見出し画像

◎あなたも生きてた日の日記㊿地上86mの戦い

先日、水戸芸術館へ行った。
水戸芸術館には特徴的な形をした大きなタワーがあって、街中で多少迷ってもそこ目掛けて歩いて行くと必ず到着できる。方向音痴にはありがたい建物だ。
32年前に建てられたこともあり、バブル期の景気のよさに任せた、とんでもなくお金がかかった作りになっている。水戸芸術館全体を見ても、相当な割合でお金が注ぎ込まれたそうだ。

何でもタワーは、斬新な設計と費用と施工期間の問題で、計画当初は反対意見も多かったらしい。しかし「シンボルになるタワーが必要だ」ということで無事工事が始まり、今の形になったと言う。
今では「水戸といえば...」で納豆の次くらい(言い過ぎ?)に思い出す存在なので、間違いなくシンボルの役割は真っ当している。今ではとてもじゃないがこんな建築はできないだろう、時代の勢いを感じる造形物だ。

そしてこのタワー、外から見るだけではなく登ることもできる。夜にはライトアップされた塔に登って街中の夜景を見られるということで、日が暮れた頃に行ってみた。

タワーの真ん中にはエレベーターがあって、これで地上86mの展望部へと上がる。これがものすごくゆーっくり上昇するのだ。片道1分半かけて上り、帰りも同じ時間をかけて下る。道中夜景が見えることはない。ただ、内部構造の鉄骨がライトアップされており、鉄骨の組まれた銀色の世界を楽しむことができる。それがどこか「過去に思い描いた未来」を感じさせる。タワーといえばぶわーっと特急で登って行くエレベーターを想像するが、ゆるゆる登るのも味があっていいな、と思った。

展望部に着いてぱっとドアが開くと、それこそ宇宙船の内部のような、銀色の世界が広がっていた。外部が見える窓が所々に付いている。しかしそれが小さかったり、屈まないと見えない位置だったりと、外部を見るのに親切な作りではない。「決して夜景を楽しむ用に作ったものではない」ということがよくわかる。「こういう背景でウルトラマンのロケしたら楽しそうだな」と思って最初はワクワクしたものの、ぐるりと回ってみると案外直ぐに一周でき、飽きてしまった。外から見ている方がおもしろいタワーなのかもしれない。

しかし、この後、そこで忘れられない経験をすることになる。
申し訳程度に貼ってある地理的な説明書きを読んでいると、エレベーターが来て、中から女性が降りてきた。

「あ、大丈夫です!はいー」

誰かに話しかけている。会話の内容から察するに、相手は一階でタワーの説明をしていた係の人らしい。どうやら係の人は女性と一緒に上がってきて、送り届けた後にまた持ち場へ戻るようだ。「説明でもしてたんだろうか。そんなサービスがあるんだな」と羨ましく思った。
すると、エレベーターのドアが閉まる音がした直後に女性の声が響いた。

「あーこれは!やっぱり無理だあああああ」

見ると、女性はエレベーターの扉に這いつくばって天井を見つめている。へっぴり腰の様子から、状況がつかめてきた。もしかして....高所恐怖症...?
すると、女性がガッとこちらの目を見て、言った。

「すいません!!!高いところ本当無理なんですけど、でも、このタワーはほとんど外見えないよって言われて!!!」
「いけるかなって思ったんですけど!!!」
「でもあーーーーーやっぱこれ無理だ!無理だわ!!!!」

私は、「あ、はい」「はい、はい」と小さく相槌を打ちながら、目が離せなかった。なぜなら、彼女の目が、かっぴらいたままこちらの目を凝視していたからだ。その形相から

「あ...この人ほんとうに非常事態なんだな...!」

と思った。たぶん、いま少しでも視線を逸らして、外の景色を見てしまったらもう本当に終わりなんだろう(何が終わりかはわからないが)と思った。大きな目がさらに大きく開かれているのを見て、その手が壁にべったりくっついているのを確認して、「恐怖と戦っている人間って...こんなにも必死なんだ...!」と思った。彼女の役に立ちたい。

そこから、エレベーターが一階に到達するまでの1分半、また上がってくるまでの1分半、計3分をその人と一歩も動かず(というか口以外ほとんど静止したまま)話した。
内容は全然覚えていないけど、とにかくお互い大声で喋ったのだけは記憶にある(ピンチの時って、何で声がでかくなるんだろう?)。

エレベーターが到着して一緒に降りようとしたら、なぜかその人は頑なに

「いや!!!いいんです!!!1人で降りますんで!!!邪魔しちゃったんでぜひもうちょっといてください!!!」

と行って、腰が引けたままエレベーターに乗り込んだ。

エレベーターが降りて行くのを見送りながら、あの人は無事に降りれるのだろうか、と思った。
「これまた3分待たないと私降りれないじゃん....」ということに気づいたのはその直後だった。