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自然を生かす他力テクノロジー

『民藝』

柳宗悦が見出だした生活藝術の美。

民藝は、、、、

「国立」に対して「在野」

「近代」に対して「非近代」

「美術」に対して「工藝」

を、、、、、、

掲げた。と言いますね。

現在、東京国立近代美術館にて『民藝の100年展』が行われていますが。

私は去年、展覧会が始まってすぐ行ってきました。

冒頭の、民藝が掲げた美学に対して、

「東京・国立・近代・美術館」という場所は、

その全てに対立していて、そこで「民藝」の展覧会が行われるというのは凄いことだなと思います。

柳宗悦はどう感じるだろう、民藝を継承されてる方々はどのように感じてらっしゃるのだろう。 

『民藝の100年展』でも、当館、東京国立近代美術館は柳から批判されたことがあると、展示の中で説明されていました。

まぁ色々ありますね。

どこも。

柳宗悦は、日本の仏教美学に民藝の美の拠り所を求めた。と言われますね。

特に日本の実存主義とも言える浄土真宗に。

法然の浄土宗、親鸞の真宗、一遍の時宗へと、

その思想の発展と深化について、

晩年の著書『南無阿弥陀仏』には記されていますが。


国立に対して「在野」とか。

もうその姿勢が好きすぎます。

私は町工場からノーベル賞とか出るのが好きです。町工場の職人の物作りの雰囲気も。

歴史に残るアートは在野からでは?

みんなそうじゃないですか。ゴッホ、セザンヌ、人生懸けた市井の研究者達。


これは個人的な美学というより、日本的、仏教的な美学に近いのかなと感じてもいます(以下、長く説明します)。

日本文化は、一部の特権階級ではなく「民衆が」成立させた。

そして、民藝は仏教ルネッサンスなのでしょうか。


ルネッサンスとかいうと、柳が掲げた民藝の美の概念とは対立するのかもしれませんね。

民藝は「近代」に対して「非近代」であると。


ただ、ここで言う「近代」は、西洋的な近代化を絶対的な正義として、そんな1つの価値や視野が支配的な、

その権威に対する1つの問い、意思表示があったようにも感じられます(直感)。

「近代」に対して「非近代」。「西洋化」に対して「各地域の土着文化」(裏付けまったく取ってない、ただの感想ですが。ただただ印象)。


日本の近代化について考えてみると。

明治の美術教育の組み立ての中で、

岡倉天心は日本の茶の文化を『茶の本』を通して世界に発信していますが、

その『茶の本』の中で、茶の文化・茶の花が、

自然主義や様式主義とは少し違うことを説明して、

そしてそれらと区別して、茶の文化・茶の花を「自然派」と呼んでいますね。


これは自然主義派や様式派との比較区別だけではなくて、

西洋の近代美術誕生の先駆けとなった「印象派」に対して、茶の文化・茶人の生ける花は、

そして日本の文化芸術は「自然派」なのである。


岡倉天心はそんな意味でも発信したかったのでは、、、

なんて私は受け取っていました(こんきょまったくない、直感ですが)。


西洋伝統美術への反逆だった印象派。

その後の、後期印象派時代のセザンヌによってキュビスムの多視点が発見され、

それを継承したピカソやマティスによって、20世紀初頭の近代美術が確立される。

印象派は、今日の近代美術、その後の現代アートの夜明けとなった芸術運動。

近代美術の朝を作った印象派。

そして、日本では明治の美術教育論争等を経て、東京美術学校を作り上げていった岡倉天心。

岡倉天心は、日本の茶の文化・茶人の花を「自然派」と呼んでいる。


「日本の近代化」の時代から、岡倉天心が目指した美術教育は、

仏教ルネッサンスを導いて、西洋の「印象派」のように、近代日本藝術の夜明け空を作り上げることが出来たのでしょうか。

印象派の先で「抽象」を発明した西洋の近代美術のような、キュビスムに匹敵する表現は、

日本文化でいうと何になるんでしょうか。

「国立・近代・美術」

それに対する民藝。

「在野・非近代・工藝」


日本の文化芸術の近代化への道は?

仏教ルネッサンスは?

柳宗悦が「民藝」として示した美の、その拠り所とした、

浄土真宗&時宗のルネッサンス。に、1つの可能性が。。

ある?

そんなことを考えていました。

一部の特権を持つものだけではなく、全ての人が等しく浄土へ往生できることを説いた浄土宗の法然。

その浄土への往生は死後来るものではなくて、
いま生きているこの時に成されるものだとして、
また生きているだけで悪人とされた当時の差別される立場の人も等しく、

むしろその人達こそがいまこの瞬間に浄土往生できるんだって説いた浄土真宗の親鸞。


そして、差別される立場の人々と共に、過去も現在も未来も全て捨てて、いまこの時に、内なる「自然(じねん)」から、新しい生命への転生を遂げる踊り念仏の遊行を行った時宗の一遍。


※私的解釈です。

わたしのいのちを生きなおす。

自然回帰(じねん・かいき)、、、

いや。

自然転生(じねん・てんせー)。

人や社会から与えられた名詞や形容詞ではなく、本来の自然(じねん)のわた詞に還る、

生きなおす、生まれ変わる。

(じょーどルネッサンスの花を描いたんです)。

過去も未来も、現在だっていらない、捨て去っていい。

そして、いまこのときに、わた詞の自然(じねん)に転生する。

「自然転生(2回目)」。

(心の中で必殺技っぽく雄叫びあげて言ってます)。

※柳宗悦や浄土研究の守中高明教授の著書の影響を受けて、勝手に言葉作りをしてしまいました。ことば大好き派。


こういうこと言うとあれですし、あれのあれですが、、

自力道の禅にしても、他力道の浄土真宗にしても、いわゆる信仰というか、神様信じますというか、そうした宗教的なものじゃないのだなと私は感じております(宗教を否定するものではありません、近代哲学っぽいというか)。

特に浄土真宗は、日本の実存主義。他力(自然)の道。

自力道の禅以上に、「他力」は近代哲学的。

超越者と一体になろうとしないところとか。

権威、マジョリティに近づこうとしないというか。

実は「自力」というのは、けっこう宗教性に向かう可能性のあるものなんだなぁと最近感じていて(宗教を否定するものではありません)。

勝者を目指して、自力で。そしていわゆる神というか、天才というか、そうした何かしらの超越者を目指すか、それを崇拝する、と。

自力の崇拝。それは超越者と一体になろうという行為に転じることもあるわけですよね。

宗教で死後天国に行くいくなども、神と一体になりたいという気持ちでしょうか。超越者を自己に投影してみたり。

自力を目指すか、超越者を自己投影して崇拝する。

あの超越者に任せておこうって。天才の自力を期待もする。

天才が、超越者が、神様のような人が、最強のチャンピオンが、おつげをくれる、良くしてくれるからって。超越者ばんざーいみたいな。

テレビもそうですが、個人でチャンネルを持てるYouTubeとかはより一層そんな傾向に傾く可能性もあるのでしょうか。

うーん、「自力の崇拝」こそ、実は日常的に間違って使われがちな他力本願に転じることが多いような気もする(本来の浄土真宗の他力は、他の人の力のことではなく自然の力のことですが)。

現代は自力や自己責任だけが問われがちな社会ですよね、マイノリティ性は「治せ」となるし。

自力崇拝だと。自力で、自己責任でなんとかしろとなる。自立しろと。

病気とか持病で苦しんでても、ちゃんと治療する努力したのか?と言われることもあります。

私も喘息とか治せない持病複数あるんですが、咳とかしてると、このご時世だし、けっこう治す自力を言われることあります。ちゃんと病院行ったの?みたいな。

うーん、そりゃ自力ケアもしてるけど、子どもの頃からだし、治らない病気もたくさんある。治すというか薬で抑えるとか、席を離れてトイレで1人ゴホゴホやってるとか、そんな対応するけど、それが自力の限界。

じつは自力、自力の称賛って、かなり宗教性のあるものなのではないかーと。。

目指すにしても崇拝するにしても、そこにあるのは何かしらの超越者のイメージ(神・天才・預言者・最強)。完全体、完璧の「イメージ」というか。

自力の崇拝。個人にしても集団にしても。個人を神格化するというか。さいきょーてんさーいバンザーイみたいな。

資本主義の限界、民主主義の崩壊、今抱えている社会課題は、こうした自力崇拝の限界な気がしています(直感)。


日本の、「自力」に対しての「他力」は、いわゆる超越者を崇拝する宗教性とは少し異なるものなわけですよね。

浄土真宗は「他力」=自然(じねん)の力で「いまこの瞬間に浄土へ往生する」のだと。

死後じゃなく、生きているいまこの時に。

死後に神の国に行くとか、超越者になれるとか。だから自力で信仰心を持って清く生きなさいと、そういうことではなく。

浄土真宗、これはむしろ神の否定にすら近いように感じます。ニーチェ。実存主義。

そして、公家貴族・武士や僧侶等の一部の特権階級だけではなく、その時代に差別されてきた、ただ生きてるだけで悪人にされた当時の差別される立場の人達こそ、農民や庶民こそ往生できるのだと悪人正機を唱えた親鸞。

じつは「他力」の方が、自分のそのままの自然を大切にするってことだったのかもしれないなぁと。

「自力」って結局、社会や周りが望む超越者や、そんな超越者じゃなくとも、立派な社会人になるとか、結婚して子ども作って昭和っぽい幸せな家庭を築くとか、ステレオタイプのそんな固定観念のイメージに「自力で」自己責任で、そうなれるように努力しろってことになりがちですもんね。自立しろと。


で、そこに「わた詞」はあるの?あったの?より上の「自力」の超越者からマウント取られて、会社とか友人だけじゃなく、家庭環境とかでもママ友とか、そうした関係性でもマウント合戦なわけですよね、大変だろうなぁ。心の貧困というか。その自力は、誰もが辛いだけではないのか。

自力の崇拝で、人は苦しみ、人を責める。

「自力」それは本来の人間的な自然の姿なんだろうか。


諸行無常、万物は全て流転する。常に一定の同じ形のものなどなく、変化していく。

だから「いま形あること」、形ある今に、

一期一会の瞬間に、

感謝の心が生まれる。すべてが自力などではなかったから。

いまある自分が、すべて自力だなんて思っているのはちょっと違いますもんねぇ。


他力=自然(じねん)の力。

偶然の廻り合わせから生じる生命、自然(じねん)。その力は、自力でなく必然的に生じてくるもの。

そこに美を見いだした人達がいた。

茶の湯の創始者・村田珠光。

民藝の美を見いだした柳宗悦。


いまマイノリティデザインという、次の時代を作る藝術も登場していますね。

「自力」ではなく「他力(自然)」のルネッサンスに、民衆1人ひとりが成立させた本来の日本文化のルネッサンスがあるのではないか?

岡倉天心が自然派と呼んだ、藝術のルネッサンスがあるのではないか?

その地に生きた民衆が成立させた日本文化のルネッサンスに。


能の世阿弥、日本庭園の善阿弥、絵師の芸阿弥、その芸阿弥の息子で生け花や美術鑑定士の相阿弥など。

彼らは室町時代、芸術を愛した芸術家将軍・足利義政とともに芸術を探究した同胞衆。


足利義政は東山文化を築き、今日の日本的な文化の基盤を作り上げたましたが、彼の政治によって応仁の乱が勃発し、100年以上に渡る悲劇の時代、戦国時代を招いた。

しかし、足利義政の時代に日本の藝術文化は深く発展した。

世阿弥、善阿弥、芸阿弥。

彼らは日本の実存主義とも言える浄土門の衆生「阿弥(あみ)」の名前を持つ者達。

親鸞は「悪人正機」を唱え、その時代に、ただ生きてるだけで「悪人」とされた、差別される立場の人達こそが、全ての人を等しく浄土へ往生させるとした。


一遍は当時、その差別される立場だった人達とともに踊り念仏の遊行を各地で行っていった。


そして、一遍の時宗の衆生には「阿弥」の名が与えられていた。

鎌倉時代を生きた一遍の次の時代、室町時代において、

世阿弥、善阿弥、芸阿弥ら阿弥の名を持つ者達は、足利義政とともに日本の文化芸術を深化させていった。

※私的解釈です。

ここで引用。

池波正太郎の直木賞候補作。
『賊将』「応仁の乱」より

(私は歴史の英雄を描いた司馬遼太郎より、、歴史の影に隠れた庶民を描く池波正太郎が好きですね。歴史物なら)。

この小説、

足利義政と善阿弥の出会いの場面が描かれます。 

善阿弥は銀閣寺の庭園等、東山文化の庭園の数々を作り上げた有名な庭師。そして、善阿弥は河原者と呼ばれ当時、差別される立場だった。


2人の出会いの場面。まだ幼い義政が庭園の池に落ちるところから。


善阿弥は、義政よりけっこう年上。


善阿弥は、山水河原者として、義政の父の屋敷の庭の手入れをしていた。

池に落ち溺れていた義政を助けたのは、善阿弥。


そして、善阿弥は義政を叱る。

未来の将軍様がこんな池に落ちてはなりませぬ、しっかりしなされと。


善阿弥は、義政の侍女達も叱る。将軍のご子息をちゃんと見ていないと危ないだろうと。


すると、侍女達は善阿弥に大いに怒り罵倒した。


侍女達がなんといって、善阿弥をののしったのか、義政は覚えていないが。。

だが、義政を助け、侍女達にも義政のために怒ってくれた善阿弥が、、、
 

※以下、括弧内は小説引用。


「急に悄然(しょうぜん)となり、逃げ隠れてしまった」

「その姿。侍女たちに投げた怨みのこもる白い眼の色だけは、今も忘れてはいない」

※足利義政が語っている。


「おそらく侍女たちは、善阿弥の卑しい生い立ちをいいたてて極めつけたのであろう」






※善阿弥は回想する。


「あの頃の私めは、まだまだ庭師としての誇りも芸もうすく、ただもう山犬の子のように路傍(ろぼう)へ生み捨てられて、父も母も知らずに生い育った身の上の浅ましさ卑しさのみにとらわれ、世の中にも、草や樹や石にも、憎々しげに眼を向けていたのでござりました」


「私どもは、何とかして、たとえ蜘蛛の糸ほどの細い道でもよい、それを見つけ出して青い空の下へ浮かび上がろうともがきぬいていたのでござります。いえ、今もって、河原者のほとんどは、そうおもっておりましょう」


「なれども私ども庭師となった者は、さてどういうめぐり合わせなのでござりましょうか。石を運び、土をこね、樹を植える労働に従いながら、数多くの宏大な寺院や館の庭を見ているうちに、、左様でござります、」

「何時の間にか、庭仕事の人夫をすることが、何よりも楽しみになってまいったのでござります」


「四季それぞれに複雑な陰影をもって変化する樹の、草の、花の、石の、微妙な諧調(かいちょう)の美しさを見ることは、 」



「家もなく、身につけるものとても一枚きり、行先も戻るところも知らぬ私に、それら何よりも生きている人間の心、脈打つ血の唄声(うたごえ)を、しっかと、この身内におぼえさせてくれたのでござります」


※池波正太郎『賊将』「応仁の乱」より引用。


室町時代、8代将軍・足利義政と共に東山文化を築き上げた善阿弥。私は池波正太郎の小説で自然(じねん)というものの解像度が高まりました。私的解釈ですが。

浄土真宗は「自力」ではなく「他力」の思想であると言いますね。

「他力」とは、誰か他の人の力のことではなくて、

「他力本願」は人任せという意味ではなくて(むしろ、先に書きましたが「自力の崇拝」の方が他人任せの意味で使われる他力本願に近いですよね)、

「他力」とは「自然(じねん)」の力のことであると言いますね。


民藝の美を見出だした宗教哲学者・柳宗悦は晩年の著書『南無阿弥陀仏』において、「他力」について、このように述べていました。

「衆生にむかって偏え(ひとえ)に「仏願に乗ぜよ」というのは、この願の上に乗りさえすれば、往生が決定するのを報らせるためである」


「丁度」

「海を渡るのに舟に乗るのと同じである」


「これに乗れば易々と港に着くことが出来る」

「自らの力で泳いだら、いつ着き得るであろう」

「またいつ力が絶えるか分らぬ。あの沈むべき重い石でさえ大きな舟に乗せられるなら、沈むことはあり得ないではないか」

「人間の場合も同じだと浄土門の教えは説くのである」

「それ故」

「呼んで他力門というのである」


※柳宗悦『南無阿弥陀仏』98貢、引用。

これが本来的な他力本願ということの意味でしょうか。自然の力を生かすと。

波の流れ、風の流れ、その自然の力を生かして進む舟。

大海を渡るなら、そんな他力(自然)の力を活用していく方がいい。自力だけでは溺れる。

舟に乗っていれば、大海の景色も見渡せますし、ご飯食べたり、誰かと酒呑みながら行くこともできる。新しい発見もたくさんあるかもしれない。

わけですかね。

「他力」とは、それをルネッサンスするならば、テクノロジーを活用して、自分の「自然(じねん)」を生かすことでもあるのでしょうか。


そもそも「自力」「アナログ」で描いていると思われがちな絵画にしても、描きやすく進化した「鉛筆」とか、

「絵の具」とか「メディウム」とか、その時代の先端テクノロジーを使って、実は描いていますよね。

アナログ表現も「自力」だけではない。本当は。他力(自然)を、その現象を借りてる。

自力の、その人の力業だけでは決してないわけですよね。絵の具が、メディウムが色を視覚効果を出してくれてるし。

作庭の山水の技にしても、草木を自力で、力業で剪定するのはあやまったやり方ですし。

たまに、剪定はセンスだとかいう人がいますが、大間違いですよね、それは違う。センスなんかじゃない。 

その草木の1つひとつ異なる生態を、その命をちゃんとみる。そのために、いのちの置かれた環境、陽当たりや土壌も調べる。背景を知る。

いま、どうあるのかを。どう生きて、目の前にいま立っているのかを。

人間は1つのいのちの形を定める神様なんかじゃない。

自分もその世界に共にあるだけ。風として空気として、いのちとして。
 

そうやってはじめて、

風が吹き草花を撫でるように、

「剪定した」という人間の手の跡を残さない、

「自力の跡を残さない」で、枝を落としていく道が開ける(私はまだまだです)。

雨風にさらされて、山の樹木がおのずと枝を落としていくように。

自然の粋の如く。日本の山水作庭の技。


イサム・ノグチも日本の庭の研究の中で、日本の技が「自力の跡を隠す」ということに気付き、そのことを述べていますね。去年、都美術館でやっていたイサム・ノグチ展でもそんな言葉がありました。日本は人間の手の介在を隠すと。

自力と他力が見え隠れする。

イサム・ノグチ展の作品light(かろみの世界)の下に広がる枯山水
※ここは写真撮影可の領域でした。

彼の晩年の泥かぶりの作品等を見れば、そこには自力で彫る彫刻ではなく、自然の声に耳を傾けて、石がなりたいように彫る、そんな他力を生かした彫刻と庭の、その到達点が見えるようにも感じます。自力を隠す、いや消す。幽・霊みたいな。

幽玄。

うーん、その技。余白ホーリーでしょうね~。

あの、白魔法の~~~。きゅるきゅるキューンと空から降ってくる究極の白魔法のあれ、、、、、「奥義」のあれ。

ではないか。。。


自力の跡を残さない、

自然を生かす「他力の技」。


長谷川等伯の余白も、自力の力業では絶対描けないと私は思うんですよね。

自力の跡を残さない他力(自然)の筆であったからこそ、あの幽玄余白の『松林図』などの美は生まれているのではないかと考えていて。私ダイスキなんですけど、あの絵が。


また、アーティスト日比野克彦教授も、学生の頃に教授から、気合いを入れた完成品よりも、下絵の走り描きみたいな絵の方が、お前らしいと言われたと。そう仰っていました。

これは下絵の方が自力の跡がないからなのでしょうか。このエピソードを聴くと感じます。

日比野克彦教授の絵は、自力の跡が見えないからこそ、とても素敵だと私は感じます。その色にしても、色の円環に逆らった感じがしない、色と一緒になって自然に流れているような。自力の技術の痕跡が見えない。だから、技術の嫌味がなく、その人の心の自然(じねん)を受けとれる。

ピカソは子どもの絵の凄さを言いますが、晩年その境地を目指しますが、自力の跡がないというのは子どもの絵も同じなのかもしれない。

と、偉い先生の絵を批評するおこがましい私。

ただ、この記事で考察してきた他力の、その自然の流れの考察です。


自我は消えて無我の筆。長谷川等伯のあの最高傑作も、自力の力業というより、画業の中で見つめた自然(じねん)を生かした、ある種の他力テクノロジーなのかなと。

また、道具、テクノロジーを使いこなす技術の習得すら、自力だけでやってるわけがなく、様々な人に支えられて「自力」は存在しているわけでもありますよね、あたりまえですが。

限りなく他力のお陰で、おかげさまの「自力」は存在している。

幽玄余白の美、日本文化の美は、

「お陰の他力」、感謝の心から、線が自然と運ばれていくのだろうか。

それに、感謝の心から動く、その目の前のあなたのための時って、心からそのために動ける時って、自分でも信じられないような力が出ることありますよね、しかも自然に、無意識的に。

自力で出そうとしても出ないものが、静かに、

シトシトとこの身に降ってくるように発露されていく。

風が大地を撫でるような。

時間芸術作品を作ったナムジュンパイクも、

20世紀後半の時代において、油絵具に代わりコラージュが表現の主役に変化したことを述べ、『時間コラージュ』等の作品を発表していますが。

テクノロジーにしても、油絵具だけでなくセザンヌピカソのコラージュという「視点・アイディア」もテクノロジーとして色々出てきていますよね。

現代だと、イラレにフォトショに、Adobeのデザインツールも大好き。新しい絵筆。

セザンヌピカソマティス、モンドリアンカンディンスキー生きてたら絶対やってる。20世紀の抽象の先を探って、抽象を進化させようとやってるはず。彼らの方がむしろ他力を受け入れてそう。そういえば、モネとかゴッホとか印象派とか彼らは日本芸術を探っていましたよねぇ。

また、『世界は贈与でできている』の著者である哲学者の近内悠太さんは「哲学はテクノロジー」であると述べられていますが。

これからの新しい資本主義の時代にも、哲学というテクノロジーは必要になってくるんだと私は考えています。

歴史上の芸術家も、みんな自力だけでなく、その時代のテクノロジーを活用して表現していた。

自力の中に、どれだけの「他力」の助けがあったのか。

そこに気付く、その時代に生きる人にとっての、その生活にとっての、真実のものはそこから生まれるのではないだろうかと。

「芸術は、充分な鑑賞に耐えるためには、同時代の生活にとって真実なものでなければならない」(60貢)


「それは、われわれが後世の要求を無視してよいということでなく、今日の生活を求めてもっと楽しむべきだということである」(60貢)


「それは、われわれが過去の創造を無視してよいということでなく、それをわれわれの意識に同化しようとつとめるべきだということである」(60貢)


「真の美は、不完全を心の中で完全なものにする人だけが発見することができる。人生と芸術の力強さは、伸びようとする可能性の中にある」(63貢)


「心は心に語りかける。われわれは言葉にならぬものに耳傾け、見えざるものを凝視する」(68貢)


「芸術鑑賞に必要な、共感による心の交流は、互いに譲り合う精神にもとづかなければならない」(68貢)


「われわれの心に訴えるのは、手練よりは魂であり、技術よりは人間であって、その呼びかけが人間的であるほど、われわれの反応はそれだけ深いものになる」(69~70貢)


※岡倉天心『茶の本』より引用

自然転生(じねんてんせー)と、その自然(じねん)を生かす他力テクノロジー。

1人ひとりの自然、じねんを生かす他力テクノロジーの開発は、岡倉天心が述べた「自然派」の進化になる。と考えています。


じつは、私はそれをずっと開発してきて、

こっそりあたため続け、いまも現場で仲間とともに開発し続けているのですが(じつは特定の地域で数回展示会もしています)。

自力の跡を隠す、いやもうその跡は消す、、、、いや自力で描かない。

過去も未来も、そこで宙吊りになってる「いま」もいらない。

全て捨てる、名詞・形容詞、自力の跡は消し、捨て去る。そして、わた詞のいのちの自然を生きなおす。

いつからだっていいわけですから。

無我自然を生かす他力テクノロジーの発明。自然派の進化。

東京都目黒区駒場にある日本民藝館


「民藝」の美を見いだした、

柳宗悦は、著書『茶と美』の中で、初期の茶人であり、浄土門の僧侶としての修行経験もある、

茶祖・村田珠光など
(村田珠光は浄土門だけでなく、その後出会う禅僧一休宗純など、禅思想の影響も大きいですが)、

それこそ足利義政の時代ですが、この初期の茶人の美意識を柳は高く評価していました。

庶民の貧しくわびしい茶から、

その生活の中の一服に美を見いだし、芸術に高めた村田珠光と、

地域の民藝品、日常生活品に美を見いだした柳宗悦。

なにか、重なるところがありますね。

そして、人の「弱さ」「マイノリティ性」を見出だし、その1人ひとりの「弱さ」から社会をよくしていくために、次の時代を作っている澤田智洋さんの藝術にも、村田珠光や柳宗悦と重なるものを感じます。「すべての弱さは社会の伸びしろ」こんな素敵なデザイン。かっこよすぎますね。

これからの社会や文化のあり方への大きなヒントもたくさん感じます。

私はそもそも、それで自然を生かす他力テクノロジー開発をしていました(他力テクノロジーという言葉は、この記事を描くのに名付けてみましたけど)。

岡倉天心は茶の文化・茶人の花を「自然派」と呼んでいる。

生活の中に宿る美。

諸行無常が響く、その自然の生活のなかに芽生える「ありがとう」の感謝の気持ち。

澄みきった。

かんしゃ。

心の琴線に触れる。かんしゃ。

「ありがとう」の「お陰さま」、他力さん。

どうもどうも、ありがとう。

いのちは、自力だけで成り立っているわけではなかった。

そもそも経済の、特に一次産業の余剰生産があるから、芸術やデザイン、様々な芸を営むものの表現のその時間も生まれている。その特権性も生まれている。

その自覚なくして、

その時代の生活にとっての真実の美や藝は、生まれないのではないか?

岡倉天心は本当は、芸術家の自力の、その特権性を持つことを諌めてもいたのではないでしょうか?

日比野克彦教授のような、個々の自然の線を本当に大切にしてくれる人が学長なら、最大の権威ならば、藝術のその特権性の意識もきっと変えてくださるはず。

日本の文化藝術は民衆1人ひとりが成立させた。歴史に残るアートは特権ではなく在野から生まれる。

自力道のたどり着ける美術の、再現性や解像度はもう間違いなく人工知能に追い越されることでしょう。私はそうなってほしいですね、その方が全ての人に表現の道が切り開かれるから。

そもそも今問われているSDGsとか、社会課題は、マジョリティのイメージを束ねている、その権威とか特権性の意識や形の変化がまず1つ問われていることなのではなかったかと。

人の心の。

スティーブ・ジョブズ等もそうですが、AI研究の父とも言えるマービン・ミンスキー教授も、

「人の心」を学ぶのに仏教が最適な教本であると述べている。

従来の自力道の目の前のモチーフの再現性や解像度の高さは、人工知能にはもうかなわなくなる、どんどん引き離されていくはず。

けど、アイディア、抽象、自然を、1人ひとりの自然を生かしていくための「人間的なアイディア」ならば人工知能には真似できない。

それは人と人の関係性の中でこそ生まれ、そしてここが一番大事なとこだと思いますが、

「関係性は変化し続け、それは育まれていくものだから」。

出会いは偶然、変化は必然。具象と抽象のアイディアを組み合わせ、気持ちを分け合って、人と人の間で作り上げていくことは人間にしか出来ない。

それは自力だけでなく、他力(自然)の力を生かすことでもあるのでしょう。


歴史に残る藝術は在野から生まれていく。日本文化は民衆が成立させた。

ちょうど今月でnoteはじめて1年経ったようなのですが、

noteは全ての人に表現が開かれていて、みんながその立場から、それぞれの在野から発信していて、どの記事もみんな素晴らしく、とても素敵な環境だなと、私も投稿して記事を読んでいただけて、心から感謝しております。

ありがとうございます。

日本文化は民衆1人ひとりの自然(じねん)が成立させた。他力(自然)門の精神的風土から。私はそう考えます。

今日に残る名庭園の数々を作り上げた善阿弥だってそうだった。

彼は河原者と呼ばれた。当時の差別される立場に生まれ、そのなかで庭の現場仕事を積み重ねた。

四季折々と移り変わる草木の、石の、

流動する翳り(かげり)の美しさに触れるなかで、

己の自然(じねん)に、その声に気付きはじめた。

脈打つ血の、心の唄声に、そのリズムに。

そして、

自分にこんなにも感じ揺れ動く、人間の心をくれた自然への感謝の気持ちから、

後世に残る最高傑作と呼ばれる庭の数々を作り上げていった。

茶の文化、日本庭園の最高傑作に私達が見いだすのは、

その山水の技や空間の巧みさだけではなくて、

そこに生きた者達と草花や石の命に宿った「ありがとう」の心の交流。

いのち苔むす風の跡。

日本文化の仏教ルネッサンスは「感謝の心から」かなー。

よし、事業立ち上げに向けて、山にこもって毎日、正拳突きやる。

仕事ぜんぶ辞めてシュパシュパと、エアー正拳突き。5年ぐらいこもってやる。山菜とキノコでも食べながら、、ほとけが見えはじめるか。

、、、。うーん、正拳突きは漫画だった。

自然(じねん)を生かすアートの他力テクノロジーを、

私的解釈で、

ですが現在たくさん開発中です。

最後まで読んでくださった方、どうもありがとうございます。とてつもなく長いものを、ありがたいです。

感謝します。


『社会沖波浦。。』

海は、自力で泳ぐより舟を使う方がいい。

海水冷たくて長時間濡れると寒いし。

大人になるほど、海の冷たさに身体は固まる。

寒くて、つめたく。過酷。

社会の荒波を泳ぐ術なんて教わってないのに、

自力で泳げって子どもの頃から問答無用で、みんな海に投げ込まれている社会はおかしい。

自力を強いられる人ほど身体はどんどん冷えて、自力で泳げなくなってく。そんなの分かりきってることなはずじゃないのか。

泳ぎが得意か、最初から舟持ってる人は溺れないで済むかもしれないが。

そんな特権階級の資本持ってるのは人口の一握りでしかない。ほんとにそれが近代国家、近代以降の社会なのかって。21世紀の現代でさえ、そうなんだから。

みんなで新しい舟作って乗った方がいい。そっちの方がそれぞれのわた詞の自然(じねん)も生かしやすい。

目の前で困ってる人はたくさんいる。

だから、助け舟を1つでも多く設計したい。

私なんかじゃ力も資本もないが、

けど、本当にいま辛さを抱えて、孤独で、生きづらさを持ちながら日々を暮らしている目の前の人のために、

死ぬまでに1つでも多くの助け舟を作りたい。

それやって死のうと思う。


過去も現在も未来も全部捨てて、

自然転生「屋号あみ・マサル」として生きなおす。

感謝の心。他力(自然)のおかげさま。無我の筆。

読んで下さった方、どうもありがとうございます。本当に。

今後ともよろしくお願い申し上げます。

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