生い立ち①「宗教家庭に産まれ育ち、幼少期に母と別居」
こんばんは。
今回は私の幼少期の頃について書いていきたいと思います。
皆さんは何歳くらいの頃の記憶からありますか?
私の1番古い記憶だと、年中さんとか年長さんくらいの記憶からなんとなく覚えています。
私は幼少期、おばあちゃんと、おじいちゃんと3つ年の離れた妹と生活をしていました。
その生活の中には、母親が存在していた記憶はありません。
おじいちゃんのドライバーの仕事について行って、トラックの助手席に乗せてもらってた記憶。
児童館の手作りイベントで、おじいちゃんに作品を作って渡していた記憶。
字の綺麗だったおばあちゃんに平仮名を教えてもらって、私が苦手だったであろう「ふ」ばっかりをひたすらノートに練習させられていた記憶。
そこにヨチヨチ歩きの妹の姿。
当時は幼かったのもあり、「お母さんが居ない」と思っていた記憶さえもありません。
なんなら、おばあちゃんの事を「お母さん」だと思っていたみたいです。
その生活の中で、数ヶ月に1回遠くに行った時、若い女の人に会い、別れ際に、「ばいばーい、おばちゃん!」と言っていた記憶があります。
その「おばちゃん」と呼んでいたのが、母親でした。
母親は、私がまだ幼稚園児で妹が赤ちゃんの頃、身体が動かないくらい体調が悪くなったらしいです。
ですが、病院には行かず、
「これは神様から自分が試されている、訓練に上がらなければ助からない」
と、幼い私達を置いて、とある県の本殿に泊まり込みで何年も研修に行っていたみたいです。
今思えば、身体動かへんのにどーやって行ってどーやって過ごしたんや?と謎まみれですが。。
そして数ヶ月に1回ある大きなお参りの日に、その本殿で、私達姉妹は母親と数分の交流をしていたみたいです。
今思えば、おじいちゃんもおばあちゃんも、その宗教団体の人だったので、その選択が正しいと思っていたのでしょう。
母親が、まだまだ幼い我が子2人と何年も離れて過ごす事に違和感も無かったのだと思います。
3年くらい離れ離れで暮らしていたと聞きました。
1番手のかかる、1番色々出来るようになる月齢の時に我が子と離れて「神様~~お救いを~~」となる心境が今でも全く理解、納得が出来ないでいます。
この宗教団体は昔、薬の使用が「悪」でした。
私は生まれてすぐアトピーを発症し、頭のてっぺんから、足の先まで真っ赤にただれ、掻きむしり、汁も出ていて、その汁が布団やタオルケットにひっつき、お風呂も大変だったみたいですが、
薬の使用はダメなので、一切、薬は塗って貰えてなかったみたいです。
「あれはほんまに可哀想やった」
「でも、悪い毒素が出てたから、キレイになって良かったな」
と私が大きくなってから母は語っていました。
この「キレイ」は、「皮膚」ではなく、「魂」を意味します。
その話を聞いたのが確か私が中学生くらいの時でした。
既に私は、腕の内側、膝の裏など、アトピーの痕を気にしていた年頃だったので、「なんで薬を塗ってくれへんかったんや」と、心の中でモヤモヤしていたのを覚えています。
幼少期の記憶はこれくらいです。
母親と一緒に遊園地や旅行に行った記憶もありません。
実際行っていないみたいですし、当たり前ですね。
ちなみに父親とは、妹が産まれてすぐに離婚をしたみたいなので、片親です。
片親だからこんな幼少期、というよりかは、宗教が絡んでるからこんな幼少期だったんだと思います。
1番手のかかる大変な時に育ててくれた、おじいちゃんとおばあちゃんには本当に感謝しています。
おばあちゃんはもう30年以上前に病気で他界していますが、今でも元気で健在なおじいちゃんとは、関係良好で大好きです。
長々と書いてしまいましたが、生い立ちを順を追って書くのは難しいですね。
この続きはまた次回に書き留めたいと思います。
では。
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