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#3 わたしがスポーツ学生になった理由

今日は、わたしがスポーツ科学を志すようになった経緯をまとめていこうと思います。この道を選んだのには、スポーツとの出会い方や周囲の人間との関係、その後の人生に起きたこと全てが影響しています。自分がなぜ今ここにいるのか、ということを見失わないためにも、振り返っておくことにします。

最悪のダンス時代

スポーツといえるスポーツに初めて出会ったのは、小学2年生の時でした。スポーツ少年団のダンスチームに入ってバトントワリング、チアダンス、ジャズ、ヒップホップを習いました。でも、ダンスは全く楽しくありませんでした。

いざ行ってみると、同学年の子はみんな幼稚園の頃からダンスを習っているというし、チームには年上の子もたくさんいて、圧倒されてしまったのです。いじられキャラだった(好きでいじられてない)わたしは同学年の子たちや年上メンバーに、ひとつひとつの言動から着ているTシャツの柄までいちいち笑われて、どんどん自分に自信がなくなっていってしまったのです。チームはみんな仲がいいのに、わたしだけ嫌われてる、浮いてる、とずっと感じながら踊っていました。楽しいはずがありません。動きは小さくなっていき、注意される回数も増え、また自信を失うの連鎖です。しかも先生がメチャ怖かった。メッチャ怖かった。

(この頃から、普通にしなきゃ何か言われる、他の子と同じじゃないと恥ずかしい、と考えだすようになってしまいました。今は吹っ切れていますが、今でも、人のことを笑う人がいちばん嫌いです。)

何度もダンスやめようと思いましたが、お母さんに「もうちょっと続けてみたら?」と言われ、「確かに楽しい瞬間もあるしな」と思い直してふんばり続けて6年経ちました。ここで、ダンスをやめるきっかけになった出来事が2つ起きます。


大嫌いなダンスにオサラバ!&テニスとの出会い

1つは、ダンス6年目に全国大会に出場したことです。外部のコーチに振り付けをお願いして、10人をオーディションで選んで躍らせる、ってやつにたまたま選ばれ、そのまま県大会で全国大会出場を決め、幕張メッセで踊りました。

とはいっても、うちのチームは中堅くらいの実力で全国大会に出場することは何度もありました。わたしはその中に入ってないけどね。同学年の子たちはみんな何度も全国に行ったことがありますから、むしろ6年続けてやっと行けたわたしなんて落ちこぼれ中の落ちこぼれでした。

同じ学校のクラスメートがわたしより後にダンスを始めて、あっという間にAチーム(一番上のチーム)まで上りつめ、さらっと全国大会に出場して辞めていったときはさすがにビミョ~~な気持ちになりました。まあでも、これで一旦満足できたことが、ダンスをやめる一つ目のきっかけになったのです。


2つ目は、中学校に入ってソフトテニスを始めたことです。これがわたしの人生を大きく変えました。

小学校を卒業した春休み、中学ではバレー部に入るんだとほとんど決めていたわたしは暇つぶしに、家にあったテニスの王子様を読破しました。そして読み終わったころには、「わたし、テニス部に入るんだ!」と決めていました。単純です( ;∀;)(実際には硬式テニス部がなくて仕方なくソフトテニス部に入ったんですが。)

この中学の部活で、わたしは人生で初めて「スポーツが楽しい」という経験をしたのです。いままでだらだらやってたダンスはなんだったの!?と思えてきて、急に、

「あ、ダンスやめよう」

と、6年続けたダンスをあっさり捨てたのでした。テニスが楽しすぎて、3年間毎日テニスを楽しみに学校へ行く生活を送りました。部活が面倒くさいと思ったことは、本当に正直に一度もありません。大好きになっちゃったのです。心から楽しいと思えるスポーツとの、運命の出会いでした。


高校で学んだこと、そして進学

高校に入り、ソフトテニス部に入部したわたしは、部で一番のヘタクソでした。中学校の部内ではいちばん上手だったのに。コーチには「中学で何を教わってきたんだ」と言われました。

教わったも何も、中学にはコーチがおらず、顧問だって、いつも日傘をさして静かに見守ってくれるだけのおじいさん先生でした。先輩の見様見真似で楽しくテニスをしていただけの超弱小テニス部から、学ぶものはありません。知っているとすれば、テニスはすごくすごく楽しいということだけでした。

高校では素晴らしいコーチもいてそこそこ強い部だったので、コーチからも、先輩からも、同級生からも学ぶことはたくさんありました。毎日の練習で目を皿のようにして先輩を見る!音を聞く!そして、とにかく真似をする。肘の角度、手首の角度、全体の形を見てそっくりそのまま同じ動きをしてみる。足音と打球音のリズムを聞いて、同じリズムでステップしてボールをインパクトする。テニスの正解がまだ全く分かっていなかったわたしにとって、その繰り返しが当時の自分なりの上達の仕方でした。

一球一球、上手な人を見て、真似して、考えて打って反省、を積み重ねていくことで、毎日できることが増えていって、本当に楽しかったです。

中学校のときも自分なりに考えて、とにかく楽しくやっていました。でも、テニスをまだまだわかっていなかった。高校では、テニスのことをより深く知ることが出来て、もっと頭を使うようになった。何より、「上達の過程」の楽しさを経験することが出来たんです。

自分の頭で考え、実行してみて、失敗して、また考えて今度は成功するという、トライ&エラーの中で競技力を向上させていけたことが嬉しかったです。


そして進路選択の時期が来て、当時生物の研究活動に没頭していたわたしはそっち方面の進学も考えたりして、じっくり悩みました。その結果、「わたしが4年間飽きずに追い求められるのはスポーツしかない!」と決断し、スポーツ科学部を進路として選択したのです。周りの大人にはスポーツ科学なんかやって将来何を目指すんや、ってチクッと言われたりしたけど、将来のことなんかより目の前の大学生活楽しめることのほうが優先だったので、気にしませんでした。

高校の部活で、上手になりたくて他人や自分の動きをとにかく観察してきた経験から、他人のフォームやフットワークの問題点は一度見たらわかるようになっていましたが、それはあくまでわたしの主観であるため、科学的根拠に基づいて指導をしてみたい!と思ったのです。また、高校で生物の研究を2年間していたことで、研究活動や学問がとても面白いことに気が付いて、スポーツ科学をやれば自分を実験台にしながら、スポーツも研究もできるじゃん!という考えに至ったのでした。

今はもう別の目標があるけど、スポーツ動作分析への情熱は変わっていません。実は受験も失敗して(+_+)、国立に行く予定が地方私立になってしまってるんですが、ここでしか出来ない経験も出会いもさせてもらってるので、幸せです。最近では楽しみにしていた交換留学も中止になったけど、逆境をばねにしてまだまだ成長していきたい!!



と、こんな感じで、わたしがスポーツ学生となった経緯をまとめてみました。自分がなぜ今ここにいるのか、わからなくなるときが誰にだってあると思います。わたしもずっと楽しく勉強してきたわけじゃなくて、いざ大学入ったら「なんか違う・・」みたいなときもありました。なぜスポーツ科学部に入ったのか分からなくなり、スポーツ科学じゃないものに興味が移ったり。

そんなときは、なぜここにきたのか一度振り返ってみるといいと思います。忘れていたパッションとか昔持っていたワクワクとか、何かを必ず思い出せます。これ以上ないモチベーションにもつながります。



最近note始めたばっかりです!#0で自己紹介してますので、ぜひ見てみてもらえると嬉しいです!#1では宇宙開発の話、#2では環境の話をしています。よかったらそちらも見てみてください!(^^)!


院試合格後の生活費になります!