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本音で話す ことが全てですか。

最近なんだか"本音で話す"ことを強いられているような気持ちになる。

人からの強い感情をぶつけられたかもしれないし、「本当にやりたいことをやろう」みたいな転職サイトの広告を見たからかもしれない。

友だち( @miiko_nnn )が話していて思ったが、"恋愛の多様性"が表に出てきたというのもあるかも。

前回の記事にも書いたが、個性というものを主張していく時代だから、だろうか。


とにかく、この"自分をさらけ出す"ということにわたしは疑問を感じてしまった。


嘘をついたり、無理に隠したりする必要はないと思う。けれど、無為に自分の感情を露わにするのもどうかと思う。

その言葉によって誰かが傷ついてしまうこともあるということを考えてから言っているのだろうか。傷つけることを回避して伝えることだってできただろうに。

誰かを傷つけるような本音なら要らない。

立ち止まって、想像して、自分のものさしに固執せず、相手を思いやることができたなら、もう少しやさしい世界になれるのかな。


余談だが、わたしは喧嘩をすることが苦手だ。
人に怒られたときに怒りを返すことができない。

わたしの行動パターンは、
相手に怒りのパワーを与えるほどのことをしたということを反省して、何がダメだったのか考えて謝る。その言動に理由があれば話す。それからはできるだけ、その人にはそういうことをしない。

付き合いのある人の数だけ、そのパターンはあるので、わたしという人間は複数いるように思われたりもする。

個人的には、引き出しがいっぱいあって、相手によってどれを開けるか変えている気持ちである。

そのどれもが自分に違いない。

本音はさまざまな引き出しに収納可能で自由に出し入れできるもの、なのかなと思って、いきなりの文脈だったが書いてみた。

今週も読んでくださってありがとうございます。

#週1note に参加しています。

あと残り3週間。

書くことは勇気が要るので、毎回、ハリケーンに突入して、ボロボロになって帰ってくるような心持ちだけど、noteは行き場のない気持ちを供養するための言葉たちの場所なのかもしれない。


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