(シン)ミニヨンに便乗して勝手にクロスレビュー後出しその1

タイトルでまあ説明の必要もないと思いますが、ネットその他で交流ある方々が主催/参加されているミニコミ、シン・ミニヨンの最新号、個人的にもなにか書くつもりでその旨表明しつつも書かずに終わった不義理を埋めつつ、聞いた作品について好き勝手言い放題できる形が懐かしいなと、つい勝手に書きだしてしまいました。まあクロス・レビューに後出しというのは野暮というか反則でしかないのですが、さすがに手元にある本を書き終えるまで読まずに寝かしておくという忍耐心はないので一渡り目は通させていただきつつ、読み込みはせず、当然自分で書くにあたっては参考にしない(これは日々顕著に衰えが隠せないわが貧相な記憶力が役にたってくれました)また、
1) 事実関係の確認以外は書くにあたって極力ネット検索を使わない
2) 作品評を目指すのではなく、それぞれの作品についての個人的な関わりと感想を重視して書く。
3)とりあえず聞きながら思いついたことを並べて、聴き終えた段階ででた素材で(若干は整えつつも)組み立てる。
4)ある程度以上のマニアしか読まないであろうという想定なので、説明足らずとなどはあまり気にしない。

というくらいのモットーに書いてみました。放談モードにつき読みやすくコンパクトにまとめようという意思はなく、またその手間もかける気がない無責任さをいいことに無駄に長く書き飛ばしていますが、お酒の勢いも借りつつまずは4枚分書きあげましたので、まあよろしければお付き合いください!


Massacre:Killing Time


 ヘンリー・カウが解散したしばし後に、ストーンズやヤードバーズ、プログレ方面ではMDKからAttahkにかけてのマグマのマネージャーで(悪)名高いジョルジオ・ゴメルスキーに招待されてNYで彼が経営していたZU Clubとその関係で開催された前衛音楽フェスティヴァル、ZU ManuFestivalへの出演(他にデイヴィッド・アレン、ピーター・ブレグヴァド、ヨシコ・セファー、マフィンズ、グレン・ブランカなども出演)に誘われたフレッド・フリスがそのZu Clubのハウス・バンドとして機能していたZU Bandのビル・ラズウェル(b)とフレッド・マー(ds)と出会い結成(またフリスはNYに拠点を移すことに)したトリオの当時、唯一の作品(なお’90年代末にドラマーをチャールズ・ヘイワードに替えて再結成、ライブ、スタジオ合わせて2000年代にかけて4枚のアルバムを作成)。

 ちなみにこのZU Band、同フェスティヴァルにてデイヴィッド・アレンのバックを務め、そこからニュー・ヨーク・ゴングに発展、またそれとは別に独立したバンドとしても活動しながらじきにマテリアルと改名(フリスはこちらにも参加)、80年代NYダウンタウン・アヴァン・ジャズ/ロック・シーンで大注目され、ビル・ラズウェルが世界的なプロデューサー/仕掛け人として時代の寵児となっていく中で重要な役割を果たすことになる。
まあ、80年代から90年代、やはりフリスが参加したジョン・ゾーンのネイキッド・シティに代表される、NYダウン・タウン・アヴァン・ジャズ/ロック/パンク/現代音楽ごたまぜなシーンが注目された激動の時代の中でも起点の一つであり、そこに刺激されるところ多々あったCuneiform系の諸バンドや、ティポグラフィカやアルタード・ステイツなどの日本の90年代から2000年代初頭のライブシーンを牽引した数々のミュージシャンをも強く刺激した重要作ですね。

 LPリリース時は全13曲(ただしCDだとそのうちの連続で演奏される3曲が1曲としてまとめられているので実質11曲)、81年4月パリでのライブ音源と、6月のNYでのスタジオ録音をほぼ半々、曲順を混ぜて収録。ややこしい決めを用いつつもそう凝った構成は取らずに疾走しつつ即興めいた場面も多分に取り入れた楽曲が大多数を占め、70年代のヘンリー・カウのような長時間の共同生活と手をかけたレコーディングでなければ作りえない長大複雑な楽曲性を廃し、(個々の技量と相応のリハなりライブの積み重ねは必要とされるものの)短期間のプロジェクトでも作品化し得て、またそうした促成バンドであるがゆえの粗暴なスリルも提示するというあたりはパンク以降の感覚に適応するばかりではなく、その後のNY系と前記90年代から2000年代初期の日本のライブシーンなどのそこに影響されたシーンへの大きな指針ともなったており、本作の重要性はリリース時よりもその後に大きく増しているように思います。まあそうした要素がかつてのヘンリー・カウ支持者には必ずしもいい形では受け止められず、そういう意味では評価が割れた作品でもあることも確かだし、今でも“プログレ”観点からはとっつきにくいと見る人も相応にいそうではあるかなと。

 私自身、80年代半ばまではゴリゴリにプログレばかり聞いていたこともあって、本作を耳にしたのは結構遅く、80年代の末くらいだったはずで、わりとネイキッド・シティとかM-Baseとかティム・バーンとかのJMTレーベル(というのが当時尖ったジャズとして注目されたレーベル/ムーヴメントとしてあったのです)カーリュー(こちらも一時期フリスが参加)とかドクター・ナーヴなどのCuneiformレーベルとNYダウンタウン・シーンなどとそう変わらない時期に聞けたので、そういう意味での違和感は受けなかったものの、逆にリアルタイム勢のようなあのフレッド・フリスがこういう音楽を!という衝撃は受けなかったので、なにごともめぐり合わせのタイミングというのは色々あるのだな、とも思いますね。
今回こういう機会を得てかなり久々に聞いたのですが、長大複雑な楽曲を演奏するにも、逆にインプロにおいてもいわゆるノリ的な方向を意識的に排して常にお互いの音に対峙しなければならないシリアスさを背負っていたヘンリー・カウから、こうした肉体性や勢いを持った小規模ユニットに転じたことはフリスにとっても刺激であり解放にもなっていたのかなという自由な暴れっぷりを感じます。そういう自由度高いシチュエーションの中、ヘンリー・カウ時代から通常奏法とは異なったエレキ・ギターの可能性を追求してきたフリスの時にノイズ的になることも厭わない演奏と、せっつかれたように走りながらも、どこかファンキーでダンサブルなノリと、それを寸断するような切り返しが入るリズム隊が一体化しておりなす切迫感/緊迫感ある音はマサカーが多分に影響を及ぼした90年代~2000年代のシーンを経過した今聞いてもまだまだ通用するのは結構すごいというか、そのあとのシーンがまあまあだらしがなかったのか?とかちょっと考えてしまったりも。まあこの切迫感/緊迫感に関しては彼ら自身もあのヘイワードを迎えた再結成以後の作品でも再現できなかったのはあるので、あの時あの場でなければ生まれなかったものでもあるのかもですが。

 ちなみに私が棚から発見して本文章を書く元にしたのは93年のRecRec盤で、アルバム本編と同じライブ及びスタジオ録音各1曲、有名なCBGBクラブなど当時のアメリカでの他のライブから3曲(うち1曲はフリスのソロ作「Speechless」~同作は片面をエトロン・フー、もう片面をマサカーと共に制作しているからの流用)と計5曲追加されているのだが、現行のReR/Fred Records版だとこの全曲に加えてさらにアルバム本編で使用されたパリのライブから2曲追加されて全18曲(LP基準だと20曲相当)収録されているとか(このバージョンでは聞いていないのです)。また、もう一つ余談だが、本作の元の制作のきっかけとなったジョルジョ・ゴメルスキーはその経歴を見ても目利きであることは間違いなくも、よくも悪くも商売のやり手であることも間違いなく、慣れないアーティスト相手に自分に有利な契約を結んで音源権利を確保、後年様々に権利を貸したり売ったりしてよくわからない再発が出まくるケースが多く、マサカーに関しては(まあいくつかはありつつ)変な再発がそこまでたくさん出ているわけではないのだけれども、しかしいくつかのプレスにおいて迫力を出すためか、アーティストには無断でピッチをやや早め、またディレイ処理を加えたものがあるとのことなので、どのバージョンで聞くかによって印象が多少なりとも変わる可能性はあるとか(ここはちゃんと確認していません)。ということで複数バージョン聞き比べた熱心な方の感想もお聞きしたいところではあります。

ISLAND : Pictures

 いわゆるプログレの範疇に収まる70年代ヨーロッパ自主制作単発作品数あれど、ここまで独自性と完成度を誇る作品はほとんどないであろうという奇跡的な傑作。まあジャケが後年の名声にまでは至らないものの既にELPのジャケを担当した後のギーガー(これはアイランドがギーガーがキャリアの最初期にジャケを担当したSHIVERの流れを汲むというあたりからでしょうけれど)、イタリアはリコルディのスタジオでの録音でプロデューサーはPFMでもおなじみのクラウディオ・ファビであるから、そもそもがおよそ自主盤の制作環境ではないにしても、やはり異常傑作としかいいようがない。
バンド自体の歴史は70年代初頭(オムニバス作参加が確認されている。聞いていませんが)にまでさかのぼるものの、音楽的主導権はだいぶ後になってから加入したキーボード奏者のペーター・シェラーのものであると思われる。編成的にはそのシェラーがキーボード(ペダル・ベースでベース・ラインも兼任。これ自体はジャズのオルガン・トリオだと普通ではあるが、そのラインが異常極まりないのは名高いところ)、他にヴォーカル、サックス、ドラムというロックバンドとしてはかなり異例な編成で同編成としてすぐ思い浮かぶのはVdGGくらいなのだが、VdGGがヴォーカリスト/詩人ピーター・ハミルの激情あふれる弾き語りとバンド全体によるジャム・セッション的な不定形の演奏を結び付けた、これはこれで異形の楽曲構成(余談だが、これを実現するにあたってのキーボード奏者のヒュー・バントンの特異なセンスの重要性は強調する必要がある)のに対して、アイランドはシアトリカルな展開は持ちつつも、“変拍子”がやりたくてそこらの奇数でリフを作りましたなどという安直な自主プログレにありがちなレベルでは全然ない、生物的なまでに複雑怪奇にうねる変拍子が切り替わりまくり、しかし計算しつくされた曲構成に収められ、激情などというものは入り込む余地などはまるでないあたりむしろ対極的にすら感じたりもする。また、キーボード奏者が中核となった曲で、そのキーボードが派手に弾きまくる体の演奏であるにも関わらず、ELPに代表されるキーボード・プログレバンドのほとんどがとりがちなリフに乗せてソロを垂れ流すという場面はまず見られず、きらびやかな早弾きのすべてが楽曲構成に奉仕するように書かれたものでありそうな冷徹さを感じさせる構成下にあるのもまた異例と思います。繰り返しになるが、明らかにキーボード・プログレの範疇にありつつも類例が全く思いつかない異常傑作。その異常性と完成度ゆえに、なんか好き的な感情移入を誘うような甘さや隙がないあたりが逆に評価の分かれ目になるかも。なお本作のCD版にはアルバム制作より前の時期と思われるボーナス曲があり、またそれとは別に元メンバーの一人がほかのメンバーには無断で発表してしまった実質海賊盤という未発表音源2CDが存在し、確かにアイランドらしさはそこここに見られるものの、本作の冷徹なまでの完成度にはまるで及んでいないあたりがこの作品の奇跡性をさらに際立たせているように思う(CDボートラだとルーズなジャズロック的なジャム性を感じさせたりする場面もありつつ、そこからPicturesで知るアイランド風のフレーズがそこここに出てくるのが面白かったり)。

 あ、そういえばネイティブ英語圏の人から本作の英語の歌詞はわりと違和感があってつい笑ってしまうような言いまわしが目立つと聞いたことがあるので、強いていえばそれが本作唯一の隙であり可愛げといえるところであったりするのかも?英語まるで出来なくはないけれど、ネイティブ感覚からは程遠いわたしのような日本人にはおよそ理解できない隙ではありますが。なお、歌詞だけ読むとそこで描かれている世界はそこまで暗黒とかそういうものではないです。まあそもそもジャケの印象が強いだけで音だけ聞くと明るくはないまでもそこまで暗黒云々いうタイプの音楽でもないとは思いますが。そういう意味ではユニヴェル・ゼロを形容に出されるとなんか違う感は否めないかも。
 ちなみに本作は初めて聞いたのはまだまだ廃盤だったころにマニア同士で融通しあっていたカセットだったはずだけれど、その際はダビングを重ねた音質のせいもあり、なんか凄そう以上の印象は得られず、その後輸入盤店エジソンが再プレス盤に帯付き配給をしたものでまともに聞いてまあ驚嘆しましたね。とはいえ人間驚嘆とか完成度とかだけでは好き嫌いは決まらないものなので、個人的にはスイスのプログレでいえば本作よりもサーカスのムーヴィン・オンやブルー・モーションのほうが好きだったりはします。完全なる余談かつ、これら2作も十分以上にレベル高い作品ではあるのですが。(しかしこの文章中異例とか異常とか何回使ったんだろう……)。

CRACK : Si Todo Hiciera

 プログレッシヴ・ロックなどというジャンルが存在することも知らずに時代のロックの新作として中学生時分に触れたのがイエスの「ドラマ」、ジェネシスの「デューク」、ピンク・フロイドの「ザ・ウォール」なので、いわゆるプログレッシヴ・ロックのリアルタイムの最末尾に間に合ったのか、ぎり間に合っていないのかが微妙な立ち位置から始まったわたしのプログレ史であるのですが、高校に入ってからそれらの作品がどうやらプログレッシヴ・ロックといわれるジャンルに当てはまるらしいと知り、英国の準有名所やPFM、フォーカス、タンジェリン・ドリームからキング・レコードのユーロ・ロック・コレクションに代表される国内発売されていたユーロ系に足を踏み入れ、さらに廃盤なり国内未発売の作品を求めて専門性高い輸入盤店や中古盤店を回るようになったのが1983~4年くらいの話。その頃は英仏独伊あたりの作品はまじの大物以外は基本的に廃盤になっていた(独はPop Importの再発がわりとあったか)のですが、かろうじてまだ新品で買える作品が多かったのがスペインのものだったという事情からスペインものはそこそこ買っていたのでした。とはいえ、スペインの作品はフラメンコ風味をはじめとしたそれぞれの地域性が強いのと、おそらくはフランコ独裁政権の影響でロック・シーンの全面開花が遅れた分、発表年代的な環境からハードロックやフュージョン的な要素が入った作品が多かった(あと、カタロニアのシーンはまずジャズ・ロック的な音楽性が主流だったりもするし)のでがちがちのプログレ作品というのはかなり少ない、というかほぼなかったりするし、まあロック寄りの作品は正直独仏伊あたりに比べると一枚も二枚も落ちるのが当時も今も正直な印象なのですが、その中でも例外的なまでに典型的なシンフォニック・ロックが聴けて気に入っていたのがこのクラックなのでした。クラシカルなピアノ、よく伸びるシンセ、ここぞというところで盛り上げるメロトロンの使い分けが巧みなキーボードと伸びやかなギターを軸にした典型的なシンフォニック系、といっても大物バンドからの借り物性はそこまで感じさせず(一部キーボードやアコースティックも交えるギターの使い方、そしてフルートあたりにジェネシス成分は強めな気もするけれど、ヴォーカルにゲイブリエル性は皆無なので、総合的にはそこまで類似性はない)、またメロディのセンスが英米的なロックとは離れたラテン性を持ちつつも他のスペインのバンドのような露骨な臭みも少なくて、熱唱型の男性ヴォーカルの歌いまわしや所々入るリズムの刻み方にさりげなくスペイン風味が乗る以外は、イタリアかアルゼンチンのバンドとして提示されたらそのまま信じるくらいの汎ラテン性があって、そういう意味では初期のPFM、あるいはマクソフォーネやロカンダ・デッレ・ファーテなどのプログレ様式が確立した後にそれを踏襲しつつもやはりイタリア/ラテン的な情熱とメロディ・センスなどで独自性を打ち出せたイタリアン・シンフォ末期の単発傑作と並べてもそう引けを取らないくらいの作品となっていて、スペインの正統派シンフォ系としては抜けて出来がいいと思います。まあ、若干優等生の度が過ぎるところはあるので、クラックが世界一好きという熱狂的なファンがいそうな感じはしないのだけれど、でもまあ世の中別に個性の塊としてそそり立つような孤高の傑作やハッタリが過大評価されるような怪作ばかりではなく、きちんとジャンルのフォーマットを抑えつつ、メロディやアレンジ・センスに優れた秀作の居場所は十分にあるはずで、先に書いたように汎ラテン的な情熱とメロディ・センスをもった典型的なシンフォが聞きたいという人には手放しで推薦できる作品と思います。
全体的にいい出来なのですが、個人的には冒頭とラストに配されたインスト2曲が特に気に入っています。

KING CRIMSON :Starless and Bible Black


 ということで、クラックのところでも書きましたようにまずはプログレッシヴ・ロックなどというサブ・ジャンルがあるとも知らずに普通のリアル・タイムのロックの一部としてイエス、フロイド、ジェネシスを聞き、それらを気に入って過去作を掘り下げる中、ロック名盤ガイドの類を読んでプログレッシヴ・ロックという名称を知り、その親分というか大将的な存在としてキング・クリムゾンを知り(ほかELP、キャメル、UK、マイク・オールドフィールド、タンジェリン、PFM、フォーカスなんかもこの時期知りました)とりあえずは「In the Court of Crimson King」から貸しレコードや借りたり、その頃FMで再放送されていた73年アムステルダムのBBCライブや74年ピッツバーグのKBFHライブをエアチェックしてクリムゾンを聞くようになったわけです。で、まあこの文章読んでいるような方はまずご存じとは思いますが、今書いた73年のアムステルダム公演の一部は本作でもインプロ曲”Trio”として使われたり、”The Night Watch ”にイントロだけ流用されたり、またテイクは違いますが本作収録の歌ものである”The Great Deceiver”、“Lament”、”The Night Watch”はそれらのライブでも聞け、クリムゾン、ことにウェットン/ブルフォード期はライブでの暴れっぷりにこそ真価がでるということで、そちらのライブ音源の方により迫力を感じてしまい、正直本作、それもA面部分の印象は当時から薄かったのでした。
まあLP自体は大学生のころに一応中古で買ったのですが、その後ボックス「The Great Deceiver」を皮切りに73年アムステルダム公演も74年ピッツバーグ公演も、そのほか様々な73-74年バンドのライブ音源が本作収録のインプロ曲の原型含めてばかすか出まくった中、この時期の音源というとそれらばっかり聞いていて、このアルバムではほとんど聞かない、そもそもCDでは買ってすらいなかった(ちなみにLPでは大学生時分に中古で買いました)ので、この度最安の300円でリマスターもなんもない最初期のCDを買ってきて本文章を書いていたりします。というわけでこのアルバムに対する愛情は全然ないのですね。
 で、まあ、背景説明は不要と思いますが、本作はスタジオ盤ながらライブのインプロがかなりフィーチャーされていて、後年様々な形で発表された元音源と比較して聞くと、“Trio”や“The Mincer”などをこういう形で切り抜いたフリップのセンスはさすがではあるなと。また、解散近くなっての74年のアメリカ・ツアーでのもはやジャムというに近いくらい形式化された(その分ロック的には聞きやすくはある)インプロとは違い、まだバンド内でインプロの鮮度が高く、日々意外な演奏が期待できた時期の成果を断片的にとはいえ記録に残したのは多分に偶然でしょうけど貴重だったとも。まあ、そもそもこういう形でアルバムを作らざるを得なかったのは、ツアー続きで曲を書く時間がなく、作曲作品でスタジオ・アルバム一枚作るだけの曲がなかったのだろうなというバンドの内部事情が透けて見えるし(当時のライブでのみやっていた”Doctor Diamond”やこの段階でウェットンがバンドに持ち込むも、バンドにそぐわないといったん没にされた、”Starless”の前半部分など使えそうな曲はなくもなかった気もしますが)また、スタジオ盤におけるライブ音源の活用も、インプロ曲はともかく、”The Night Watch”のイントロのライブ音源とスタジオ音源のつなぎとかはどうにも違和感ありありで、まあ全体としては必ずしも成功とはいいがたい苦肉の妥協策の結果という印象が強いのが、前後のアルバムに比べての(個人的)影の薄さとの原因とは思います。
 と、さんざんに文句をつけてばかりですが、本作の真価はB面、ことに後半の大作”Fracture”にありまして、この”Fracture”個人的にはロバート・フリップが提示したキング・クリムゾンの圧倒的頂点曲として君臨している大大大名曲の地位としてゆるぎないものがあるのでした。なんといいますか、ロバート・フリップ、言うまでもなく技巧的、かつ激情も表現でき、またほかに応用が利きにくいくらいに独自の個性を確立したギター奏者ではありますが、歌えない演奏者にありがちな、歌メロが全然作れない人ではあり、そういうわけでクリムゾンのリーダー格ではありつつ、バンドとしての共同作であった「In the Court……」はもとより、以降の諸作でも歌メロは歴代のヴォーカリストに任せざるを得なかったり、それが担当できる強いヴォーカリスト不在の「Lizard」~「Island」期はある程度キース・ティペットなどの外部ゲストに雰囲気で埋めてもらう必要があるなど、これぞフリップという決めの名曲は実はあまりなかったりする人でもある(個人の感想です。異論は認めます)のですが、この曲においてはフリップ独特の気味悪いほどに揺れなく正確なアルペジオ(これを際立たせるのに、ジャズから多大な影響を受けつつ、揺れたりスウィングしたりが全くできない特異なスタイルを持つブルフォードのドラミングも効果的と思います)を軸に反復からためにためてカタストロフへというのがこの上なく見事に決まっていて、個人的なキング・クリムゾン最高の曲はこれ!というくらいに好きな曲だったりします。とはいえ普段は本作ではなく、様々なライブ音源で聞くことのほうが多かったのですが、まあ、でも今回多分20年ぶり以上かでこのアルバムを聴いて、かつてはライブ版に比べると迫力が足りないと思った歌もの曲をスタジオ録音ならではの分離のよい録音で聴くのは新鮮であったし、断片的で中途半端だなと思わなくもなかったA面後半のインプロ曲もあれをこう切り取ったのか、と改めて感心させられたりで、300円以上の価値は十分に感じられたので買い直して聞き直した甲斐はあったなあと、散々文句を付け倒した後のポジティブなエンディングで本稿を締めたいと思います。


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