかける。些細なことですけど一声かけたい。いつもお疲れさまですと。

それで目の前の人の心が晴れるとかそんなのは分かりませんが、私はあなたの存在を肯定してるってことを、その目の前の相手の働きを、その存在を承認する意思を相手にちゃんと伝えたいと思う。商品の取引だけじゃ、良くない。

辛い経験や過酷な現場、理不尽なことたくさんありますけど、私はそれらの出来事に感謝する心を持ちたいと、そう思います。

人生の深さや重みをよりいっそう味わい生きてくことができる。ささやかな幸せに感謝を抱くことができる。

露の世は無常で、理不尽。

しかし、一緒にいる。理解者として共にある。

やせ蛙 負けるな一茶これにあり。

小林


一茶も、目の前の生命に、自然に一言一声かける俳句を詠んだのだなぁと感じます。目の前の人へかける一言を追求する。南無阿弥陀仏の俳句。

それを仏教ルネッサンスして、私も日常の場面でそうありたい。ルネッサンスしたら「救う」という言葉はいらないかなと思いますが、自らの手で描く、自分が立ち上がる、そのための発明をする。環境の自然を生かして。

マイノリティデザインやゆるスポーツ、ゆるミュージックを立ち上げて、高く評価されたパラリンピック閉会式のクリエイティブディレクター、演出をした澤田智洋さんが「あなたの弱さは社会の伸びしろだよ」と、

様々な人に一言、ひとこえ伝え続けているのも、仏教・浄土真宗ルネッサンスした現代の南無阿弥陀仏かな。

差異の肯定と承認の一言。その声を掛け合う。ケアし合う。一遍の踊り念仏のような。

絶対はない。が、私は今こう言いたいです。

絶対的な違い、差異を肯定し承認し合う一言は、そんな「ひとこえ」は誰がなんと言おうが、いま目の前にいる人にかけていきたい、掛け合っていきたい。

哲学者ミルトン・メイヤロフは著書『ケアの本質』の中で、

「他者をケアするとは、そのもっとも深い意味において、その人の成長と自己実現を助けることである」

ミルトン・メイヤロフ著『ケアの本質』1987

と、述べていました。ケアはその人の意思決定に基づくもの。


どこへ向けて咲こうとしているのか、

複数の方向に枝分かれする、どのように伸びる枝に花芽がでてきていたのか。

今、目の前にいる人が前を向いて生きられる。

ひとこと、ひとこえ。

造園会社にいたころ、当時60歳を過ぎていた名もなき農家の植木職人さんが言っていた一言も思い出します。

木はイジメればいじめるほど、枝がくねくねと曲がって歪な形になってくんだよ、人間も同じだろと。

最近の若い奴等は加減を知らねーんだよ、相手が死ぬまでやっちまう奴もいる。それは、若い連中が痛い目を直接見たことがねーからだろ。現場に立ったことがねーからだろ。だから、加減がわかんねーんだよ。これやられたら痛いって肌で分かってねーんだよ。枝を落とすときも人間相手でもよく考えてやれよ。

と、言いつつ、鎌でも首切れるからなと怒られてた私(笑)。うーん、、厳しい(暴力に任せるのは絶対よくないですけどね)。

けど、本当に現場で1をちゃんと1として、ひとつずつ積み重ねてきた人が発信する言葉って、体験のリアルな質量をまとってますよね、私はそう感じます。

だから、自分の人生の体感から目の前の人に伝える必要のあることを、伝えていきたいなと思います。

偶然性から生じた自分のいのちから、だからこそ発露することのできるものがそれぞれにある。誰にだってある。

自分にとっての真の現実を発露する、じねんの質感をまとった逃走線をひく。だから、noteのような誰でも活用可能で発信できるプラットフォームは素晴らしいなと思います。

人と人はわかり合えない。人と自然も。未来はやっぱりディストピアですかね。まぁかぎりなくそうなるでしょうけど。

けど、、だから。

人こえのちから。

信じて生きたいと思うんです。

露の世は 露の世ながら さりながら

小林一茶

露の世だから、、、こそかな、ひとこえ。

いのちの縁を大切に

一茶ト(いっさと)。





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